『世界という背理』について

2006/10/29 於 ぐ研 

 

(1)はじめに〜本書の全体像について

 

小林と吉本は、人間存在の抱える本質的な「問題」を問いつめた希有な思想家であり、その思想上の姿勢は、(マルクス主義思想に代表する)党派理念の問題を突き、客観主義的世界観の限界を指摘する、という同質の動機に端を発しながらも、形式論的な考察に陥り思考の足場を失ってしまった多くの現代思想(家)とは、明らかな一線を画している。

 

本書は、吉本と小林が突き当たり、(限界まで)突きつめていったこの「問題」を、「世界という背理」という言葉のもとに表現する。これが何を意味するものであるか、端的に言い表すのは難しい。本書も、その「輪郭」と「感触」自体をさまざまな角度から表現している。あえて言えば、「世界(という客観的・一般的表象)」のもとに「このわたし」という一回性の生を構成していくという、人間自身の基本的な生の条件そのものに附着する問題(つまり「世界を構成するわたしが世界によって構成される」あるいは「世界によって構成されるわたしが世界を構成する」)ということになるのかもしれない。(それは「自己」と「世界」の関係、あるいは「言語」の問題に憑かれたものにとって、時場所をこえて共通するテーマである。とはいうものの、生のありかたを所与のものとして与えられることのない近代人・社会において、とくに切実なものとして浮かび上がる。)

 

この「世界という背理」(という問題)は、「言語」「思想」「政治」(そしておそらく「倫理」)といったさまざまなレベルで展開される。

 

まず「言語」という観点から。人はどれほど個別的な思いであろうと、それを表現するためには「一般化された、共有可能な言語表現」を用いる以外の方図をもたない。穿った見方をすれば、共有可能な一般言語に開かれていく(「言語の海」「世界」に投げ出される)と同時に、そこには回収不可能な「思い」を抱え込む「わたし」(「自我」)を見いだしつつ生きる……という言い方もできなくはない。

 

「思想」においても同質の問題がある。まず「思想」の世界に足を踏み入れた人間は、先行する思想家たちから世界を見るにあたって一つのフレーム(世界像)を受け取る。しかし、そのフレームに内実を与えたり、あるいはそれを「刷新」したりする際に根拠となるものがあるとすれば、それは自らの実存が展開していく生そのもの以外にはない。(「概念」を用いた「哲学」の言語ゲームも、基本的には同様の構図をもつものかもしれない。)

さらに「政治」のステージにおいて、人は社会全体が採るべき方向性について語る。ときにそれは党派的な理想理念を形成し、多くの人の実存的自由を疎外する。だが、そうでありながら、それぞれの実存において問いつめられた「思想」が、普遍性の名のもとにその意義と価値を検証される契機は、社会という「関係」以外にはない。

(また、本書には触れられてはいないが、後の『言語的思考へ』の中で、竹田さんは「倫理」の本質を同様に「背理の構図」のもとに見いだしている。社会通念上のルールを意識しつつ、「この場で」「自分自身が」そう振る舞うことが適切なのか確信をもてず問い直しているような事態。そこに近代社会のモラル=倫理の本質があるのではないか……ということがその主張の要諦にある。)

 

客観主義的・形式論理的に「事実上」の根拠関係を明示しようとすると、この「世界という背理」の問題、すなわち「言語的存在としての人間のありよう」は解決不可能なパラドクスを生む。(「言語」が先か「思念」が先か、あるいは「主観」「客観」の一致をどのように確証していくか……という問いの立て方そのものが、この事態を「背理」として見出させる、といえるのかもしれない。とはいうものの、そうした世界像はわれわれの生活世界には深く根を下ろしている。)不動の信念と正義を築こうとする者には、(ひとたび誠実に思考するならば)決定的な挫折とその反動としての相対主義を招く。

 

だが、吉本と小林という思想家は、「問いを問う」に際する方法の原理をつかみとっていた。それは、自らのおかれた現実(宿命=取り替えのきかない自らの生の条件)を深く受け止めたうえで、希望のかたちを表現し理解し合うという「言語ゲーム」の外側に、思想の(ひいては言語行為の)究極的な目的を見いだせるものではない、という透徹した人間存在の理解に基づく。人間は「このように世界を感受している」という場所を離れて自らの思考に内実を持たせることはできない。だとすれば、世界について語る最終的な地点はそこ以外にはない。また、人にとっての「世界」が、そのように、言語ゲームによって編まれ編み替えられていく「信憑構造」としてある以上、現実の問題を氷解させるような解答は外側には見いだせない。自分にとっての、あるいは自らが織り成す関係にとっての「最善」を問い(語り)続けていく行為そのもの以外に「問題」の核心にせまる道筋はない。(そういう思想・言語への深い本質的考察がふたりにはある。)

 

ただ二人の思想家には、こうした根本的な共通点と同様に相違もある。

小林は、ものごとの本質をとらえていこうとする視点は、客観主義的、知的な世界理解、社会的価値観とは相容れ難いものであるという姿勢に頑なにこだわった。そして、自らの思想の地図の中で、「社会」「政治」という項の意義を消し去った。彼の表現活動は、自らの宿命、生き難さを受け止め、その「哀しみ」を「美」しい「カタチ」に転化(昇華)していく(ことの喜び)において展開された。そして、言葉を受け止め・伝えていく行為は、同時代を生きる一般的な他者ではなく、時代を超えてそうした「美」的体験を共有しあえる(という確信をいだく)者へと向けられた。それが彼にとって「芸術」の本質でもあった。

 

他方吉本は、「実存的経験」を抜きにして世界を語ることはできない、という基本的な立場を小林と共有する一方で、「社会」という「関係」の不可避性、「社会」と「実存」の相互連関性に視点を向ける。さらに、ときにそれは実存を疎外する党派的理念を結集させてしまうにせよ、「社会的な最高善」をめざす心情の不可避性をとらえる。そうした「最高善」があくまで「要請」としてあること、つまり「信憑」であることを意識したうえで、その「信」をめがけ続ける企投のなかに「思想」の意義をとらえようとする。

 

このように本書は、ふたりの思想家の核心、共通点と差異をめぐる考察を通して、本質的思考の原理と可能性を導き出していく。

 

◇  ◇  ◇  ◇

 

(2) 「妓生譴粒い悄廚砲弔い

▼小林秀雄の初期批評においては、バルドやデリダが「テクスト論」を通して表現すること試みた問題が、より本質的に展開されている。批評行為の動機は「作品」を読む固有の体験によって生じた「感動」が唯一無二のものである。そうした実存の現場を離れ、超越的=客観的視点から作品の一義的な意味を取り出すことはできない。(このことに照射したことに「テクスト論」の唯一無二の意義がある。)しかし、その感動を他者にむけて表現するためには、「作者」=「現実」という「仮構」「信憑」のもとに語ることが不可欠となる。テクストの「価値」、あるいは「読むことの喜び」は、読者が、「作者」という実存がひとつの事態に感応したありようへと自らの思いを重ねていくことのなかから生まれる。そうした信憑構造を抜きに、テクストの本質に触れることは不可能だ。しかも、批評の描き出す「作者」像、(作者が生きたであろう)「現実」像が決して恣意的なものではないという説得力と強度、切実さをもってこそ、それは再度「感動」をもって受けとめられていく。初期小林の論は、そうした批評とういう言語行為に対する本質的理解そのものを基軸に展開されていた、ということが語られていく。

 

(以下抜書きとそれに対するコメントです。)

 

・まず本書はふたりの批評家の「何」に照射していくのかということについて。彼らは、「言語」と「表現」、ないしは「世界像」と「実存」関係そのものの問題を掘り下げた思想家で、その点において何よりも傑出している。

……小林と吉本というふたりの「批評家」には、その登場のはじめから、自らの〈言葉という体験〉に対する稀有なつきつめが存在していた。彼らはともに独創的な思想も語っているが、わたしが彼らから強く感じるのは、むしろ自身の〈言葉〉や〈思想〉の体験に対する強固な自覚の形である。24

 

・小林のとらえる「批評」「芸術」の本質について

小林は、芸術と批評の問題に関してもっとも簡潔に語った批評家だった。彼が言ったのはただ次の三つのことである。

「作品」はあらゆる批評の原因であるということ。芸術の人間を感動させる力は決して分析し尽くせないということ。そして、批評は結局は自分の夢を語る以外のことができないということ。25

 

・作品の背景にある事実や作者の動機について想像すること、物語化することがテクストの読みを支えている。その構図は不可避であり、ポストモダン・テクスト論のようにそれ自体を否定するのは「理屈」のうえでしかできない。むしろ重要なのはその「物語」の「質」を問うていくことではないか……ということについて。

「作品」の感触(意味ではない)が、人によってもそのときによっても違ってくるというのは読み手の常識的な実感である。それがわざわざ多義性とか還元不可能性という形で強調されなくてはならなかったのは、主としてマルクス主義芸術論における素朴反映論に対するアンチテーゼとして強調される必要があったからである。……

読み手は必ず自分の感動から出発する(作品は原因である)。しかし彼は自分の感動を言い表すのにただすばらしい、面白いと言っただけでは話にならないことを知っている。そこで彼は、ごく一般には、「作品」の背後に「作家」や「現実」の存在を仮構し、「作家」の人間や信念を憶測し、その像を思い描くことを通じて、自分の感動をなんとかまずかたちに表そうとする。

このことは二重の意味を持っている。ひとつは、小林が見抜いていたように、「感動」を「作品」そのものに即して「分析」することが決してできないため(これには原理的な理由がある)、ひとはまずたいていは、「感動」の原因を、「作品」の意図、観念、構造、また「作家」の人間、時代、生き方等々といったものを動員して説明してみるほかないということだ。

もうひとつは、〈自分〉の感動を他人たちのそれと交換しあって普遍化するためには、「作品」の感動それ自体(「作品」それ自体ではない、そういったものは「物自体」と全く同じ意味で存在しない)を、人間、現実、歴史といった、ほかの人間たちと交換しうるような問題のかたちに、ひとたび翻案しなければならない、ということである。

要するに、「批評」はどういう「虚構」(たとえば「作家」、たとえば「作品の構造」)をその背後に置こうと勝手だが、とくに自分の「感動」を他人のそれと交換しうるようなかたちへと置き直す以外には成立しえない。そしてそのかたちがまた他人を動かすのでなくてはならないと、小林ははっきりと言っている……

 

一般にひとが「作品」の背後に「作家」を見、「現実」を見ようとするのは、必ずしもそれを論証する必要のためではなく、むしろ固有の感動を交換しあうための補助線としてであって、そこで描かれる「作家」や「現実」なるものはどこまでもひとつの仮構にすぎないのである。

通俗テクスト論は、テクストの背後に「作家」や「現実」を仮構することを禁じ手にして、その代わりに言葉の戯れや運動関係等々を論じようとする。しかし、……これらもまた、読み手の“感動”を表すための“仮構”にすぎないものだ。

要するにわたしたちが「感動」というものをあるがままには表記できない限り、こういう仮構は不可避なのである。そうである限り、読み手がテクストの背後にどんなフィクションを置こうと自由であり、通俗テクスト論が強調する「作家」や「現実」へのタブーは一種の強迫でしかありえない。35-37

 

「物語」(=形而上学、キリスト教、マルクス主義等々)はかつて客観的な〈真〉を所有しているという確信によって立っていた。しかし実際は、それらはすべてある観点から見られたそれぞれの「解釈」でしかあり得なかった。……

たとえばフッサールが証明したのは、どんな世界像も信憑、思い描き(=超越)でしかあり得ないということであり、ニーチェの主張は、客観的視点なるものはそもそも存在し得ず、一切は「物語」=視点であるから、肝要なのは人間にとって「有用なフィクション」を「創造」することだ、というものである。

つまり、彼らが主張したのは「物語」の不可避性ということであり、またそれへの強い自覚にほかならない。その呪縛からいかに逃れるかといった奇妙な考えはそこから出てくるはずがないし、そういう考え(=逃れ得る可能性を求めること)ははじめから背理なのである。

つまり世界には「物語」や、つまらぬ「物語」や、面白おかしい「物語」や、美しい「物語」や、説得的な「物語」等々があるのだ。そして、わたしたちがさらに先にすすもうとするなら、なぜそういった「物語」の審級(ほんとうらしさ、面白さ、美しさ)があらゆる懐疑論にもかかわらず言説の秩序として成立するのか、と考えてみるべきなのである。

3940

 

・続いて小林の「自意識」への執着をどうとらえるかという問題について。それは決して独我論的な自我に閉塞する、ということではない。世界を感受する拠点としてそこに照射したことが要点である。

……わたしに鮮やかなのは、彼(小林)が「自意識」という閉ざされた「象徴の森」から、なんらかの道すじを通って次のような〈世界〉の場所へ出たということである。それが具体的にはどういう道だったかはわたしには判らないが、彼の出た場所が、〈自然〉とも〈神〉とも名づけられない全く独創的な場面だったことは疑うことができない。46

 

小林の言う世界の「あるがまま」とは、唯物論で言う「客観世界」ということを意味していない。世界には、たださまざまな世界についての解釈があり、その解釈はひとりひとりの人間にとって、「彼の全身を血球と共に循る真実」として、つまり容易に交換し難い彼自身の“現実”として存在している。そして、その世界解釈(了解)の固有の切実さこそが、ひとつひとつの人間を生かしている。まさしくそういう情景こそが世界の「あるがまま」だ。そう小林は言っているのである。

 

……重要なのは、それらの考えのいずれが正しいかということではなく、そのそれぞれの考えをつかむことで、彼の中でどういうことが生じなにをもたらされ、またそういうことで彼がどのような生の実質を生きることになるかということである。48

 

・こういう実存に定位した本質的思考のもとに世界をとらえようという発想を、小林はヴァレリーの作品に見出している。また、それは欲望論的にはニーチェに近く、思考の原理としては現象学の核心につらなるものである。しかし、自意識(主観)から世界をつかみとっていくという姿勢は、「世界を構成するものが世界によって構成されている」というような「背理」に立ち会わされる。小林はそうした「困難」を突き抜けるような契機(自意識の球体を突き破る契機)をランボーから見出した……ということが語られる。ここら辺は「知的に理解する」ことが難しいくだりなので……うまくは整理できない。

 

自分はものごとを根本的に考えようとするとき、まずある言葉を思い浮かべ、次に一般的に定義されているようなその言葉についての概念からかけ離れて、ただこの言葉に関して浮かびあがってくる自分の中の想いや感触のかたちだけを凝視しようとする。そして、そこにある驚きが認められたなら、この自分の驚きの中に捉えられるべき本質がつねに潜んでいる。そうヴァレリーは言っている。

なぜなら、世界や人間に関するどんな考え方も、ただそれが「われわれの生」に与える意味において本質的に存在するからだ。49 50

 

これはヴァレリーの方法が如実に示しているように、いわば自意識を極限化する方向においてはじめて見出されるような方法だということができる。小林もこう書いている。

……世界の実在から〈私〉の感情や自由の能力に至るまでの一切を、完全に明晰な意識の支配のもとにつかみ取ろうとする〈自意識〉の欲望。まさしくこういった通路の中で、ひとつの固有の難問が現れる。世界の実在は「主観対客観」というアポリアの中へ水没し、〈私〉の存在は意識と無意識のはざまで永遠の悪矛盾に陥る。〈私〉が〈私〉と世界との間の関係の実在をとらえたと信じた瞬間、たちまちそれがまた〈私〉の心理の一内容にすぎなくなっているという事態を、〈私〉は再び発見する。そこに「自意識の球体」という迷路の特質がある。

……小林の言うランボーという事件、「自意識の球体」を炸裂させた爆弾とは、次のようなかたちをしていた。

……ランボーの「見ること」は、単に素朴に見ることではない。むしろ普通ひとびとの「見る事」とは、すでに存在する秩序にしたがってその内側で見ることを意味する。だからそれは「知る事」と重なるのだ。ランボーの視線は、そういった既知の秩序を脱臼させるような仕方で世界を見た……

……ランボーは「あらゆる感覚の長い限りない、合理的な乱用」によって「限度を超えて」見ようとした。これはつまり、自意識を「過不足のない」場所で調的せず、その酷使を徹底することによって「球体」を突破するという捨て身の方法だった。ランボーのこういった未曾有の方法をさして、小林は「実行家の精神」と呼んだのである。

……小林の「私小説論」とは、要するに、「私の世界がそのまま社会の姿だった」……ような文学的世界はもはや終焉し近代的な〈自意識〉の問題から誰ももう後戻りできない、というメッセージにほかならなかった。

……だが、小林は自分がランボーから受けとった事件の意味を決して明瞭な形では名づけていない。そのために、ランボーによって内閉的な自意識が破砕され、いわばヘーゲル的な〈理性〉による調停が現れた、といった受けとられ方が流布してきた。しかし、おそらく小林自身は自分の内側で自らが辿らざるを得なかった問題とのその解決の方向の、歴史的な新しさをはっきり自覚していたのだ。疑いなくここから小林的問題の一切が始まっているのである。

 

・かたや吉本隆明ついて。まず小林との共通点と相違点が整理される

吉本が小林から受けとったのは、思想や芸術は、その情熱と感動において、個人の固有の生存の意味に相関するという考え方である。しかし、吉本が小林から自らを分かつのは、どんな思想や芸術も、たしかに「宿命」的な真実としてしか人間の魂に棲みつくことはないが、それにもかかわらずそれらはある普遍的な根拠を持つはずだ、という考えにおいてであった。その根拠を吉本は……さしあたり「実生活」と呼んでいるのである。56

……ひとが全身全霊をあげて考え尽くした挙句の思想的な選択が、彼の実存にとっては絶対的である。しかしそれが、彼の見えないところで弱い者、虐げられた者への抑圧に加担していることがありうるとすれば、彼の思想の行為の意味は一体何だろうか。この問いこそ〈戦後思想〉の総体に対する吉本の批判の根幹をなすものである。

 

・吉本の仕事の中心となる2点について。ひとつは、転向論、戦争責任論、戦後文学批判、そして……転向ファシスト批判という系列であり、これは、戦後思想が、結局〈戦争体験〉を全く思想化しえず、外在的に〈皇国思想〉を批判(難)することで生き延びたという事態に対する批判。もうひとつは、「思想の普遍性の根拠をどこに据えるのか」という問題。これは主として、戦後民主主義におけるプラグマティズム、戦後マルクス主義における客観主義という「普遍性」の根拠に対抗しうるような、吉本自身の根拠をおくことにおいて展開される。おそらくここに「大衆の原像」という概念が提起されるに至った所以がある。

まず前者について。吉本は思想が純な動機に基づきながら「理想理念」に基づく「党派性」へと陥っていく現実を体験していた。それをふまえ「実存」に定位しつつも、思想の「普遍性」をつかみとっていくことの必要性を切実に実感していた。吉本の「関係の絶対性」という概念はそうした動機を背景にしている。それは〈市民社会の形成と同時に多様な価値の並立に直面することとなった近代社会において?〉近代哲学の基本的な方向性をかたちづくったデカルトのモチーフとも通底するものだ、……というようなことが語られていく。

……転向ファシストへの批判は、必ずしも思想的な欺瞞者に対する告発ということを意味していない。吉本がここに見出したのは、……実存的「心情」の中に飲み込まれて根拠を喪失した思想という問題なのである。……どんな思想も、その内定な確信だけでは現実関係の〈真〉に、つまり普遍性に達することができない。じじつ、吉本の体験では、ファシストたちの〈皇国理念〉も、弱者や貧しい者に対する左袒とおごれる者や強権に対する憎しみという“純粋”な動機を含んでいたからである。60

人間が思想というものに捉えられてその中で生きはじめる。そこで彼は社会的な言葉の実践の海に入り、仲間たちと共通の情熱で繋がりつつ、自己の抑圧感や上昇感を表現する道すじを見出す。だが、この道すじはまた、ある意匠(=情熱)の中に彼を閉じ込めることでもある。それはいわば「宿命」の問題なだのだが彼にはそうは見えない。彼は「意匠」をつかんだのは自分の自由な意識(意志)だと考えているし、その限りで真理の確信は彼の情熱の強さの中で容易に与えられるからだ。

デカルトがスコラ哲学(や懐疑派)に見ていたのもまさしくこういった「さまざまなる意匠」の光景だった。そして重要なのは、おそらく彼がこのとき、これらのさまざまな「意匠」を嗤う代わりに、もしこういった光景に根拠があるならば、つまり、ひとびとがさまざまな意匠に強い力で捉えられてしまうということに時代的な必然性があるならば、そこに方法的な普遍性が与えられるべきだと考えた、という点なのである。

 わたしたちは吉本の「関係の絶対性」という概念に対してもまた、現代思想の知見から、いったい絶対的な客観なぞにどうやって届くつもりか、そういうものはヘーゲル、マルクスで終わりになってしまったのだという批判をあびせることも可能である。しかし、そういう言い草は方法というものをいちども自分でつかもうとしなかった者のつまらない批判にすぎない。それは思想の実質を時代状況との生きた関係においてではなく概念の図式としてのみ見ようとすることであり、たえず貧困な議論に自らを差し戻してしまうのである。

 

・続いて、吉本が普遍性を探っていく底板としようとする「大衆の原像」の意味するところについて語られる。それは思想の普遍性を検証するための地盤として要請されたものである。これは、決して、「権力」を否定するために「反権力」としての「大衆」を措定するということではない。(単純な左袒の思想、ということではない。)端的に言えば、多くの人の実感、現実的な不全感にどう届くのか、という視点を自らのうちに保持することを欠いてはならない……というようなことだろうか。社会規範のもとに生きることを条件付けながら、それに受け入れ難い違和を感じてしまう「わたし」。(共同幻想に逆立した私的幻想を抱え込んでしまっているという事態)そこを出発点に、「公共性」に開かれた(丸テーブルについた)言語ゲームのもと(多くの人たちの不全感を解消しうるかという問題意識のもとに)思想の妥当性を検証していく。そうした方法以外に普遍性をめざす方途はない……ということだろうか?

……日本の知識人の思想は、たとえば戦前では唯物史観の絶対的正しさを先験的に信じ込んだため、理論と「現実」との齟齬感を、「現実」の惨めさとみなすか、逆に理論一般をほうり投げるかという両極の道すじに押しやることしかできなかった。この思想の型は戦後も本質的には変わっていない。そして、こういう事態に普遍的な通路をつけるとすれば、それはただひとつしかない。理論の「正しさ」を普遍的に検証してゆけるような方法上の原理を見出すことである……71

(社会的関係の理論の「正しさ」を検証し得るような根拠を)吉本は、大衆の存在構造と考えたのである。これはべつに「大衆」と言わずに社会のなかの人間一般のあり方と言っても全くさしつかえない。要するに、社会の理論の〈真〉を検証し得るのは、なにか超越的な〈客観〉の理論ではなく、むしろ、社会のうちでの人間の具体的な生のあり方だけだ、と彼は考えたのである。72

……吉本は、まず、マルクス主義が自称するエンゲルス=レーニン的唯物史観の、唯物主義、歴史主義、科学主義を疑わしいものと考えた。そして、マルクスにまで戻って、マルクスの国家の本質の考え方は、国家を、経済機構の中での私有財産制の制度化という道すじの上にあるものと見なすのではなく、宗教、法、国家という流れをたどる「疎外態」としての共同幻想と見なすものだった、という考え方を強く打ち出した。

だが重要なのは、このとき吉本の発想の根底にあったのが、そもそも人間が現にある社会の秩序に反抗する根拠はなにかという問題だったという点である。73

 

……(マルクス主義であれば)人間は階級の中で、共産主義社会においてなら実現されるような人間の存在本質を奪われている。したがって、その存在本質を実現するために歴史に参画すべきである。そして階級社会に生きる人間は、まさしくその行為によってのみ自己と人間としての本質を実現する可能性を持つ(ととらえるだろう)……

これに対して吉本の言葉は、次のようなものとわたしには読める。

人間の生の意味は、〈社会〉的な存在本質のほうに決してひきのばすことができない。それは必ず個的な実存の場面に、〈社会〉という幻想との関係として生じうるだけだ。したがって、人間の存在の意味を共同的な存在本質から規定することはできない。ただその逆だけが正当な道すじである、と。

おそらく現在から見ると、人間はもともと社会的人間ではなく〈個人〉でありたかったのに、〈社会性〉を生み出してそれを〈逆立〉してしまったという言い方は、いかにも“近代的”にすぎるように聞こえるだろう。しかし、この言い方にある種のリアリティがあるとすれば、それがまさしく、近代社会の中で人間が抱く社会批判の根拠を言い当てるからなのである。74-75

……社会が大なり小なり人間の意志の総和によって構成されているという像(世界像)は、べつに外来の契約国家論や階級史観によってもたらされたのではない。人間が教育をつうじて社会の中でいろんなものに(大臣にさえ)なれるという生の範型こそが、この世界像を徐々にひとびとにもたらしたのである。……

近代社会におけるこういう生の範型の中で、はじめて人間は社会的な(共同的な)存在としての〈私〉という二重の契機を、ともに自分の生にとってリアルなものとして見出すことになる。そして社会の構造が、「個人の心的な世界」にとって、「桎梏や矛盾として」(=逆立して)現れ出すのは、まさしくこの土台の上においてである。7576

 

要するに、吉本がここで示そうとしたことは、共同体と個人は必ず逆立し確執するということではなかった。そうではなく、おそらく、人間が現にある社会の秩序を批判することの根本的な根拠はこの〈逆立〉の意識のうちにしか求めることができない、ということだったのである。

言い換えれば、超越的な、たとえば類的存在としての人間本質といった理念型を根拠として、現にある社会の構成それ自体を批判することはできないということだ。……

こうして吉本の「大衆の原像」という概念は、人間の社会批判の根拠そのものを見定めようというモチーフを核とし、したがって、思想一般の普遍的な〈真〉をいかに検証するかという問題についての、もっとも枢要な試金石となるような概念だったのである。

知識人が意味ある存在であるとするなら、「その思想的課題は、(略)大衆の存在様式の原像がたえず自己のなかに繰り込んでゆくことにもとめるほかならない」と彼は言う。これは、知識人は大衆に近づけとか、知識人の役割は大衆に左袒することだといったことを全然意味していない。

 

・最後に二人の思想家の「思考の原理」に関してのまとめ。

……人間の思想の努力は、つねに現実を超えようとして進んでゆくが、現実はまた絶えず思想をのみ込んで、それを単に現実の一部を構成するにすぎないものとして現象させる。これはわたしたちの時代の中で、思想というものが必ずつきあたらずにはいなかった必然の背理である。

わたしたちはやむにやまれぬ欲望におされて〈世界〉をつかもうとする。このときわたしたちはしばしば、すでに存在する思想が描き上げた問題のかたちをまっすぐに辿ってゆくことによって、かえって〈現実〉そのものからひどく遠くへ引き離されてしまう。しかし、それにもかかわらず、この問題のかたちを通らないでは決して誰も〈世界〉を体験することができないのである。こういう場面で思想の持つ背理は超え難いもののように見えてくる。

「ぼくたちは、この矛盾を断ちきろうとするときだけは、自分の発想の底をえぐり出してみる」(「マチウ書誌論」)。たとえば吉本がわたしたちに示して見せたのは、まさしくそういうやり方だった。「自分の発想の底を」もうこれ以上は進めないというところまで問いつめてみる。そのとき吉本隆明の固有の方法が現れた。この感触はまた、わたしの中で、小林秀雄のそれと深く通底している。

芸術の芸術たるゆえんはただ作品から汲みとってきた観念との間の「絶対関係」(「様々な意匠」)の中にしかありはしない。これは、芸術の秩序においては作家が彼の観念をどのように現実からつかみとったかという過程はすべて外して考えることができるということでもある。これが小林の出発点であった。

吉本はどうか。

彼が示したのはむしろ、思想が思想たるゆえんはその思想と〈現実〉との「関係の絶対性」にしかない。思想につかまれた人間がどういう苦しみと情熱を彼の真実として所有していようとそれはいったん取り外して考えられねばならない、ということだ。そういう意味においてのみ、思想は「世界の要約」(ニーチェ)でなくてはならない。

彼らのこういった批評の出発点は、それぞれの時代の中で、ぎりぎりの方法的な意志からもたらされた稀有の原理だったとわたしには思える。この出発点から、彼らは見事に一貫した世界像を開いてゆくことになる。それは思想体験の極限的かたち、つまり、誰もその時代の中でそれを大きく踏み破るような道すじをとれないようなかたちをなしている。8182

 

 

◇  ◇  ◇  ◇

 

(3) 「掘卮〉と〈信〉をめぐって」について

▼『本居宣長』という小林の晩年の大作と、それに比肩する吉本の『最後の親鸞』を通して、それぞれの思想の相違点を明らかにする。

小林の『宣長』は、その「言語論」「芸術論」の集大成といえる。他方吉本の『親鸞』は「実存」と「社会」を架橋する可能性をぎりぎりまで問い詰めた作品である。

 

まず小林の『宣長』について。表現の原点には「苦しみ」「悲しみ」の感情のもと切実に感得されている、「世界との違和」がある。人が、自分の心を深く見つめていく契機は、「実存的苦しみ」以外にない。その気持ちに「カタチ」を与え昇華していくことが芸術行為の本質としてある。それはニーチェのモチーフにも通底するものである。

詩人・作家はそれを表現する際に言葉を用いる。しかし、それは理知的に世界を理解すること、自分の体験を客観的に意味づけることとは方向性を異にする。(宣長はそれを「漢意」のなせるものとみなす。それは自らの固有な苦しみ=体験=ひいては宿命というべきもの……に正面から向き合うことを回避することであり、体験の強度そのものを表現する行為ではない……というようなことを小林=宣長は言いたい? ニーチェで言えば、キリスト教的世界像、あるいは客観主義的世界像を生み出させるに至った、「挫かれた動機=ルサンチマンによるものだ、と。)彼らは、言葉から理知的な機能(=一般的な世界像へ体験を解消すること)を抜き取り、感情体験を表出するために用いる。(たとえば「歌」は、言葉の発音をながくのばすことでみずからの声=感情に重ね合わせていくことに端を発する。)

 

(……で、また抜き書きモードに入ります。)

小林によれば、宣長が「源氏物語」の作者に見たのは、単に古今の世界にも類を見ないような物語の大才ということだけではなかった。「物のあはれ」という中心的テーマには芸術上の美の本質を照らすものが含まれており、しかも紫式部はそのことを極めて明瞭に自覚していた思想家でもあった……

……宣長は和歌史上の上での「あはれ」の用例をくわしく調べたうえで、この言葉が、「うれし共、おかし共、たのし共、かなしとも、こひし共」、およそ情の深く感じることに使われていたが、いつの間にか、「あはれ」に「哀」の字を当てて悲哀の意に使われるようになった、と述べている。さて、宣長はそのことをどう考えていたか、と小林は問う。160

 

たしかに「かなしき情」だけが人間の心の動きではない。だが、心が「思ふにまかす筋」にあるとき、ひとはただそれを享受すればよいのであって、ことさらそこに立ち止まり、その意味を問わねばならぬ強い動機を与えられるだろうか。むしろやはり、「心にかなはぬすぢ」に直面したときにこそ、人間は自分の心の動きに立ち止まらざるを得なくなると考えるほうが自然である。

つまり、いわば切実な“生きがたさ”に出合ったときだけ、ひとは好むと好まざるとにかかわらず「わが心ながら、わが心にもまかせぬ物」として、自らの心に深く見入ることの動機を強く与えられる。また、喜びが深く忘れ難いものとして心に残るのは、それが苦しさを解くようなものとして現れたときだろう。

人間がほんとうに自分というものを確かめようとする動機を与えられるのは、こうして「かなしき情」=「あはれ」というはっきりした心の動きに出合うことにおいてである。なぜなら、そういう場面で、誰にとっても生き方のかたちのきわどい別れ目が生じているからだ。やってきた生き難さをどうつかみ、どう処理するか、ここでだけ人間にとって自らを「わきまへしる」ことがどうしても避けられない切実さをもつのである。……

 

……つまり、『本居宣長』一巻の根本テーマは、ひとことで言って、言語表現における美の本質は「物のあはれを知る心」にある、というきわめて大胆な芸術本質論にほかならない。そしてそれは、一見どれほどそう見えないとしても、たとえば小林がすでに「政治と文学」などでつかんでいた、避け難い苦しみの中で現在の生をいかに是認するかというニーチェ的な「悲劇」の概念から、まっすぐに現れたものなのである。163164

 

(小林は、宣長が「あしわけをぶね」で記した「情」と「欲」の区別を解釈するに際して)「欲」という言葉を、人間が日常生活の中で出合った問題を客観的に整理し、秩序づけるような理性の働き、という含みで用いている。「欲」は「我執」につき、「我執」にしたがって世の中を見ようとする。そしてこれが宣長の言う「漢意」、「さかしら」心の源流にほかならない。これに対して「情」は、人間の心が「我執」にとらわれずにかえってさまざまなことがらに動かされ感じることである。

たとえば苦しさに出合ったとき、このふたつの心の態度は、どういう道すじをとるか。「欲」は苦しみを打ち消そうとして事態を合理化し、まさしくそのことによって憎悪やうらみの心性をわれ知らず育てあげることになる。「情」はそうではない。それは自分の心の動きをよく見つめることによって、事態の動かし得るところと動かし難さを見極めようとする。

このように見てくると、ここでの「欲」なる概念が、ニーチェのルサンチマン批判に対応することは明らかである。どれほど「欲」が激しく動いても、それに溺れるなら「自主的な意識の世界」、つまり人間の内的な自由の意識は失われる。やってきた苦しみを反動的な「欲」の動きへと流し込まずに、自分の生の条件へと転化する道はないだろうか。そういうところでまず、自分の内に生じた心の動きつまり「わが心ながら、わが心にもまかせぬ物」として現れたものを、心を澄ませて見つめてみる。これはニーチェ的に言えば、そういう自己了解をとおしてでなければ人間は決して生を「是認」し「肯定」することができない、ということになるだろう。

 

……「悲劇的人間」が「最も苛烈な苦悩をもなお肯定する」のに対し、「キリスト教的人間」は、「どのような形式においてであれ生に苦悩せざるをえない」(『権力への意志』)。ニーチェのこのふたつの原理は、理性が現実の苦悩を打ち消すために反動としての“理性”(ニヒリステッィクな)を思い描いてしまうか、それとも現実の「あるがまま」を直視してよく認識するか、という違いによって分かれるのである。166167

 

 

・小林の言語論の総括

……宣長を追う小林の言語の問題の問い方には、ひとつのはっきりした方法が存在していることによく注目しよう。彼は、たとえば「カミ」なら「カミ」といったひとつの言葉を一般化された価値形態(ラング)から定義づけられるような見方を厳密に排して、それが固有の〈意識〉に現れて出る経験的本質それ自体として取り出そうとしているのである。たとえばフッサールによれば、「円」の本質は、一点から等距離に描かれる線分の総体というより「円い」という言葉で人間が思い浮かべるある感性的イメージの総体として考えられるべきだとされる。両者の言い方は一見かけ離れているが、考え方の芯はほとんど違っていないのである。184

 

……人が言葉を発するとき、原理的にはなんらかのレベルでの自己了解というものが動いているはずである。だがこの〈ものごと―自己〉の関係の了解には、自分のうちにすでに編みあげられていた了解の秩序(=概念の網の目)をはみ出すような心の動きが必ずつきまとっている。ものごとがつねに、すでに整っている意識の了解の網の目を超え出るようなかたちで意識をおそうこと。そういう点に言葉が生きて動くということのいちばん根深い原理がある。

人間がまずものごとを把握してなにかを思う。次にこの〈思ったこと〉を伝えようとして何かを言う。普通ならそう考えるところだ。ところがこの思うということ、つまり心が動くことのいちばん核心をなすものを考えると、それはただものごとを了解するということではあり得ない。心が動くとは、単に目の前の出来事を、これはこれ、あれはあれというかたちで整理し秩序付けることとは違っているからだ。

じつはものごとが「私」を超え出たかたちで現れ、そのつかまえ難さにおいて自らを知らせるときにわたしたちの心が強く動くのである。心が動くとは、そういう「物の経験」の所産であり、そこにいわく言いがたいものを感じるときにだけ、つまり日常的な言葉の中での整理整頓によって収まり切らぬものを感じるときにだけ、ひとはそれに新しい「カタチ」を与えようとして言葉を紡ぎ出すのである。

こういうかたちで現れた言葉は、すでに秩序づけられた日常世界の体系として存在する一般規範としての言葉とは、全く違った原理で生きている。古代人の「カミ」という言葉には、そういう言葉の経験のありようが象徴されているのだ……

おそらくこのあたりが小林の言語思想の中心部であると言ってよい。

 

……小林の「無私の精神」といった言葉を、共同体や伝統への“滅私”的回帰というニュアンスでとる必要は全くない。小林の方法の核心ははっきりしているのであって、あえて西欧思想の文脈で言えば、それは、実存論的、存在論的な道すじをとったため、客体化し、構造化し、一般化する近代的な理性の方法とことごとく対立せざるをえなかったのである。185-187

 

・他方吉本においての言語の本質とはなにか。吉本は周知のように言語を考察していくための基礎概念として「自己表出」「指示表出」の二つを打ち出している。それはなにを含意しているのか。

……吉本のおける「自己表出」と「指示表出」の概念は、はっきりした方法上の核心を持っている。その基本は、マルクスでもエンゲルスでもなく、ヘーゲルの〈意識〉論にもっとも近い。

……ヘーゲルによれば〈意識〉は何らかの対象に向かうときにつねにふたつの契機を持っている。ひとつはある対象の意識であるという側面であり、もうひとつは、その対象の意識についての意識であるという側面である。これをヘーゲルは単なる〈知〉の契機と、その〈知〉を対象化しようとする〈真〉の契機と呼んでふたつを分け隔てた。ヘーゲルに即せば、これらは〈意識〉の自体的、および向自的な契機であるということになる。

吉本の「自己表出」(対自)と「指示表出」(対他)は、このヘーゲルにおける意識の自体的、向自的な契機と、いわば一段ずれたかたちで重なり合っている。それが一段ずれているのは、言葉は自らが発したものであることによって、すでに単なる対象の意識であることから折れ曲がっているという理由による。

まず「自己表出」とは、発された言葉が、〈私にとって〉存在するような対象的契機であり、つまり「う」という声が、〈私にとってのこの海〉を指すつもりであるという側面を、意味している。これは、いわば「う」なる声の、意識にとっての向自的(対自的)契機である。

これに対して「指示表出」とは、〈私〉の発した言葉(声)が、「対他」として、つまり〈私〉と〈他者〉との関係性として、〈私〉の意識から見られるような契機にほかならない。従ってここでは、〈私〉には〈私にとってのこの海〉をさすつもりの「う」が、他人にはそう受けとられるかどうかは判らないという事態が当然生じる。そして〈私〉の「う」が「海」を指しているのだという了解関係が生じなければ、言葉の指示性ということはあり得ない。

わたしたちは、しばしば言語は指示性を持つがゆえに他者たちに伝わると考えるかも知れないが、そういう考えはじつは転倒している。〈他者〉が、たとえば〈私〉の「う」を〈この海〉(直接的指示)あるいは、一般的な〈海〉(間接的指示)として了解したとき、はじめて〈私〉の「う」は指示性を持っていると言えるし、そういった了解の関係が成立したとき、声は言語と呼べるものになったと言えるだけなのである。

(※ひとことでいえば「言語=信憑構造」である、という観点が吉本の思考の中にある……ということか。)

 

このように見てみると、吉本の言語進化論の核心は、はじめに言語の指示性が事実として成立すれば、それは必ずより高度な自己表出性を促し(可能にし)、この自己表出性の契機がまた、指示性の網の目を押し広げてそれをますます強固なものにしてゆく、という像に集約できることがわかる。そしてこの構えは、ヘーゲルにおいて〈世界〉の概念的分節化がただ意識の向自的契機によってのみ(対自的―向自的という二契機の運動の中で)深化してゆくと考えられているのと、基本的に同じ形をとっているのである。197200

(※吉本の、言語におけるこの「二契機」の取り出しは、ソシュールの「ラング」「パロール」、そして後に竹田さんが概念化する「一般言語表象」「現実言語」との関係に重なっている。さらに言語を展開していく契機は向自的=自己表出=「現実言語」における意味企投=実存的・欲望的契機にあることが明確に打ち出されている。また、こうして実存的契機を柱にとらえようとするところは小林のモチーフにも重なる。)

 

……ひとは誰でも必ず、つねにすでに言語の海の中に投げ込まれているという条件を生きている。だから人間のどんな自己表出性(〈私にとっての対象の固有の意味や在りよう〉)も、すでに成立している言葉の指示性を使ってしか表現され得ない。しかし言葉が新たな指示性をつけ加え、その網の目を拡大していくためには、すでに成立している言葉の指示性の連関だけでは十全に表わし難いと感ずるような固有の関係の意識にひとが出逢い、そこで従来の指示性を押しひろげるようなモチーフを受けとるのではなくてはならない。

これを小林秀雄の文脈にそって言えば、心が自らの深く動いた「情」を意識し、それを日常の知恵、分別の秩序に位置づけきれないと感じたときだけ、ひとはその言い難い想いに「カタチ」を与えようとする動機を持つということになる、そういうときこの新しい「カタチ」は、言葉の規制の指示性を踏み破らざるをえないからだ。小林が宣長に見た「言霊」とは、言葉のそういうありようを意味している。201

 

・しかし、小林が「一般言語表象」に回収されない実存的体験に強く照射するのに対して、吉本がその(「一般言語表象」≒「客観的世界像」)の不可避性をとらえていくことにおいて両者は袂を分かつ。小林の見解からすれば、「言語名称観」や「客観的世界像」など、ふつうのひとが日常生活のなかで形成している「源信憑」というようなもの自体が虚偽であるということになる。しかし、そうしたものが成立していることにはそれなりの意義があるはずだ。吉本には、それを見取っていこうとする観点があった。

 

……吉本による言語の本質論は、小林が「漢意」とよんで避けようとした、言語による客観化、一般化の問題を、さらに明瞭なかたちで置き直すことを可能にする。

 わたしたちの常識は、言語を物につけられた名前であると考える(言語名称観)。小林は、この日常的な客観的思考を「漢意」とよび、宣長の言う「古語」の「言霊」をこれに対立させ、その中に人間が事物を自分にとって固有のものとして経験するその原質を取り出そうとした。

小林のこの発想は、美や芸術表現の本質を考える上ではたしかに重要な理を持っている。しかし一方で小林の言い方は、いわば言語の指示性(整理され秩序化された一般規範)をその「自己表出性」と相容れぬものとして対立させるようなニュアンスを帯びざるを得ない。そのことによって小林は、人間が世界を客観的なものとして定立し、そのように事物の関係を処理せざるを得ない歴史的な必然そのものを拒否し、そこに「さかしら」心の虚偽といったものを見出すことになるのである。

つまり、まさしくこういう理由によって小林からは、「我執」、「欲」、「意」に汚された不純で倒錯した近代的思考が言葉の本来性をねじまげたのだというニュアンスが強く現れることになる。

しかしじじつは、言語名称観は、ただ日常生活において自然な見方だといえるだけであって、誤った見方だと言うわけにはいかない。それが誤った見方のように映じるとすれば、その理由は、わたしたちが思想上の矛盾を解こうとして日常的な観点から一時身を引き離すからなのである。おそらく、小林のようになぜ近代観念は錯誤したのかと問うべきではない。むしろ、なぜ人間の生の中で、客観主義的な言葉の秩序と意識にとって固有な言葉とがしばしば鋭く分裂するかたちで現れるのか、と問うべきなのである。204

 

・「言語の信憑構造」と、思想・言葉の背理が感得される事態の本質について

言葉の「意味」は一定の規則によって秩序づけられている、というのがわたしたちのごく自然な見方だが、注意すべきなのはこの客観的な見方を貫こうとする限りにおいて、言葉は意味が正確に伝わらなかったり、意味がわからないといった“背理”を示すということなのである。この事情は、逆向きに言うこともできるだろう。つまり、思想や言葉が“背理として意識されたときはじめて、わたしたちは「意味」とは何かという問いを立てることになるのだというふうに。206

 

普通、一般的なイメージとしてわたしたちが相手に伝えた音声に実態的な〈意味〉がつきまとい、それが聞くという行為によってこちらに“伝わる”というふうに考えてしまう。だが実際は、言葉によって〈意味〉が物を交換するように「やりとり」されているわけではない。

たとえば彼が「ウミ」と言うとき、〈私〉は彼が、自分は海にゆくつもりだと言っているのだろうと思う。〈私〉がたまたま彼についていけば彼のつもりを確かめる可能性を持つが、そうでなければそのつもりの〈真〉は最終的には確かめられないし、また厳密にはつもりのニュアンスは決して最終的に伝えられるものではない。

〈私〉は彼の発語の中にある〈意〉を思い描く(=憶測する)ことができるだけで、それを厳密に確証する手だては言葉自体のうちにはどこにもない。しかし人間の言語行為はまさしくそのようなかたちでいつも成立しているのである。208

 

……現実の発語行為では厳密な意味での“一般的な意味”の伝達といえるようなものはどこにも存在しない……。つまりその関係は、コードによる伝達関係では決してなく、どこまでもただ本質的な断絶を含んだ信憑関係なのである。

……世界が客観的な秩序と法則を持って存在しているという確信が、誰にとっても自然な信憑として編みあげられるように、言葉はその内に客観的な意味の規則と関係を持っているという観念も日常社会では自然なものとして成立する。そしてこの事情が、〈意味〉が伝わるはずなのにうまく伝わらないとか、よく〈意味〉がわからないといった事態を、言葉の奇妙な謎としてわたしたちに現わすのである。

これはもっと押しすすめて言うと、現実は言い当てられるはずなのに言い当てられない、「問題」がすこしも現実に相関しないといった場面で、いっそうわたしたちにとって切実な謎となる。そしてこの謎を解こうとするとき、わたしたちは言語の「意味」や「価値」とは一体何なのかと問わざるを得なくなる。

さしあたって言えば、言語の奇妙な背理は、それが人間の“固有な心の動き”の信憑関係のやりとりとしてしか存在していないのに、あたかも一般規則による意味の伝達のように見なされる、という事情に由来するのである。209210

 

・以降小林の「意識の絶対性」→「美」しい「カタチ」を表現することでの実存的苦しみの乗り越え、吉本の「関係の絶対性」→実存から社会へ向けてどのように架橋していくという問題……という両者のモチーフの差異がクローズアップされる。

 

……小林の観点の核心部をここでひとことで言えば、おそらく言葉の固有の(実存論的な)意味とは、人間が生の中で抱く心ばえのありようを他人と分け持ちうる可能性をもたらすものである。ということに尽きる。言葉がなければ人間は心ばえそのものを抱くこともできないし、いわば他の個体との間にひかれている孤独の境界を破ることもできない。つまり、言葉は人間に、「孤独」の意識と、それを乗り超え可能性とを同時に与えるのである。

では〈美〉の意味とはなにか。この「孤独」の乗り超えをエロスとして味わうことである。それは言葉が原理的にはむしろ個人と個人の断絶を証すように存在し、そのためこの断絶を埋めるための思いを「文(アヤ)」(=カタチ)になす努力を要請するからだ。

しかしさらに言えばなぜ人間は美を求めるのか。生の意識がつねに不十全さとして現れるからである。「あはれ」を知る心が深く動くときに、人間は強く美を求める現実的な動機を与えられる。美は、人間が孤独であり不十全であるという意識の中で、それを超えようとする幻想として普遍性を持つのである。212

 

……吉本にとって美を作り出すことの意味は、そこで人間が幻想的に〈社会〉と関係し、その中で自分自身の本来性を求めようとする行為として考えられていることがわかる。すぐに気づくことは、吉本では美の意味は〈社会〉という項に結びつけられているのに対して、小林ではこの〈社会〉という言葉は全く見あたらないということだ。わたしの考えでは、小林において吉本の〈社会〉にあたるのはおそらく伝統という概念である。……215

……〈社会〉という概念は、単に人間の生の条件一般を意味するのでなく、もともとひとちの人間にとっては超えることのできない生の条件を、「彼岸」にではなく、「此世」にむかって超えようとする幻想(=超越)を意味するといってよい。そして小林が〈社会〉を、人間にとって「どう知りやうもない物」として位置づけた瞬間、彼の〈伝統〉回帰の道筋は避け難いものとなった。

なぜなら、言語による表現行為は必ず一般的な〈他者〉への呼びかけを本質的に前提しているのだが、それが現にある〈社会〉(此世)の〈他者〉に向けられることを封じられたとき、それはいわば歴史の中での〈他者〉に向けられるほかなかったからだ。つまり小林の客観主義、近代主義批判の声は、同時代人にむかって投げかけられその中で試されるかわりに、「可畏き物」に直面してその情(こころ)の動きを文(あや)なすことを深く知っていた(と小林が信じた)〈伝統〉の中の〈他者〉に、その届け先が求められることになったのだ。

 

・小林は表現の「このうえなさ」を求めるなかで、「社会」という項を断ち切り、「大衆の原像」に背を向けた。しかし、吉本は「社会」という「開かれた言語ゲームのステージ」で思想の普遍妥当性を築いていく希望を求めた。また、「信じる」ことで「救われる」ことをねがう心情、「社会的最高善」を求めてしまう心情の必然性にまなざしを注いだ。「信仰」ないし「最高善」があくまで「要請」としてあること、つまり「信憑」であることを意識したうえで、その「信」をめがける企投のなかに「思想」の意義をとらえようとした。吉本はそうした自分のモチーフを「親鸞」の中に重ね合わせている。

 

 ここでわたしたちは次のように言える。言語表現としての美は、対自的には、つねに現にある自分の存在の限界を超え出ようとする固有の幻想的な可能性である。だが、対他的にはそれは、一般的な〈他者〉(共同性)へ向かう相互理解の幻想的な可能性である、と。そして、いわゆる「思想」の問題はつねにこの対他としての言語表現の問題として現れざるをえないのである。

たとえば吉本は、こういった意味での「思想」の問題の原型的なアポリアを『最後の親鸞』において考えつめようとしている。

『最後の親鸞』において問題だったのはもちろん歴史的な親鸞像ではなかった。この書物が興味深いのは、それが“対他的な超越への可能性”としての「思想」が原理的に抱え込むことになるアポリアについての弁証論だという点にある。およそ言葉が「思想」としての根拠において立とうとするとき、それが必然的にぶつかる背理はどういうかたちをとるのか、そしてそのアポリアはどのように解きほぐされるべきなのか。そういう問題として吉本はこの書を書きすすめている。221-222

 

思想はもしそれをつきつめてみれば、全ての人間の完全な救済を果たせないことは原理的にはっきりしている。しかしそのことに絶望すれば、つまり結局この現実は動かしがたいものだと考えるならば、およそ思想というものの根拠それ自体がはじめから存在しないことになる。それだけでなくもっと重大なことがある。すでに見たように、表現や美が〈社会〉という項を断念するなら、それははじめから「対自的」な意味しか持ちえない。もしそうなら、美も思想も本質的に単に個々の人間の実存上の幻想にすぎないことになるだろう。

現世における完全な救済を果たせないことを思想はいったんその前提条件とするほかないが、ではそのとき思想はどういう可能性を見出しうるのか。その最後の根拠はなんなのか。

吉本が親鸞を前にして問うているのはそういう問題にほかならない。そしてこの問題が吉本と小林の最後のわかれ目でもある。

 

……吉本としては、この人間の実存の契機を、〈社会〉という観念がよってきたるところへと繋ぎたい。〈社会〉とは何か。それは実存論的には、ひとつの〈信〉、「彼の世」ではなく「この世」の〈他者〉たちと自分とが、同じ現実を生の条件とし生の理由として生きているという〈信〉にほかならない。

宗教や理念はこの〈信〉から出発するが、実存の絶対性に触れることなく一切を相対論理の中へ流し込んでしまう。いかにしてそれを実存の絶対性へと架橋しうるか……

……もともと思想が、まずたいてい善を求めるところから出発するのは、善という概念が“よきこと”というエロス性を含み、したがって“超越的”な希求でありうるような性格を持っているためなのである。だがそれは共同体の中では一般的な相対感情として機能することを決して避けられない。つまり、善人であるほど人間として価値があるというような価値の世俗化と序列化が生じるのだ。

 こうして親鸞がたどった道すじは思想に内在する背理を鮮やかに象徴するものになっている。思想はまず共同体の一般的な〈他者〉に向かうところから出発するが、やがて共同体の「相対感情」の中で“超越”への希求が不可能であるという場面に必ずつきあたることになる。そしてそのことによって思想は、結局現世的な“善悪の秩序の彼岸”へ自らを追い払うことになるのである。

 しかしなにより重要なのは、それにもかかわらず思想は、その根拠を〈他者〉への〈信〉からひき離すことができないということである。そうでなければ思想の根拠は終わってしまい、言葉や美の根拠も、ただ個々の〈私〉にとっての幻想をいうことに収束するほかないのである。236-237

 

思想はもともと世界に対する〈信〉だが、この〈信〉に従い、〈信〉をつきつめる以上、親鸞がたどったような解体の道は思想にとってつねに不可避である。そして思想がなおかつ可能であるとすれば、このぎりぎりの場所から〈信〉の背理そのものを掘り返しうるような道をたどり直すほかない。誰もひき返すことができないし、また、誰もこの道を避けることができないのである。