哲学者たちの宗教論

@若きヘーゲルの「愛の宗教」

(1992 雑誌「念仏者」掲載)

 

二十代のころ、ぼくは宗教に対してどこか否定的な気持ちを持っていたと思う。もっと正確に言うと、神仏を「信ずる」ということに関して、疑わしい気持ちがあった。信じて幸せに生きて行ける人はそうすればいい。けれど、どうもぼくにはできそうもない、と思っていた。「信ずる」ということは、ひとつの固定した世界観のなかにジャンプすること、つまり、自分の今までの考え方や生き方を捨てることのように感じていたからだ。
 

そういう感じ方のなかには、信仰している人と自分とは別の種類の人間である、という感覚も含まれていたように思う。あからさまに軽蔑こそしないけれど、「アチラの世界の人」と自分とは別なのである。

 

しかし、今のぼくは、少し違った気持ちになってきた。それは、神や仏を信じたい気持ちになってきた、ということではない。けれど、ぼくもまた「何か」を信じて(信じようとして)生きている。それも、このところかなり自覚的に。その意味では、信仰している人とぼくとの間に本質的なちがいはないんじゃないか、と思えてきたのである。

 

じゃあ、その「何か」とはなんだろう?

 

それを言うのはむずかしいし、恥かしい。けれど、あえて言うと、人間のなかの「何かよいもの」、を信じようとぼくは思っている。「ぼくのなかにも、他の人たちのなかにも、『何かよいもの』へと向かおうとするものがある。」そういうことを、ぼくは信じようとしてきた。こんな言い方が、すごく楽天的で、「お人好し」に聞こえることも、よくわかる。(だから、こんなふうに言うのは、正直いって恥かしい)。けれど、ぼくの感覚を、「楽天的」で、「お人好し」でない言い方にできないだろうか、と思うのだ。そのためには、ぼくの持っている「感覚」を、もっときちんとした言葉にしたいし、もっとつきつめて考えてみたいのである。そして、このことと宗教との関わりについても。

 

 

ぼくが、こんなふうに思うようになってきたのは、二十代半ば頃から、いろいろな人や書物に出会ったことが大きい。若きヘーゲル、キルケゴール、二ーチェ、親鸞。各々から受け取ったものはちがうけれど、しかし同じようなものを感じてもいる。この連載では、ぼくが彼らを読んで受け取ってきたものを綴りながら、ぼくのなかの感覚をはっきりさせていきたいと思う。

 

               ※

第一回目にまず取り上げたいのが、「若きヘーゲル」の宗教論。ヘーゲルというと、難解な「絶対精神」の哲学者、形而上学者という印象があるけれど、もともと「哲学」「学問」を目指していたわけではない。若きヘーゲルはむしろ、社会変革を求めるいわば「活動家」的存在だった。

 

ヘーゲルが生まれたのは十八世紀後半、ドイツのブュルテンベルク公国というところである。当時のドイツは数多くの領邦に分裂していて、各々の領邦ではまだまだ王や貴族の権力が強かったのだが、彼が神学校の学生だったときに隣国フランスに革命が起こる。ヘーゲルと彼の友人たちは熱狂してこれを迎え、それ以後、ヘーゲルは、共和制の実現を目指すことになった。神学校を卒業するとプロテスタントの牧師になるのが普通なのだが、ヘーゲルはそれを拒否して、各地を転々としつつ貴族や有力者の子供たちの家庭教師をやって生計を立てながら、もっぱら宗教に関する論考を書き続けた。その生活は三十歳くらいまで続く。

 

なぜ「宗教」だったかというと、彼の考える社会変革が単なる制度上の変革ではなかったからだ。共和制という制度を支えるにふさわしい「魂」の変革。そのためには、キリスト教に代る新しい宗教を創出しなければならない、とヘーゲルは考えていた。

 

キリスト教は、超越的な権威、つまり絶対的な力を持つ神によって人間を支配する。それも、たんに外から命令するだけではなく、内面から支配する(従わないならば、地獄に落とされる)。しかも、キリスト教の司祭や牧師は、現実の権力者たる王や貴族と結託して民衆を支配している。「超越的な権威に脅かされ、そこから発する『掟』に隷従しなくてはならない」という構造において、キリスト教と封建制は共通しており、互いに結びあっている。そういう仕方を乗り越えるような魂の在り方を探らねばならないのである。

 

 

ヘーゲルは考える。〈そもそも、「抑圧的で超越的な神」などというものが生まれてきたのはなぜなのか〉、と。そこでヘーゲルは、旧約と新約、二つの聖書をとことん読み直す。そして、「超越的な神」の起源を、旧約聖書、つまりユダヤ民族の精神のなかに探り当て、同時に、その精神を解放しようとした者としてイエス・キリストを描こうとする(ヘーゲルは実際のキリスト教に対しては批判的だったが、イエスその人に対しては、敬意を払っていた)。キリスト教と封建制がユダヤ的精神に重ねられ、それを乗り越えた魂の在り方が、イエスに重ねられる。このような、聖書の特異な解釈ともいうべき草稿(『キリスト教の精神とその運命』と後に名づけられたもの)を、ヘーゲルは三十歳のころ書いている。

 

そのなかでヘーゲルはこう言っている。――「超越的な神」とは、世界に対する憎悪(分離)が産み出したものだ、と。ユダヤ民族の始祖たるアブラハムは、それまでの共同生活の絆、他の人々や自然との関係を自ら全面的に断ち切った。そして、対立している無限な世界を、「絶対的な神」という理念を創り出すことによって、いわば観念的に支配しようとする。神の命令には絶対に服従しなければならないが、そうしているかぎり、神は自分たちだけを「唯一の寵児」として保護してくれるのである。しかし、当のアブラハム、そして子孫のユダヤ人にとっては、自らが「絶対的な神」を創り出したという事態は蔽われている。恐ろしい「妬む神」こそが唯一の主体であって、彼らはただ神から下された律法に奴隷的にひれ伏すだけなのだ。

 

自ら創り出した〈神〉の観念は、アブラハムの子孫のユダヤ人たちに悲惨な運命を繰り返させることになる。憎しみの精神を忘れて他の民族と仲良くなると、ユダヤ民族としての自立性が弱くなり、容易に他民族に支配されてしまう。そこで自分たちの神の崇拝にたち還って独立を達成すると、それはそれで、神及び神の下した律法に対する全くの隷属しか与えられない。

 

では、ユダヤ民族は、どうしたらこのような悲惨な運命から解放されるのだろうか。

 

大学を卒業してまもないころのヘーゲルは、超越的な神に対して、人間の〈主体性〉を対置していた。〈外側から与えられる掟に従うのではなく、自ら立てた掟にのみ従う。〉このような主体性こそ重要である、と。けれど、超越的な神が、世界に対する憎悪〈分離〉によって生じたのであれば、超越的な神に対して〈主体性〉をぶつけても根本的な解決にならない。むしろ、〈分離〉を和解すること。つまり、人間の心のなかに、世界に対する〈愛〉が蘇ってくるのでなければならない。ヘーゲルにとってイエス・キリストは、ユダヤ人の憎悪の精神に対して、この〈愛〉を説き、ユダヤ人の悲惨な運命から彼らを解放しようとした者なのである。

 

〈愛〉において、私はあなたと「一つ」である。そこでは、「掟」は不用になる。――こうヘーゲルはイエスに語らせる。ユダヤ人にとっては、「律法」が絶対であり、律法に従う生き方だけが「義しい」。〈主体性〉を重んずる人々も同じである。彼らは外側からの命令ではなく自分の内側の掟に従うべきだと言うけれど、「掟に従う生き方」しか認めないからだ。しかし、〈愛〉においては、義務も掟も存在しない。外側から見れば、義務から行っているように見えたとしても、内実としてはまったく違う。「しなければならないから」「正しいから」行うのではなく、「そうしたいから」そうするのだ。

 

 

このように、ヘーゲルは、「律法」にとらわれたユダヤの精神に対して、イエスの〈愛〉を対置してみせた。〈分離〉の精神に対する〈愛〉の精神、という図式がこの草稿全体を貫いている。しかし、間題は残る。〈愛〉の心を失った人々が、どうやって〈愛〉に目覚めることができるのか、という間題である。世界に対する憎悪が、超越的な神と律法とを産み出したとすれば、その憎悪がほどけなくてはならない。けれど、イエスが愛を説いたところで、愛の感情に無縁な人々に伝わるはずもない。〈世界に対する憎悪に凝り固まった人々のなかに、愛が蘇る〉――その道筋を内在的に示すことができなければ、〈愛〉は単なる言葉として、むなしく現実に対立することになってしまう。

 

ヘーゲルがこの草稿のなかで辛うじて提出できたのは、〈愛による運命との和解〉という思想だった。取り上げられているのは、一般の人々ではなく、「犯罪者」である。犯罪者は、自分の利益のために、また、他者に対する憎悪から、他人の物を盗んだり他人を傷つけた人間であり、憎悪と〈分離〉を端的に体現する存在である。こうした「犯罪者」のなかに〈愛〉は蘇り得るだろうか。

 

「掟」(法、律法)を絶対化するまなざしからするならば、犯罪者に救いはない。掟が犯罪者を追いつめて刑罰を課したとしても、犯罪者の行為をなかったことにすることはできない。「盗むな」という普遍的命令と「盗んだ」という行為とは永久に和解しえず、犯罪者は良心の痛みに苦しまねばならない。

 

けれども、犯罪者が侵し傷つけたのは、いったい何だったのだろう。他人を侵し傷つけたのでもあるし、「掟」を侵し傷つけたとも言える。けれど、何よりも、「自分自身」を破壊したのだ。かつて抱いていた他の人々へのやさしい感情、「よいもの」へと向かう心そのものを破壌したのである。そのことに彼が「気づく」ならば、彼のなかに人々との温かい交流への憧れが生まれてくる。他の人々との愛にみちた関係は、自分が生きる上で不可欠なものであったこと、そのことを犯罪者は気づく。

 

彼は自分に襲いかかってくる復讐者や刑罰を、外的な不運とはもうみなさない。自らなした〈分離〉の行為によって自ら招いたものとして、それを引き受ける。甘んじて引き受けることで、心底からの和解を求める。「この再び己れ自身を見出す生の感情こそ愛であり、この愛においてまさに運命は和解するのである。」

 

この犯罪者の姿に、ヘーゲルは「愛の蘇り」の可能性を見ようとしている。人間は、もともと愛の感情のなかに生きていた。けれど、愛を忘れ、世界を憎悪する。そして、「超越的な神」や「律法」や様々な「正義」でもって、自分を優越させようとする。けれど、そういう自己正当化が、かえって自分を不幸な状態においてしまう。自分がそうしてしまっていることに、「気づく」こと。「気づく」と同時に、自分が愛を求めていたことを「思い出す」こと。ぼくは二十代半ばころにこの草稿を読んで、深く考えさせられた。ぼくは「理屈」を身につけたり、「立派な」人物になろうとしてきた。けれど「そうすることでかえって自分を狭い場所に押し込めてきたんじゃないか。ぼくの求めていたのはもっと違ったものだったんじゃないか、と。

 

このようにしてヘーゲルは「愛の蘇り」について語ったけれど、さらに問題がある。「他人を愛したい」と願っても、愛せないことがあるからだ。イヤな奴はたくさんいるし。では〈愛〉の感情は、どうやったら、「持ちこたえること」ができるのだろう。「自分にとって愛は必要だ、愛は大事だ」と確信したとしても、現実の生活のなかではつい忘れてしまうことも多い。そして、自分の心のなかに、妬みやそねみや、あせりが再び渦巻いてくる。

 

ヘーゲルが「宗教」を必要とするのは、そのためだ。祈りのなかで、人問は〈愛〉の感情を再び思い出す。「信じる」ことが、人問をニヒリズムから救う。〈神を愛するということは、超越的な神という独立した存在を愛するのではない。自分が無限なものと「ひとつ」であると感ずることだ。〉――こうして、それにふれて〈愛〉を想起するものとしての宗教、愛の宗教へとヘーゲルは至りついた。

 

この草稿を書いてまもなく、ヘーゲルはイエナ大学で教授職についていたかつての友人シェリングに手紙を書き、就職を依頼し、哲学者への道を歩み出す。「愛の宗教」による人間解放という、ようやく手にした道筋は捨てられる。まず、〈愛〉が捨てられ、続いて〈宗教〉も捨てられていく。愛でもなく、宗教でもなく、〈哲学〉こそ、彼の求めるものとなる。

 

なぜヘーゲルはそうしたのだろう。ひとつには、彼が犯罪者に託しつつ語った「愛の蘇り」という「気づき」のプロセスを、きちんと論理化する必要に迫られたからだ。信仰のなかには、「自己と無限者の一体」の感情がある。キリスト教においてもそうだ。けれど、信仰する者はそれを知らない。信仰において実際は〈愛〉を想起しているのに、そう自覚してはいないのだ。だから、やはり「超越的な神」が片方に存在し、それを自分は信じているというふうに思い込む。そこに、宗教の本質たる愛が失われて、単なる権威信仰になりさがっていく余地がある。とすれば、宗教というかたちではなく、人間が自分のなかに「肯定的なもの」の存在を自覚していくプロセスが追求され、語られねばならないことになる。(彼の初めての哲学的主著、『精神の現象学』はこの課題に答えようとしたものだが、そこで彼の語ったことが、「愛の蘇り」と同じなのか、ちがうのか。このことは稿を改めて。)

 

もうひとつ。ヘーゲルが〈愛〉を語ったとき、そこに「世界を救う原理」という過大な意義を負わせていた、という理由がある。ヘーゲルにとって、分離・分裂は、解消され「ねばならず」人々は和解しあわ「ねばならない」。完全な和解が生じた世界を、ヘーゲルは求めたのだ。そこからすると、〈愛〉の原理は弱すぎる。〈愛〉は感情における一体化でしかなく、その及ぶ範囲は小集団にとどまる。しかし、愛の外側には現実の市民社会があり、互いがしのぎを削る世界である。では、どうすればよいのか。

 

結果から言うと、ヘーゲルはそういう現実を繰り込みつつ、和解を無理やりに達成させようとしたのだ。つまり、「和解はすでに達成されている」と強弁したのである。哲学者ヘーゲルの最後の主著、『法哲学』において出した答えは、〈人間は市民社会では分裂しているが、国家においてはちがう。人間は自分を国家と一体のものとして知る。人問同士の和解は、国家において与えられている〉という、ひどく奇形的なものだった。

 

しかし、愛は、「世界を救う原理」でなければならなかったのだろうか。愛は「感情における一体化」でしかない、とヘーゲルは突き放したが、そう語ったとたん、世界を救うための「有効性」という観点が入り込んでいる。けれど、彼が「犯罪者」について語ったときはそうではなかった。「犯罪者」は、世界を救うためではなく、「自分が生きることにとって」、愛という肯定的感情が不可欠であること、を了解するのだ。

 

とすれば、「どうやったら人々の間の和解は達成され、世界は救われるか」ではなく、「〈愛〉の心を自分のなかに保ち続け、豊かに育んでいくにはどうすればいいのか」と問うべきなのだ。その点でヘーゲルは誤ったのだ、とぼくは思う。

 

しかし、この課題は、難しい。うまい解答をポンと与えるなんてできそうもない。だが、宗教の本質を「愛の想起」に見ようとした若きヘーゲルの試みは、この課題に対するひとつの答えを示していると、言えるように思う。



哲学者たちの宗教論
 


Aルソーのモラル論・宗教論



今回は、へーゲルよりも少し遡って、ジャン=ジャック・ルソー(一七一二―一七七八)の宗教論を取り上げてみたい。
 ぼくはこのところ、ルソーを夢中になって読んでいた。読み始めたきっかけは、「もう一度近代の民主主義の思想を読み直してみなくちゃいけないな」と思ったからだ。
マルクス主義がつぶれてしまったあと、それに代って「社会の制度はどうあるべきなのか」という問題についての一貫した考え方は、いまのところまったくでてきていない。橋爪大三郎さんの『冒険としての社会科学』(毎日新聞社)は、近代民主主義の考え方をすばらしく明晰にとらえ直した書物なのだが、この本にも刺激されて、ルソーを読んでみることにしたのである。
そうしたら、ルソーはただ「社会制度」を論じただけの人ではなかった。人問というものに対してとても深い洞察を持っていて、そこから、民主主義という制度の必要性と意味とを考えた人だということがわかってきた。『社会契約論』だけを読むとはっきりしないけれど、他の著作も併せて読むと、ルソーの著作はすべて、「人間がニヒリズムに陥らずに、生きる意欲を持ち続けていくためには、どういう条件が必要なのか」という一点、そこから書かれているのである。ルソーの祉会論、教育論、道徳論、そして宗教論も、すべてそこから生まれたものと言いきってもよいと思う。
そして、このルソーの考え方は、八十年代を席捲したポスト・モダニズムに抜け落ちていた部分、つまり「道徳」(モラル)論と「杜会制度」(ルール)論を考えるにあたって、とても重要な意味を持っている、とぼくには思えたのだ。


ポスト・モダニズムの思想は、「社会に尽くせ」というような、マルクス主義の道徳的な考え方をとことん批判することに力点があった。「神」や「善」や「杜会」などの、なにか固定的な理念に対して献身を求めるような考え方の背後には、自分を大義によって正当化し、自分をまわりの人間よりも「高い」ものとして示したいという汚らしい欲望がひそんでいる、というわけだ。そして、道徳的な生き方に対して、とことん快楽を追求するエロス的な生き方こそ正しい、とされる。
たしかに、固定的な理念に対して献身を求めるような考え方、それはよくない。けれど、人間のなかの道徳心の存在を、すべて否定できるのだろうか。たいていの人間のなかには、「ゆえなく他人を傷つけたりしたくない」とか、直接利害の関係のないところでも、だれかが抑圧されたり犠牲になったりすることに対して憤りを感じたりする心がある。そうぼくは思うのだが、そういう心、つまり「モラル」の領域は、すべて汚らしい欲望だとは言えないはずだ。
また、ポスト・モダニズムは「快楽のラディカリズム」の思想だから、社会制度を基本的に悪いものだと考える。〈人間はもっともっと快楽的になっていくはずの存在だ。しかし、家族制度と社会制度は、人間の欲望を封じ込めてしまう〉というわけだ。けれど、「じゃあどうやって社会のルールをつくっていったらいいんだろう」「どういう制度がよりよい制度といえるんだろう」という問いには答えてくれない。
要するに、ポスト・モダニズムの思想には、個人の内的な「モラル」と社会の制度的な「ルール」に関する思想が欠落しているのだ。では、ルソーは、この両者についてどのように考えたのだろう・そして、この両者はルソーのなかでどのようにつながっているのだろう。


ルソーには『エミール――教育について(一七六二)』という著作がある。これを中心にして、彼のモラルと宗教に対する考え方をひろってみよう。〈自己愛〉・〈自尊心〉・〈あわれみ〉、これが彼のモラル論の三つのキー・ワードである。

〈自己愛〉
近代哲学をみると、デカルトにしてもカントにしても、〈利己的〉でなく〈利他〉的であれ、情念〈感情や欲望〉を退けて理性的であれ、と言う。けれど、ルソーは、〈自己愛〉を人間にとってもっとも根本的なものとみる。理性よりも、〈自己愛〉という情念のほうが根源的なのである。

私たちの情念の源、他のすべての情念の起源にして原理であるもの、人間とともに生まれ、生きているかぎりけっして人間を去ることのない唯一の情念、それは自己愛である。それは、原始的な生得の情念で、他のすべての情念に先行し、他のすべての情念はある意味でその変形にすぎない。  『エミール』

赤ん坊は、不快なものを避け、快なものを求める。自己保存のために、自己愛という情念が与えられているのだ。そして、自己愛があるからこそ、自分の欲求を叶えてくれる他者、母親や乳母に愛着をもつようになるのである。この最初の愛着はまだ本能的なものだけれど、次第に「害をくわえたり、役にたったりしようとする明らかな意図」の存在を子供が知るようになると、ほんらいの愛情(憎悪も)が生じてくる。さらに、想像力が働きはじめると、世界には自分と同じような人間がいることを知り、その人問が苦しんでいるのを見ると自分もまた苦しくなる、という〈あわれみ〉の情が芽生えてくる。――このように、ルソーは他人に対する愛情や〈あわれみ〉の情を、自己愛の変形過程として語っているのである。
ルソーにとって、自己愛は自己保存のために必要な根源的な情念であり、だから「つねによいもの」である。しかし、自己愛が〈自尊心〉に変質してしまうとき、それは「よくない」ものになる。

〈自尊心〉
自尊心とは、他人と自分を比較して、自分のほうをより優れたものにしたい、という感情だ。だから、「名声」を求めることでもある。このような、「他人よりも強くありたい」「他人よりも目立ちたい」「他人よりも愛されたい」という感情が強く働くなら、他人に対する〈あわれみ〉や同情心は損なわれてしまうだろう。また何よりも、「他人より優れたものでありたい」という欲求には際限がない。この欲求に苛なまれているかぎり、心の平安はなく、幸福もない。――こうルソーは語っている。正式な教育を受けたこともない彼が、若い時に、フランスの貴族のサロンのなかで自分の才能を証明しようとしてやっきになっていたことが念頭にあるのかもしれない。彼の言葉には、こういうものもある。

未開人は自分自身のなかで生きているのに対し、社会人は常に自分の外にあり、他の人々の意見のなかでしか生きることができないのである。そしていわば、彼は自分自身の存在の感情を、他人の判断のみから引き出しているのである。『人間不平等起源論』

この言葉に、後の十九世紀の実存的思想家、キルケゴールを思い出すひともいるかもしれない。キルケゴールは、自分自身の存在をみつめようとせず、つねに他人の評価から自分を計ろうとするような態度を批判していたのだ。ルソーは、人間の幸福と不幸について、「わたしたちの欲望と能力との間の不均衡のうちにこそ、私たちの不幸がある」と語っている。私たちの欲望が際限なく駆り立てられる、もっと名声を得たい、もっと優れた存在になりたい、というふうに。しかし、実際に自分の能力がそれに追いつかないとき、絶望と不幸が人を襲う。
ルソーのデビュー作、『学問・芸術論』のなかで、彼が「知識」や「学問」を厳しく批判しているのも、同じ見方によるものだ。学問は人をほんとうに幸福にはしない。学問世界のなかで知的上昇をめざすことは、当人を傲慢にするか、卑屈にするかだ。本当に大事なのは「自己へのたちかえり」である。自分自身に帰ること。「自分にとって」本当に大切なものを知り、それに従って生きようとすること。これこそが大事だ。
――このように考えるルソーにとって、〈自尊心〉こそ人間の不幸の源泉である。だから、「自分を他人と比較すること」をなるべく避けて、不毛な欲望に駆り立てられないようにすることが、『エミール』での教育方針の一つの柱となる。

ぼくはルソーの発想はとてもよくわかる。ぼくもまた、自分が苦しいときには、「自分にとって大事なこと」をもう一度確かめ直して生きる、というやり方をとってきたからだ。けれど、人間にとって、「他人から認められたい」という欲望もまた、本質的なものだと思う。それが不毛な、自分をむしろ貧しくさせるものになってしまう場合もあるけれど。学問の営みは、「他人とはちがった新しいことを言ってやりたい」という野心がないならば成立しないし、芸術の世界もそうだろう。そして、そのこと自体は非難さるべきことではないのだ。学問の営みや芸術の営みが、一般の人々の抱える問題や困難から完全に遊離したものになるとき、はじめて非難されていいし、非難されるべきなのだ。学問や芸術でなくても、私たちは、なんらかの競争を含むゲームのなかに投げ入れられて生きる。野球選手になり
たい、とか、ピアニストになりたい、という欲望がその人を生かすのだ。そして、なんらかのゲームを一切なくしてしまって、「自足」の心境に至ることは、人間にはおそらくできない。(橋爪大三郎さんの意見によると、仏教ですら、「悟りをめぐるゲーム」なのである。)とすれば、社会に制度的に存在するゲームと、それに参加することの「自分にとっての」意味を問いなおすこと、つまり「自分に対するゲーム」との、いわば交点として、〈生きること〉のイメージを描くことができるような気がする。そして、その交わる場所から、少しずつ社会的なゲームの質を変えたり、なんらかの新しいゲームを創出していくこと、それだけが人間にはできるし、それこそが重要なのではないだろうか。――しかし、このことはまた別の機会にキッチリ考えてみたい。
ルソーが<自尊心>をとことん批判し、抹消しようとする点に、ぼくはやや違和感をもつのだが、ルソーは「社会にとって」や「神にとって」ではなく、「個々の人間にとって」という視線から、幸福や善や社会を考え直そうとしている。そこがぼくにはとても刺激的なのだが、では、先ほど出てきた〈あわれみ〉についてのルソーの語り口を見よう。

〈あわれみ〉
人間は最初は自分によくしてくれる周りの人々に対して愛情をもつ。そして想像力の働きがめざめるにつれて、その範囲は直接の人々を越えていく。そこで、ルソーが教育論として配慮するのは、その〈あわれみ〉の情が広がっていくようにすることだ。そのためには、彼は「人間がどういう場合に〈あわれみ〉を持つか」についての原則(格率)を二、三挙げている。
第一の格率は、「人間の心は、自分よりも幸福な人の立場に身をおくことはできないが、自分よりもあわれな人の立場に身をおくことはできる」というものだ。「あわれみは甘く、羨望は苦い」とも言っている。もちろん、人間を非難して言っているのではない。人間はそういう生き物なのだ。とすれば、教育としては、高い身分や金持ちを羨ましいと思わせてはいけない。国王でも貴族でも、皆が人生の苦しみや悲しみ、不幸にさらされていることを示してやらねばならない。
第二の格率は「人は、自分自身もまぬがれられないと思う他人の不幸だけをあわれむ」である。だから「無数の思いがけない不可避の出来事が一瞬ののちに彼をそこへと落し込むかもしれないこと」、そういうことを十分に理解させなくてはならない。
さらに、「自分の能力に余裕があるときだけ、人間は他人をあわれむことができる」。「苦しんでいる最中には自分しかあわれまない。(中略)だれでも、現に自分に必要でない感受性だけを他人分けあたえるのだとすれば、あわれみというものはきわめて快い感情でなければならない。それは私たちがいい人間だという証拠だからだ。」このルソーの語り方は、すごく独特だ。まず第一に、「あわれみを持て!」と命令する道徳的な語り方から、完全に切れていること。ルソーは、「こうあるべきだ」ではなく、あわれみの情が広がっていくための「条件」について思考するのである。教育論として成功しているかどうかは別として。第二に、「あわれみ」の情が、それを抱く当の個人にとっての意義から考えられていること。あわれみは神が命ずるから、また、社会にとって必要だから、重要なのではない当人にとって嬉しいから重要なのだ。逆にいうと、「自分がいい人間だ」とどうしても思えないならば、その人は自分を肯定することができないだろう。自分の親しい人を傷つけてしまったときは、だれだって「悪かったな」と思うだろう。「善さ」とは、人間が自分の生を納得して生きる上で、ある意味で欠かせない要件なのだ。

この、自分が生きる上で「善さ」が必要だ、という観点は、ルソーが宗教について語るところで、その意味がもっとはっきりしてくる。『エミール』のなかの、「サヴォアの助任司祭の信仰告白」という章で、ルソーは自分の生涯を振り返りながら、こう語り出す。
ある青年(=ルソー)が、イタリアのある町で窮乏のどん底にあった。ばかげたことをした結果、故郷を離れて逃げ込んできたのである。パンにありつくためにカトリックに改宗し(ルソーはもともとカルヴァン派のプロテスタントだった)、改宗者のための救護院に入る。そこでは、ばかげた教理や風習がおしつけられ、不平を言うと罰せられ、罪人扱いされた。「はじめて暴力と不正をくわえられたとき、経験のない若者の心がどんなに腹立たしい思いをさせられることか。」
 だれも彼の言うことを聴いてくれなかったが、ある聖職者が逃亡の手伝いをしてくれた。青年は幸運の影がさしてくると聖職者のことも忘れたが、また失敗してしまう。
「絵空言ばかり考えていたためになにもかもだめになってしまうのだった。平坦な道を開いていくだけの才能も手腕もなく、中庸を守ることも悪者になることもできなかった彼は、いろいろなこと願っていたために何事にも成功しなかった。」彼はまた恩人のことを思い出して、そこに行く。聖職者は彼が立ち直るのに力を尽くしてくれた。
聖職者は注意深く青年を観察した。「めぐまれない境遇のために青年の心はすでに傷ついていること、侮辱され軽蔑されてかれは勇気を失っていること、かれの誇らしい気持ちはにがい恨みに変わっていて、人々の不正と冷酷のうちにひたすら人間の本性の悪を示し、美徳は幻影にすぎないと教えていること、そういうことを聖職者は知った。」(つまりニヒリズムに染りつつある青年だったわけだ。)
 この聖職者は、まず青年に「自分自身に対する尊敬の念」をめざめさせようとした。書物を与え、「自分はよいことはなにもできない無用な人間だとは考えさせないために」自分自身に対する評価を回復させようとしてくれた。この聖職者の美徳には偽りがなく、いつもまっすぐな言葉と行動を示した。青年は彼を尊敬するようになり、「どういう原則の上に彼は生活しているのか」を知りたくてたまらなくなった。
あるとき、聖職者は青年に語る。そしてこの「信仰告白」が始まるのである。

聖職者自身も、若い時に、娘に子供を生ませてしまって逃亡し、ニヒリズムに陥っていた時期があった。「悲しい事実によって、正しいこと、誠実なこと、さらに、人間のあらゆる義務について、いだいていた観念をひっくり返されるのをみたわたしは、それまで受け入れていた見解(=カトリックの教義)を毎日一つ一つ失っていった。(中略)わたしは不確実と疑惑の状態にあった。(中略)あの混乱と不安の時代のようにいつも耐えがたい生活を送っていたことは二度とない。)
 哲学者の書物も読んだが、それらはすべて断定的・独断的で、体系を立てて他人よりも抜きん出ようとしているだけだった。だから、彼は「内面の光に教えを乞い」つつ、自らの推論によって、自らの「信仰箇条」を語る。彼はまずこう述べる。
〈神は存在し、かつ善なる意志である〉――外からの働きがないかぎり、物質は運動しない。だから、宇宙を動かす第一原因としての意志があるはずだ。そして、自然の光景は調和と均衡を示している。その創り手たる神は善であり賢明であるはずだ。
しかし、「自然の光景は調和と均衡を私に示していたのに、人類の光景は混乱と無秩序を示すだけである。」これはどういうわけだろうか。
〈神は人間に自由を与えた。自らの自由な意志で善をなすことを望むからだ。その証拠に、誰の心の奥底にも、生まれつき良心が存在しているではないか。〉


聖職者はこう語ったあとでさらに、カトリックやプロテスタントやイスラム教などの信仰の根本はこれらの信仰箇条と同じものであること、この信仰箇条以外のことは「習慣」なのだから宗教的な非寛容はよくないこと、を述べていく。この、まったくの「推論に従った」宗教、宗教の根本にあるものを、ルソーは「自然宗教」と呼んでいるけれど、それにはどういう意味があったのだろう。私たちからみると、神の存在も、善性も、自由も良心も、たんなる理屈に見える。けれど、ルソーにとっての意味はそうではない。
ルソーは、ヒネた少年だった。正式な教育を受けたことはないけれど、幼い頃から読書家で、頭がよくて、知的な優越性に自信を持っている。だからこそ、世の人々の心理の裏読みにも長けていて、〈しょせん、連中は欲と思い込みで生きているのさ〉と思っている。反発が生きる意欲を支える、という構図。だから、美徳も善いことも信じない。
 しかし、ルソーのことを本当に気遣ってくれる司祭さんに出会った。ルソーは、自分と人間に対する信頼を少しずつ取り戻す。〈どんな人間の心のなかにも、良心があるんだ。だれだって、いいことをすると、気持ちがいいものなのだ〉と思えるようになる。神の存在・生得的な〈良心〉の存在、と言うと、ただの理屈に聞こえるけれど、ルソーにとって、これらのことは自分自身と人類に対する信頼の表明だったのだ、と思う。〈人間はだれもが、「肯定的に生きたい」「よく生きたい」と願っている〉――ルソーが「自然宗教」というかたちで表明したことの内実は、この一点に尽きている。
 しかし、だれもがこう信じられるわけではない。とくに、ルソーの生きていた当時は、アンシャン・レジームの時代だった。貴族は貴族であるというだけで、様々な特権が与えられる。法律といっても、金持ちや有力者を守るためだけのものになっている。そういう場所では、人間のなかにある「よいことをしたい」「肯定的に生きたい」という気持ちが育ち、伸びていくことはできない。そこで、ルソーは〈どういう社会制度のもとで、人間の「あわれみ」が伸びていく現実的な条件があるのか〉と問わざるを得ない。そこに、彼の『社会契約論』の意味が出てくるのだ。

 次回は、『社会契約論』の論述を追いながら、「あわれみ」が育っていくための条件について考えてみようと思います。(続く)


哲学者たちの宗教論
 


B ルソーのモラル論・宗教論(その2)

前回にひきつづいて、ルソーです。予定では『社会契約論』に進むことになっていたのですが、今回は、前回充分語りつくせなかった問題を提出し、検討してみることにします。

 

 ルソーは、道徳心というものを、何かの固定的な理念への献身というかたちでは考えていなかった。つまり、「社会」とか「神」とか「善なるもの」に尽くしなさい、とはいわないのだ。 ルソーはすごく具体的に、他人に対する思いやりの気持ちとしてそれをとらえた。ルソーは、この思いやりの気持ちのことを、〈あわれみ、ピテイェ>と呼んでいるけれど、それは他者に対する共感・同感によって生じるものだった。

そして、人間が他者に対して<あわれみ>の心を感じて何かその人にしてあげられるとき、人間は喜びを感ずるものだ、とルソーは述べている。

 これは、真実だと思う。しかし、思いやりや共感を、まわりの人間たちに対してなかなかもてない場合が人間にはある。表面的にはけっこう親しくしていても、だ。ぼくが高校生のときには、そうだったように思う。当時ぼくは、いろいろと鬱屈したところがあったのだけれど、それを友人のだれにも話さなかったし、だれもぼくのことはわからない、と思っていたのだ。人間は「自分だけが不幸なのだ」と感じ、そして「まわりのだれからも理解されない」と感じているとき、「思いやり」とか「あわれみ」なんて言葉を聞いても絵空事に感じてしまう。こういう人に対して、ルソーはどう語るだろうか。これを問題1としておこう。

 

 さらに、考えるべき問題がある。ルソーは、〈あわれみ〉の範囲を押し広げていくように、エミール君を教育しようとしていた。しかし、そうした共感や思いやりを、進んで押し広げていこうとする動機を、私たちは内側に持っているのだろうか。これは二つの問題にわかれる。

 問題2。私たちは、共感や同感をおぼえるときにはごく自然に思いやりを持てる。しかし、進んで相手を理解し、思いやりを持とうと努力する意味があるのだろうか。共感を持てないどころか、「なんて奴だ、バカヤロー」と思うことも多いのに。

問題3。もし、私たちがまわりの人間に対しては共感や思いやりを持とうとして努力するとしても、身のまわりを超えた人々、世界や社会の人々に対してそういう努力をする意味があるだろうか。

 

 

 まず、問題1から始めよう。ルソーもまた、他人を信頼できずに生きていた時期があった。(前回の繰り返しになるけれど、もう一度紹介します。)ルソーの母は彼を生んだ時に死に、時計職人の父は彼が十歳のときに故郷ジュネーヴを出奔している。彼はそれ以来親戚のところに預けられたり時計職人の弟子になって酷使されたりし、ついにジュネーヴからイタリアに逃亡する。「侮辱され軽蔑されて彼(ルソー)は勇気を失っていた。彼の誇らしい気持ちはにがい恨みに変わっていて、その恨みは、人々の冷酷と不正のうちにひたすら人間の本性の悪を示し、美徳は幻影にすぎないと教えていた。」

 しかし、イタリアであるカトリックの聖職者と出会い、彼がルソーのことを心から気遣ってくれたことで、ルソーは少しずつ「人間」に対する信頼を取り戻していく。聖職者は「自分自身に対する尊敬の念」を目覚めさせようとし、「自分はよいことはなにもできない無用な人間だと考えさせないように」してくれた。(『エミール』より)

 この経験は、ルソーにとって決定的なものだった。それはルソーに、自分というものを尊敬できること(自分を愛せること)、そして他人を信頼できること(他人を愛せること)、この二つが人間の幸福にとって不可欠なものだ、ということを教えたのだ、と思う。もしルソーが、「思いやり」なんて絵空事だと言う人に向かったら、おそらく「ぼくはね、他人を信頼することが自分にとって絶対に必要だとあるとき思ったんだ」と語り出すだろうと思う(説得するのは、すごく難しいだろうけれど)。

 そしてこのことは、問題2の答えにもなっている。「他人を信頼できること」が自分の幸福にとって必要だ、という深い自覚があるとき、人は、進んで他人を理解し共感を求めようとする動機、また「思いやり」を持とうとする動機を手に入れることができる―ルソーはそう答えるだろう。

 とくに、親しい人との問で関係がうまくいかなくなってきたときには、けっこう頑張って努力する意味も必要もある。なぜなら、信頼関係が失われるのは辛いことだからだ。信頼関係が確実に何人かと結べている、と思えるからこそ、ぼくの世界は親しみのあるものになっている、そうぼくは感じているのだけれど、これはかなり一般的に言えることじゃないかな。

 次の問題3は難問だ。「私たちがまわりの人間に対しては共感や思いやりを持とうとして努力するとしても、身のまわりを超えた人々、世界や社会の人々に対してそういう努力をする意味があるだろうか。」この問題は、「個々の人間に対する信頼」とは別のレベルで、「人間一般に対する信頼」を私たちが形作れるかどうか、という点に関わっているのだけれど、これは、次回、きちんと考えて語ってみようと思います。(続く)

 

哲学者たちの宗教論

Cルソーのモラル論・宗教論(その3)

ルソーがすっかりながくなってしまいました。今回は『社会契約論』を取り上げますが、前回・前々回の内容を簡単に復習・補足することから始めていきます。

 

ルソーは、プロテスタントやカトリックの信仰が、非寛容なもの、排他的なものになってしまうことをよく知っていたけれど、宗教そのものを否定することはしなかった。宗教の非寛容な部分は「慣習」にすぎない。慣習を取り払って理性の推論だけに従うならば、「あらゆる宗教の根本にあるもの」が見えてくるはずだ。こう彼はいって、この根本にあるものを「自然宗教」(自然が与えた本来の宗教)と呼んでいる。その自然宗教の教義は、次のとおり。

 

@善なる意志である神が存在する。〜自然の調和を創り出した賢明で善なる神がおられる。
A神は人間に自由を与えた。〜各人が自由な意志で善をなすことを神は望んでいる。

Bだから、個々の人間の心の奥底には良心が与えられている。

 

この自然宗教の教義をみても、あんまりピンとこない人のほうが多いだろうと思う。ぼくの「読み」では、この教義のポイントはBの「人間には良心がある」というところにある。

〈有能な人間だけが評価される社会のなかでは、個々人は他人にたちまさろうとする過剰な《自尊心》を育て上げる。それは権力と富の不平等を生み出すことになる。しかし、どんな人間にも、不幸な人がいればなにかしてあげたいという《あわれみ》の気持ちがあるはずだ。社会の現実が《あわれみ》の心をひどく働きにくくしている。〉こうルソーは考える。

 

「人間の良心の存在」――なんてロマンティックな、甘い考え方だろう、そう感じる人も多いと思う。ルソーのなかにあったのは、人間をクズだと思いたくない、人間に絶望したくない、という願いのようなものだ。人間を愛し、信頼したいという気持ちこそ、ルソーの思想の根っこにあってそれを支えているのである。しかし彼は、「人間の善性を信じましょう」と叫んだり、「人類愛」を説教したりはしなかった。そんなことをしても、アンシャン・レジーム(一七八九年のフランス革命前の絶対王政を中心とする封建的な旧体制)の現実のまえには無力であることを、彼はよくわかっていたからだ。

 

このことをよく示している文章が、『社会契約論』の準備草稿(『ジュネーヴ草稿』と呼ばれているもの)のなかにある。そこでは人類愛を説く「賢者」と、自己の利益のみを追求する「独立的な人間」とが登場する。賢者は独立的な人問に対して、「社会の法を守れ」「一般の福祉を考えよ」と説教する。けれど、独立的な人間は納得しない。〈私が自分の利益を他人の利益と折れ合うように努めたところで、むなしいだけだ。皆が法を遵守するのだったら意味もあるだろうが。強者が私に加える悪に身をさらしたままでいる、なんてバカな話があるか。だったら強者を自分の味方にして、弱者からの横領品を強者と分かち合うほうが、私の利益にとっても安全にとっても、正義よりは役立つだろう。〉

 

では、どうしたらよいのか。そこにルソーが登場して、『社会契約論』の構想を彼に示そうとする。「いっそうすぐれた事物の構成のもとでは、善行は酬いられ、悪行は罰せられ、正義と幸福の魅力的な合致があること」を、彼に、見てもらおう。すると「彼は見かけの利益よりも十分に納得のゆく利益のほうを、優先させることを学ぶだろう。(中略)そして、彼がそうあろうと望んでいた残忍な盗賊から、十分な秩序を持つ社会のもっとも堅固な支え手へと変身するであろう。」

 

「正義と幸福(利益)の合致」。ルソーはこれをめざす。正義が現実の利益をまったく無視するならば、それは聖人にとってだけ可能なことになる。そうではなく、利益と正義がともに可能になるようなかたちでしか、人々のなかの〈あわれみ〉は働き得ない。つまりルソーは、〈どういう社会的条件のもとなら、利益と正義が合致し、人間のなかの《あわれみ》が広がっていくことになるのか〉と考えるのである。

 

この思考は、『社会契約論(1762)』というかたちで結実する。しかし、『社会契約論』にはもう一つ、〈自由〉という大きな柱がある。このことについても簡単にふれておこう。ルソーのいう自由とは、「自分に関わること一切を自分で決められること」である。彼は自由の大切さを強く訴えた。それは、自由の裏側に「自主独立の誇り」を彼が直観していたからだ。個々人の自由が尊重されてこそ、個々人は自主独立の誇りをもつことができる。権力者や富者にただひたすら奴隷的に従うならば、人間の誇りは傷つけられてダメになってしまう、と彼は強く感じていたのである。

 

〈あわれみ〉と自由を取り戻すという二つの課題。この課題はじつは深く結びついている。自由があってこそ〈あわれみ〉は働きうる、という発想がルソーのなかにあるのだ。では、『社会契約論』のなかに入り込んで、自由と〈あわれみ〉の連関についてルソーがどう考えていたかをみてみよう。

 

※『社会契約論』の骨格

『社会契約論』の骨子を、ごく簡単にまとめてみます。

@    国家は、〈社会契約〉によって創られたものであり、その目的は成員の共通利益を守り推進するためのものである。

A    国家は、明文化されたルールであるが支配すべきである。

B    法は、国家の成員の共通利益を体現するものでなくてはならない。したがって、法のもとでは全員が平等であり、特定の階層や集団に義務や特権を与えてはならない。

C    法は、人民集会の決議によって創られる。

「なんだ、教科書に書いてあるようなことじゃないか。」そう思った人もいるだろう。「これは民主主義のタテマエさ。じっさいそんなふうには現実は動かないよ」とも。けれど、ルソーはタテマエを論じようとしたのではなく、法と政治がほんとうに共通利益を体現するようなものになることを期待したのだ。もし、国家がそのように営まれるならば、そこでは、自由と平等と〈あわれみ〉とが実現されるだろうから。

 

なぜなら、そういう国家では、一部の特権的な階級の創った法にただ従わされる、なんてことがなくなるからだ。そこでは、自分たちで法を創って自分たちで従うのである。これこそ、自治であり自由だろう。(法に規定されていること以外の自由が与えられているのは、もちろん。)そして、法のもとでは、万人が平等に扱われるのだ。

 

また、法や政策が国家の構成員の共通の利益をきちんと配慮してつくられ、かつ施行されていくならば、人々は、他の成員たちにも、国家に対しても、「信頼」をもつことができる。そうしてはじめて、個人は自分の利益だけでなく、同時に他人の利益をも配慮するようになるだろう。逆に、いかに民主主義的国家の体裁を整えていても、実際には法や政策が強者に有利なようにしか働かないならば、個人は他人の利益を配慮したりはしないだろう。「自分たちで決める自由」も名ばかりになり、人々は強者や政治家にうまく取り入って、自分の分け前を掠め取ることを考えるだろう。

 

つまり、自由と〈あわれみ〉の実現は結びついている。自分たちで法をつくり改正する自由がじっさいに保証されているかどうか。これが保証されないならば、人々が互いの「共通の利益」を考え合うこと(〈あわれみ〉の実現)もなくなるだろう。また、法と政治が「共通の利益」を真に体現しなければ、〈あわれみ〉も育たず、自由もなくなるだろう。つまり、法をつくる自由が共通利益の実現と固く結び合わされてはじめて、自由と〈あわれみ〉は甦り得る。そのためには、どうすればよいのか。

 

ルソーは二つの方向で「戦略」を立てている。一つは、様々な制度的な工夫をすることだ。例えば、「人民集会」では自由な発言の権利がきちんと保障されなくてはならない。集会が一部の人々にコントロールされないためである。また、人民集会においては、政府の構造をどうするか、行政をまかされている人々を支持するかどうか、が必ず議案として提出されねばならない。これは政府の暴走を防ぐための方策だ。その他にも様々な工夫がなされている。

 

もう一つの戦略は、人々のなかに公民としてのモラルともいうべきものを植えつけることだ。ルソーの力点はむしろこのほうに向かっている。

 

※〈一般意志〉と公民的モラル

ルソーは、いちばん最初に人々の取り結ぶ「社会契約」の内容を次のように定めている。

〈各構成員をそのすべての権利とともに、共同体の全体に対して、全面的に譲渡すること。〉

〈われわれの各々は、身体とすべての力を共同のものとして一般意志の最高の指導の下に置く。〉
『社会契約論』第一編第六章

ルソーはなぜ、こんな言い方をしたのだろう。能力・財産・自由といったすべての権利を共同体に委ねる、というところに私たちは抵抗を感じるし、そしてそれら一切が〈一般意志〉なるものの指導下におかれるとなると、「個人はどうなるんだ」といいたくもなる。だから、ルソーの考え方は〈一般意志〉の専制であり、一種の全体主義である、と多くの人たちが批判してきたのだ。

しかし、はやとちりしないで、ていねいに考えてみよう。この契約条項は、公民的モラルをどう創り出すかという課題から考えてはじめて、理解できるものになる。

まず、〈一般意志〉とは何だろうか。ルソーはそれを「共同体(=国家)の意志」という。「人々が契約によって結合すると、そこに共同の自我と生命と意志が生まれる」ともいっている。だから、まるで国家が独自の意志をもち、それに個人はひれ伏さねばならないようにも聞こえてしまうのである。しかし、国家はもともと「共通の利益」(より正確にいうと「各構成員の利益の共通部分」)を守り推進するために創られたものだった。だから、国家の意志たる〈一般意志〉も、共通の利益を守り推進しようとする意志を意味し、それ以上の含みは一切持っていない。しかも、それは人々の頭上に君臨するものではなく、あくまで「人民の集会」において表明され、「法」として具体化されるものなのである。

したがって、「〈一般意志〉の指導に従います」という契約こそ、〈一般意志〉の専制どころか、先ほど述べた「自治」を意味することになる。つまり、〈以後、「共通な利益」のために必要な法律については、自分たちで創ります。そして決定した法律には従うことにします〉ということなのである。

〈自分たちで法を創って自分たちで従うこと〉。このみずから法を定める自由のことを、ルソーは「倫理的自由」とも呼んでいる。そして、この「倫理的」という言葉には、ちゃんとワケがある。民主主義がうまく働くためにはただ制度を移植するだけではだめだ、ということを、ルソーはよく知っていた。「自分の利益だけから法をつくるのではなく、共通利益とは何かをちゃんと考えて法をつくる」というモラル、また「決まった法が共通利益を体現しているかぎり、それにはきちんと従う」というモラルが必要なのだ。そのような、公民としてのモラルが人々のなかに気風として、習慣として育っていなければ、民主主義も自治もうまくいかない。だから、ルソーは、自治=自由が「倫理的」なものである、というのである。

 

 

〈一般意志〉の指導に従うとは「自治」を意味する、これはわかった。でも、なぜ〈一般意志〉に、能力・財産・自由のような一切のものを譲り渡さねばならないのだろう。しかし、これは譲り渡してそのまま、ではないのだ。

社会契約以前に個々人が占有してきた土地について、ルソーはこういっている。契約の結果、土地はすべて共同体のものになる。しかし共同体は、それを「合法的な占有」=「所有」に変えて、個々人に返還する。「彼らの権利は国家の全構成員から尊重され、外国人に対しては国家の全力をあげて保護される。」こうして、単なる占有が社会的に承認された所有に変ることになる。

 

ここが、社会契約論の先輩、ロックとはっきり異なる点だ。ロックの場合には、所有・生命の安全・自由の三つを、〈自然権〉=個々人にあらかじめ備っている権利というかたちで設定している。そしてそれらは、人々の間で尊重されねばならないだけでなく、政府も絶対に犯してはならないものなのだ。これは、政治権力が個々人を抑圧することを防ぐための、とてもうまい工夫だったといえる。歴史的にいうと、この〈自然権〉が〈人権〉と名前を変えて、そのなかに様々な項目(言論の自由など)が含まれて拡大していくことになった。

だからルソーは、ロックの〈自然権〉の思想を知っていたのに、あえてそれを採用しなかったことになる。その理由は二つある。

一つは、「あらかじめ与えられた権利」という考え方を、ルソーが退けたからだ。権利は、自然や神が個々人に与えたものでもなく、個人の内側にあらかじめ存在するものでもない。むしろ、権利は社会的な承認に基づくものと考えるべきだ。所有を犯されないということが、国家の構成員の共通の利益であり、したがって〈一般意志〉であるからこそ、所有の「権利」が成立する。ルソーはそう考えるのである。(権利を社会的な承認に基づくものとみなす考え方を、のちのへーゲルも受けついでいる。)

もう一つの理由、こそ、「公民的モラル」に関わるものだ。土地をいったん共同体に譲渡した上で受け戻す、という論理からすれば、〈自分の土地が「自分のもの」であるのは、共同体の力によって守られているからこそなのだ〉ということになるだろう。生命についても同じことになる。「彼の生命はもはや単なる自然の恵みではなく、国家からの条件つきの贈物である」とルソーはいう。つまり、この論理によって、ルソーは、私的な幸福が共同体によって支えられていることを、構成員の一人一人に自覚させようとしたのである。

それは、共同体(=国家)に必要なかぎりで協力し貢献しようとする心構え(モラル)をつくりだす。つまり、政治に必要な経費を差し出すことと、いざというときに国家を守るために戦うことだ。

とはいっても、まったく恣意的に財産や生命が取り上げられたり、無際限な貢献を要求されるわけではない。人民集会が共通の利益のために必要不可欠とみなし、法として決定したものだけを提供すればよいのだ。そして、法のもとでの平等という原則がある以上、特定の階層だけに負担をかけることはできないのである。戦争の場合でも、「法によって危険に身をさらすことを求められた場合」には従わねばならないのだ。ルソーははっきりと、「主権者の側は、共同体にとって不必要ないかなる束縛をも臣民に課することはできない。いや、そう望むことさえできない」と述べてもいる。しかし、国家が独走し始めた場合のハドメがない、と考える人もいるだろう。たしかに「人権」の設定はそういう場合にこそ有効なのである。ルソー自身は「法のもとでの平等という原則」があるのだから、自分で自分の首を絞めるような法律をつくったりはできないはず、と考えていた。

 

さらに――この点はぼくの解釈なのだが――個々人の幸福が共同体に依存しているという考え方は、「貢献」への心構えだけではなく、政治に対する高い関心をも生み出すはずである。個々人は自分の利益と幸福とを求めるものだが、個人の幸福は政治と法とが公正に営まれているかどうかにかかっている。政治をひとごとのように感じていると、だれかがいつのまにか政府を纂奪して、〈一般意志〉の名のもとに自分の利益を推し進めるかもしれない。だから、〈政治をきちんと見張って、それが共通利益を実現するようにたえず気づかっている〉というモラルが必要になる。この点をルソーは明言してはいないけれど、国家との結びつきを自覚させようとする論理は、国家を神聖化することではなく、むしろ自覚的に営まれる政治を創り出すための条件としても考えられている、とぽくには読める。

まとめておこう。ルソーが創り出そうとした公民的モラルとは次のようなものだった。

@   自分の利益だけから法をつくるのではなく、「共通利益とは何か」をちゃんと考えて法をつくること。
A    決まった法が共通利益を体現しているかぎり、それにはきちんと従うこと。

B    
法に定められた限りで、財産を提供し、生命を危険にさらすこともいとわないこと。

C    政治をきちんと見張って、それが共通利害を実現するようにたえず気づかっていること。

 このようなモラルは、今まで見てきたように、「すべての権利を共同体に譲渡した上で〈一般意志〉に従う」という契約から生み出されるのだった。だから、この契約をよく理解し、「社会契約の神聖さ」(国家の神聖さ、ではないことに注意)を肝に命ずることが公民的モラルの基礎になる。その意味で、彼の『杜会契約論』自体が教育的書物なのである。

 

しかし、このような政治の原理の理解がそのまま気風や慣習を生み出すわけではないことを、ルソーはよくわかっていた。そこでルソーは、〈公民的宗教〉なるものを構想してもいる。その内容は、先に述べた自然宗教の教義に「社会契約の神聖さ」という項目をつけくわえたもので、ここからみても、公民的モラルを定着させようとルソーが腐心していることがわかる。

 

※『社会契約論』の構想をどう受けとめるか

国家と個々人とを強く結びつけようとするルソーの考え方、とくに、場合によっては命を投げ出すことを求める点に、懸念を感ずる人がいるかもしれない。私たちは、ナショナリズムの高揚と世界大戦、また、ファシズムの恐ろしさを知っているからだ。

ルソーの生きていた十八世紀においては、国家と国家が争い合うことがごく普通であり、彼のなかに外敵に対して身を守るのは当然という感覚があったのは事実だ。しかし、ルソーを単なるナショナリストと考えると、『社会契約論』の意味が消えてしまう。

 

ルソーの考えでは、国家は「個々人に優越する全体」でも、「血縁や民族や文化の共同体」でもない。彼が創り出そうとした国家は、「構成員が互いの利益を配慮しあう共同体」なのである。ちょうど、自発的に創られたサークルがうまくいっているときのように、国家を構成員による「自覚的・自発的な形成物」にしようとすること。ここにルソーの狙いがあった。

国家をそういうものとしてうまく動かすために、彼は「社会契約」と「公民としてのモラル」を強調する。これは「国家というのは、互いの利益を配慮しあう共同体なんですよ。そう約束して国家をつくった以上、ちゃんと共通利益を考えて法をつくらなくていけません、そして、決めた以上は守らなくてはだめです、もちろん政治にはちゃんと関心を持ちなさい」ということだ。つまり、「最初の約束」をきちんと理解することが大事、とルソーは強調したのである。だから、ルソーの路線を現代に受けつごうとするなら、例えば学校教育で徹底して「民主主義の原理」と「公民としてのモラル」を叩き込む、という啓蒙の路線になるだろう。

しかし、この公民的モラルにまったくリアリティを感じないどころか、反発する人もいるはずだ。

そもそも、国家の場合には小さなサークルとはちがう面がある。サークルをつくる場合には、ひとつの共同体に属することにみずから「合意」したのだ。でも、私たちはたまたま日本に生まれたのであって、「ひとつの国家に属することの合意」を宣言したわけではない。つまり、社会契約はその意味ではフィクションなのである。

しかし、じつは問題なのはそのことではない。社会を少しずつでも動かしていける、という回路も実感も私たちにはあまりない、つまりみずから法をつくり改正する自由が実感できないことが問題なのだ。もしそう実感できないなら、いくら民主主義といっても〈自治〉とはいえない。だから、「社会契約」もまったくのフィクションと感じられることになる。「社会のことなんか、関係ないよ」という気持ちになるのは、ごく自然なことだ。とくに日本社会は平和でそれなりに豊かだから、社会のことなんか考えなくても生きていけるし。

しかしこれを逆にいうと、社会を少しずつでも動かしていけるという可能性(ルール改変の可能性)が実感される、ということが重要なのだ。

ある人たちがすごく困っていて、それを訴えた。それが社会の人々に聴き取られて、なんらかの法律なり対策なりが立てられたとする。訴えた人々にとって、これは「不都合の解決」以上の意味がある。彼らにとっては、社会の他の人々に対する信頼を回復することでもあるからだ。

また、彼らの困っているところが聞こえてきて、「そりゃあまずいよ、解決しなきゃ」と思った他の人々にとっても、意味がある。だれだって自分の生活が大事だし、自分なりの目的を追求することが、いちばん大事なことだ。しかし、「できれば自分だけでなく、他人も幸せでいて欲しい」という感覚だって、まったくないわけではない。そういう思いが少しでも実現することも、一つの喜びなのだ。

かつての市民運動や広い意味での左翼運動の多くは、国家権力=大資本=人民の敵、という公式のもとにあった。そういう発想からいったん自由になって、困った問題に関して具体的に制度的に実現していけるような柔軟な運動のかたちがつくれるかどうか。例えばそういうことをぼくは考える。

「自分たちで少しでも動かせる」という自由の感覚がなければ、「自分や身の回りの親しい人々だけでなく、社会の他の人々の幸福をも願う」気持ちも、伸びていくことはできない。けれど、もし少しずつでも困った問題が解決していける、という感覚が得られるなら、他の人々の幸福をも願う気持ちも、少しずつでも広がっていくことができる。そしてこのことは、この社会に生きる人々に対する信頼の感覚、さらに、「人間も捨てたもんではないわい」という人間に対する信頼の感覚を、少しでも広げるだろう。そうなってきたとき、ルソーがいったような「ともに互いの利益を配慮しあって社会をつくっていく」という契約条項も、まったくのフィクションではなくなっていくだろう。

もちろん、このような「政治」の営みは、人々に「生きる目的」を与えるものとはいえない。しかしこれは、生きることを支えるものの一つにはなりうるかもしれない。そのためにも、どういう運動なり政治なりのスタイルがつくれるか、ということが課題となる。これはもうここでは語れないけれど、なんといっても「言葉」を発するスタイルが問題になる。共感の橋をお互いの間にかけられるような言葉をつくれるかどうか。また、政策なり法律なりの実現可能性に対して考慮できるかどうか。おそらくそういうことが問われるはずなのだ。ルソーの提起した、自由と〈あわれみ〉の回復という課題は、そのまま現代の私たちの課題でもある、とぼくは思っている。


哲学者たちの宗教論