犬小屋通信

2009 9/07
再開間もなく……
月日がたつのは早いものです。約二年間ぴたっと動きをとめてしまいました。
西さんと、ホームページ再開しようね、という話になり、
ぼちぼちと、また動きだそうかと思います。
新しく朝日カルチャーでの講座が始まりますので
まず、そのご案内をさせていただきます。湘南教室。藤沢での講座です。
よろしくお願いいたします。


2007 8/17
知のプリズム」をUPしました
西さんが10年ほどまえ、小論文関係の機関紙(?)に連載していたエッセイをアップしました。

ときに孤独に悩み、現実への手ごたえが感じられなくなったり、生きることの意味がつかめなくなったりする人間にとって、「哲学的思考」はどのような可能性を開いていくのか。……そうした、「実存にとっての哲学」の意味を語り明かしてくれるコラムです。

最近、「(思考の原理としての)哲学・現象学は社会思想をいかに再生しうるか」というような、「広いステージ」で西さんと竹田さんのお仕事が展開されているようすを見ているせいか、「哲学への動機の第一歩にあるもの」を確認していくこのコラム、すごく新鮮に読めてしまいました。
十数年前、最初に西さんの著作とであったときの感触を思い出したりもしました。

思えば、最初の一歩に立ち戻ってそこから考える、というスタイル、今も西さんの哲学の基本にあるように思います。(でも、「いまだったらちょっと違う書き方をするかも……」というのが、このコラムについての西さんのコメントです。)


線香花火はよいものだ……
夏休みを利用して、久しぶりに西家に遊びに行きました。
西さんは光くん(ご令息・5歳)ともども真っ黒に日焼けしている。
千葉の海にご家族で遊びにいったばかりだそうです。

光くんのリクエストで、100円ショップで買った花火をしたのですが、これが存外によいものでした。
「花火って楽しいね……。」と一本一本味わうように体験している。それを、見ていると、同じような楽しい気分になってくる。中でも、線香花火、あの紙縒りのようなか細いなかに、よくもあれだけ複雑な火花のもとが詰まっているものだと、感心してしまいました。
100円ショップの花火セット。なかなかのお値打ちものです。


東京に帰ってこられてから、(ここ数年の激務のせいか)しばらく体調の優れなかった西さんですが、ようやく回復の兆しがみえてきたようです。
この夏は、ヘーゲル完全解読本(講談社メチエから刊行予定)の仕上げに取りかかっておられます。管理人も、竹田青嗣さんとの(早稲田で月に2回ほど開かれている通称火曜哲学研究会での)「精神現象学・つめの読み込み会」に同席させてもらったので、完成するのが楽しみ。ヘーゲル、内容を噛み砕いてみると、ふつうに生活する人にとって、とても役に立つ哲学だと思います。人との関係に苦しんだり喜んだりしている場面によりそってものごとを考え深めていくための示唆に満ちている、と思う。ただ、「精神現象学」、自力で読もうとすると、何度読んでも????(レジュメなどを担当すると、これ、最高の内容を最低の表現で書いた本じゃないかとうらめしく思えてしまうことがよくある。)それだけに、今回の著作の意義はとても大きいんじゃないかな、と思います。
西さんがんばってください!
でも体にも気をつけてください!


2007 4/15
「カズオ・イシグロ」は面白い。

「ぐ研」という読書会をしている。「ぐーたら研」の略称なのだが、この「ゆるい」命名がよかったようで、緊張感の薄いゆるやかなペースを保ちながら長く続いている。哲学の本をがっつり読むこともあるが、小説、あるいは映画(ときには漫画)などさまざまなものを題材にする。(西さんも忙しい合間にふらっと遊びに来てくれたりもします。)


先日はイギリスの作家「カズオ・イシグロ」の『わたしを離さないで』(早川)を読んだ。本を推薦してくださったのは、文芸批評家の神山睦美さん。神山さんは、西さん竹田さん主催の「現象学研究会」でご一緒していることがご縁で、昨年から参加してくださっている。
文学好きが多いメンバーなので、この作家、作品をすでに知っている人もいたが、ぼく自身はまったくはじめて。
これがたいへん面白かった。ので、少々感想などを。

「小説」の主人公は、臓器提供を目的に生み出された「クローン人間」である。彼女は、クローン人間の人権を尊重する理念のもとに営まれる、一見通常の全寮制の学校をほうふつとさせるような施設で、同世代の仲間たちと育成される。彼らは、自分たちの宿命を明確に告げ知らされることのないまま、ふつうの少年、少女とかわりなく、仲間から疎外されて苦しんだり、あるいはだれかを好きになったりという自我のゲームを展開するなかで成長していく。

作品は、語り手の視点を担う主人公が、周囲の大人たち(教官)の言動などを通して、自分たちの宿命を徐々に理解していく過程を通して、作品が背景とする状況が読者にも少しずつ明らかにされていく、という構成となっている。しかし、この構成は、単に謎解きめいたしかけにとどまるものではない(と思う)。人間が自分自身の(取替えがきかない)実存状況をしだいに受け止め、そこから自らの生をかたちづくっていくありようを普遍的なかたちで描いており、読者は主人公の立ち位置からそれを追体験することができる。

「臓器を提供する」という人為的な目的のもとに自らの生を仕組まれていながら、それを知ることを先送りされ、ほんとうは実現不可能な未来への夢を徒に抱いてしまう。そうした主人公たちが生きる状況は過酷かつ特殊なものにみえる。

だが、死の不可避性、そして、「自分は自分でしかない」という現実を次第に受け入れながら生きていくという点からすると、多くの人の実存状況に重なる。むしろ、それを凝縮したかたちで表現している、といえるかもしれない。

自らの体を切り刻まれながら30余年の短い生の幕を閉じる、というのはたしかに悲惨な宿命だと思う。しかし、そうした宿命のもとにありながら、主人公は自分としての生を生きていく。自分を深く傷つけた友人から真摯な謝罪を受け可能性を回復していくという経験、長い曲折を経て愛し合う人と結ばれるという経験などを通して、暖かな光彩を自分自身の生に与えながら、限られた時間を生き抜いていく。

たしかに、主人公たちの悲惨な境遇は人為的につくられたものである。それを考えると、生命倫理という視点から問題を提起している作品なのかもしれない。

でも自分にとってこの作品は、人の生が基本的にもっている「切なさ」、それを踏まえたうえでいかに自己の生を肯定できるかという「希望の原理」を鮮やかに描き出したものとして、深く心に届いた。

作品を紹介してくれた神山さんに感謝です。
その後、イシグロ氏の『わたし孤児だったころ』という作品を続けて読んでしまった。しばらくはまりそうな感じです。


2007 4/4 「西さんの多忙」

初夏のような陽光が満開の桜をまぶしく照らしている。
でも、こうした絶好の行楽日和にかかわらず、西さんはたぶん今もパソコンの前で仕事をしている。竹田さんとの「ヘーゲル精神現象学完全解読」、一昨年HPのかたりおろしでも話題に出された、社会学者菅野仁さんとの「対談本」と、刊行予定の本の執筆がめじろおしなのです。新学期になれば学校の仕事も息が抜けないだろうし、今のうちに書き進めておかないと……という感じなのだと思います。
そんなわけで、3/10に近々UPします、と報告した心理学者「ミンデル」についてのかたりおろしの仕上げにもまだ着手できないようです。最近、メールなどで諸々の連絡をするたび、「ところでみんでるはまあだ?」とおもちゃをねだる子どものように催促してしまう。そういいながら、状況を思うと気の毒にもなる。でも、このかたりおろし、なかなか面白く、今の時点でその内容を知っているのが自分だけだというのがもったいない。しかし、二冊の本の執筆にも集中してもらいたい。ああ。
春の陽光のなか揺れる管理人ごころでした。


2007 3/10 「再びご近所」

管理人の犬端はたまに人間として機能が低下します。この間、その人間的機能低下現象におそわれ、「西研ホームページ」の更新もぴったと止めてしまいました。
愛読していただいている方。ほんとうにごめんなさい。

それはそれとして、西研さんもこの間大忙し。
京都・精華大学でのお仕事がそれはもうたいへんに忙しかったことに加え(痩せてしまったぞ!)、さらにはこの4月、お勤め先が精華大学から、古巣の和光大学に移るのです。
それに伴い、おすまいも京都市左京区岩倉から東京都町田市鶴川へ(いずれも住所はおおよその見当だよん)。4年前に住んでいた川崎市の生田緑地界隈(管理人も生息している)からは、深夜自動車(アコードSIR)で多少の危険を冒せば10分を切ることも可能です(ためしてないけど)。今後無理無理「再びご近所」といってしまうつもりです。

実は、この町田市鶴川界隈には、竹田青嗣さんも住んでいるんですよ。それを考えると、今後このあたりが、世界の現象学のメッカということになります。沿線、小田急線新百合ヶ丘⇔町田周辺などは現象学的にみてもホットなスポットになりそうです。周辺のみなさま。危険はありませんのでご安心ください。

先日新居に遊びに行きがてら、ちょっとだけ書棚の整理をお手伝い。新居は2階建てで、2階はほとんど小さな図書館という感じです(書棚を12個組み立てたそうですよ)。ヘーゲル・フッサールコーナーをご子息西光くん(4歳)といっしょに担当しました。光栄です。光くんは「ヘーゲル」(という言葉)が好きで、「ヘーゲルがいっぱい」と大喜びでした(カタカナのすでに読める4歳)。ふたりで「ヘーゲルだ・ヘーゲルだ・これも・これもヘーゲルだ」とたいへんに盛り上がりながら、西さんのお手伝い(邪魔)をしました。
楽しかったです。

新しい環境で(お勤め先のお仕事もきっとお忙しいだろうけど)、執筆のほうも本格的に再開できそうな感じ。4月からは新宿アサカルで、竹田さんとの「フッサール・メルロ=ポンティー」の講座もはじまります。管理人も西さん竹田さんとメルロ=ポンティを読むのははじめてなので、とても楽しみです。
「ホームページ」のほうは、近々、ユング派の心理学者?、アーノルドミンデルについての語りおろしをアップできると思います。こちらも楽しみにしていてくださいね。

2007 3/10A
昨年の現象学研究会で、内田樹さんの「ためらいの倫理学」のレジュメを担当しました。そのなかでのカミユ論がすばらしくおもしろく、ここしばらくカミユにはまってます。で、この間こちらについてもレジュメをまとめる機会があったので、……よろしければご笑読ください。

(なんとこの間3年半!)

2003 10/20
・1992年に、西さんが執筆された「若きヘーゲルの『愛の宗教』」をUPしました。
今年のはじめ、引越しのために書棚を整理していた西さんから、この論文が掲載された「念仏者」(!)という雑誌のバックナンバーをいただきました。当時『ヘーゲル・大人のなりかた』の執筆に打ち込んでいた時期で、そのとき考えていたことなんかが伝わっておもしろいかも、ホームページに載せてみようか、などとお話していたのですが……しばらく犬端が寝かせてしまっていたのでした。

善悪の後ろ盾となる根拠(超越者)を「外側」に立ててしまうと、どうしても信念対立の図式を招いてしまう。でも、それを、「普遍的な価値を希求してしまう意識のありかた」として「内側」からとらえかしてみれば、考察を進めていくための共通の地盤が生まれるし、現実的な関係をよりよいものへと刷新する道筋もひらけてくる。……そうした「精神現象学」のモチーフまで、「あと一歩」のところにいるヘーゲルについて書かれてます。
ちなみに、このヘーゲルの「愛の宗教」のことは、『大人のなりかた』にもきっちりと取り上げられています。(よね。)

2003 10/18
・久々に「語りおろし」を収録しました。先回の語りおろしで、西さんから「東浩紀さん」の話題が出ました。自分の言葉で思想を語れる俊敏な感覚をもっておられるのに、それでも「内省」「自己了解」を意識的に回避してしまうのは残念だな、と。その話に触発されて、東さんの最近作『自由を考える』(大澤真幸さんとの共著・NHKブックス)を読んでみました(「自習室」にレジュメ載せてます)。西さんも、ちょうど、今まとめている原稿(洋泉社新書として刊行のご予定)で、この本について触れられたということ。で、話題の中心は自ずと「『自由を考える』を考える」という方向へ……。「語りおろし」、まとめるの少し時間かかるかもしれませんが、こうして予告してしまえば、きっとこの怠け者も少しは焦ってやるだろう。
それにしても、ご多忙のせいか、最近会うたびに西さんが痩せていく。どんどん精悍なかたちになっていってしまう。けっこう心配だ。


犬の自習室

1「自由を考える」(東浩紀/大澤真幸 NHKブックス)を読んでみた
(通信ご参照ください)
2「様々なる意匠」(小林秀雄)を読んでみた
2003年1月の「語りおろし」での話に触発されて、高校の現代国語の時間に脳死して以来ご縁のなかった小林秀雄を読んでみました。けっこう面白かったです。)
その後読んでみた、竹田青嗣さんの小林秀雄論=『世界という背理』がとてもとてもおもしろかった。で……それについて
3『世界という背理』(竹田青嗣)を読む
4『ためらいの倫理学』(内田樹)を読んで
5「カミユ」について