哲学から見た国語教育

〜神奈川県高等学校教科研究会国語部会研究大会記念講演(2004年5月26日)より



 いまご紹介いただきました西と申します。よろしくお願いいたします。

 いま高校でどういう形で国語の教育が行われているのか、その実態について決して詳しい訳ではありません。先ほども萩谷先生やほかの先生方から現状を伺っていた次第ですので、とんちんかんなことを言ってしまうかもしれません。

 しかしそれと関連して一つお話をしてみたいと思ったことがあります。いま大学でよく言われているリメディアル教育、再教育ということです。理数系の場合には数学も含めて基礎的なものができていないので、一年生からそういう基礎的なものを大学で勉強させようとしています。文科系の場合には、読み書きをどうするか、特に書きです。読みのことを本気で訓練している大学は、まだまだ無いように思います。レポートの書き方などを訓練しなければいけないという意識は、大学のほうでも強く持っています。

 それでこの前、ぼくのところに大学で使う「書き」の練習のためのテキストが送られてきました。そのテキストを見ましたら、ちょっとびっくりしました。どういう内容かといいますと、例えば「メールの書き方」というのが題材になっている。自分たちのゼミで今度コンパをやる。そのコンパのためのお知らせをメールで書いてみる、というので、文例が出ているのです。この文例で、言い方に失礼な点はないか。ゼミの皆に必要なことがちゃんと伝わるだろうか、というようなことを考えさせ、指摘させた上で書き直させるというような例題です。最初から最後まで、ほとんどそういう例題なのです。これが大学一年生用のトレーニングブックなのです。

 ぼくはそれを見た時に思わず「うーん」とうなってしまった。もちろんこれは必要なことだとは思います。無意味かというと、決してそういうことはありません。相手に対してどういう形で書けば伝わるのか、何が必要な情報なのか、また相手に対してどういう言い方は失礼になるか、つまり、「他者や状況を意識して書く」ことを鍛えるためのトレーニングなのですね。だから、ちゃんとした意味を持っています。

 しかしながら、果たしてこれでいいのだろうか?とも思ったのです。気がついてみると、そういう「書くことのトレーニング」のテキストには、国語という言い方がほとんど出てきません。日本語のトレーニングという言い方になっている場合が多い。そして、テキストを作られている方々のほとんどが、国語教育から出てきた方ではなくて、外国人に対する日本語教育を行ってきた方々なのです。そういうトレーニングをやってきた人たちが、大学生のための日本語トレーニングマニュアルを作り、そこに出ている例題はほとんどがゼミの先生に対するメールとか、コンパのための案内文とか、企業に対して自分が問い合わせをする場合の文例の書き方とかになっている。

 もっとも、小中高の国語教育の中でも、書くスキルということがだんだん強調されつつあります。先ほど「読み書き」のスキルといいましたが、実は読みということは軽視され、他方で、書くことが非常に強調されている。しかも、実用文として、つまり、コミュニケーションスキルとしての書くことが強調されてきている。そういうふうに感じます。

 しかしぼくは、もし小中高の国語教育でそういう傾向がますます強まっていくとすると、これは大変によくないことだと考えています。実はぼくは教育出版というところの小学校の国語の教科書の編集委員をやっています。ぼくは作文担当で、作文教材の一部を自分で書いたりもしています。たまたま数年前からそういう仕事をするようになって、小学校の国語の教科書を一年生から六年生まで、さまざまな出版社のものにほとんど目を通してみました。そうすると、ぼくが小学生のころからすると、作文の充実はかなりすごい。どうやってメモを作り、構成を考えて作文化していくか、について、どの教科書もきめ細かく指導している。しかし読本の部がどうかというと、教科書自体はぜんぜん厚くなっていません。むしろ薄くなっているのかもしれません。そこに作文だけでなく、ディベートなども入ってきているのですから、読みの部分はものすごく薄くなっていることになります。

 自分も教科書の編集委員でありながらこんなことをいうのも何ですが、正直に言いますと、読本としてのおもしろさを今の小学校の国語の教科書は失ってきているのではないか、というのが正直な感想です。つまりおもしろくて次々に先を読んでいってしまう、教えられる前にどんどん読んでいってしまうというようなものでは無くなってきているように思います。

 もちろん昔のままでよいのかというと、そうではないのかもしれません。確かに書くという形で表現したり、用意してちゃんと議論したりすることの練習も必要なことだと思うのです。そのことを否定はしないのですが、その時でも読みということは非常に大切なことであって、この読みが軽視されたところに書くことや議論することが豊かに展開できるのだろうかという疑問を、何となくずっと持っていたのです。

 読みの重要性という話を続けますと今日の話とずれてしまいそうですので、話を転換していきたいと思います。今日、お話ししたいのは、「国語教育がいったい何を柱とすべきか」ということです。これは大問題ですからそう簡単に答えが出る問題ではないでしょうが、国語教育はコミュニケーションスキルとか実用文作成ということには還元できない、大事なものを持っているのではないかと考えています。そしてそれは、人間がまさに人間であるということにかかわりを持っている部分ではないか。

 後で詳しく述べますが、我々は近代人−−近代は終わったという説もありますから、近代以降の人間といってもいいですが−−です。近代以前の人間は、基本的に集団の一員として存在していた。つまり家とか一族の一員として役割を担って生きていた。しかし近代になると、一人一人が「この私の人生をどう生きるか」という課題を背負わされてしまった。そういう時代において、国語教育というのは特別に大きな意味を持っているのではないだろうか。それは実用文とか狭い意味でのスキルに還元できないものだろうと、無性に言いたくなってきました。長くなりましたが、そういう話をしてみたいと思っています。

 それと関連して、三つくらいのお話をしようと思っています。一つは哲学。私は哲学をやっていますから、哲学から見た人間のあり方ということ。第二に、それとつながっているのですが、近代になって人間の生き方がどう変わったのか。そして、近代の中で言葉の教育はどういう意味を持たざるを得ないのかという話をしてみたいと思います。第三に、本当は読むことも含めてなのですが、書くことについて何が大事なのかということについての話もしてみたい。

 書くことについては、ぼくは大学の授業で「言語表現技法」というタイトルのついた授業をもっています。二十数人の学生に二週間に一回書いてもらいます。基本的には小論文形式ですね、ある素材になる文章があり、それに関連して課題を出して、千二百字とか千五百字くらいで書いてきてもらいます。それをぼくが添削したり、いくつかのものをコピーして配って読み合わせして、これはこういうところがいいとか、この表現は本当にいいとか、これはここをもうちょっと掘らなければだめかな、というようなことをお互いに話し合う。そういう授業を展開しています。その授業のさいに、書くことで一番大事なことだというのをぼくなりにまとめて話しました。あくまでもぼくの意見ですが、そういう書くことにおいて最も大切なことの話を三番目にしてみたいと思います。

 その三つの話を通じて、実用文作成の能力も大事だし、コミュニケーションスキルというのも馬鹿にできないのだけれども、国語教育はそういうものに還元できないものだということを、明確な形で言えればと思います。皆さんもお感じになっていることだと思うのですが、そのことをあいまいではなくて、もうちょっと明確な言い方で言えれば嬉しいと思って、これからこの三つの話をしていきたいと思います。

一 哲学から見た「人間」

●哲学のはじまり

 ではまず、哲学とは何なのかという話を簡単にしてみたいと思います。哲学を始めた人はタレスだということになっています。紀元前七世紀から六世紀くらいの人で、ギリシャの対岸の小アジア−−いまのトルコですね−−にあったミレトスという都市の人です。ミレトスは非常に通商が盛んな所で、地中海沿岸のさまざまな民族が絶えず行き来しているような所だったようです。そこのタレスが「万物は水である」と言って、そこから哲学が始まったということになっています。

 おそらく多くの皆さんが「万物は水である」という言葉を聞いたことがあると思うのですが、ではなぜ、なぜこれが哲学なのか。これは、タレスが自分の頭で考えてそう言ったのだと信じられてきたからです。本当は分からないのです。タレスは著作を残していないし、ひょっとしたら神秘主義的宗教家だったのかもしれない。しかしアリストテレスや後のギリシャの哲学者たちが、「哲学の始祖はタレスだ」という時には、この人が初めて自分の頭で考えたとみなしているのです。

 哲学を始めたのはギリシャ人ですが、アフリカのほうにもイタリアのほうにも、地中海沿岸の全域にわたって植民都市を持っていました。そして交易を非常に盛んに行っていた。地中海におけるこういう交通・交易というものが何を生んだかと言いますと、「伝統的な自明な世界像へ疑いを持つ」ということだったろうと思うのです。

 自給自足的な暮らしを想定してみます。自分たちの一族や部族だけで暮らしている。ほかとほとんど交渉が無い。その中で農業などをやって、父祖伝来の暮らしがずっと続いていく。そういう状況を想定してみますと、そこではかなり世界像が固定的なものになるだろう。

 「世界像」という言葉はよく使われる言葉ですが、ぼくがどんな気持ちで使っているかと言いますと、「世界と自分とのかかわり」についての像なのです。ただ客観的に世界を知るということではなくて、世界はこういうもので、私はこういうもので、だからこうやってかかわっていったらいいのだ、という像なのです。そこには価値観というものが含まれています。

 例えばこういう世界像がありますね。「父祖伝来、土地を受け継いで自分たちは生きて来た。自分たちの一族を繁栄させることがもっとも大切なことである。男に生まれた自分は、大きくなったら家長という役割を担い一族の繁栄に努めるのが当然だ」というような。こうした世界像のなかには、家長なら家長なりのふさわしい生き方があって、それを果たすのが正しい生き方であるという価値観が含まれている。そういう価値観を含んだ世界像というものを、どんな人間も持っています。

 世界像が無いと人間は生きていけないのですね。もし世界像が何かで壊れてしまうと、それはいわば地図の無い世界に投げ込まれてしまったようなものです。迷子というのは大変恐いですね。海外で地図をなくしたりして迷子になってしまったら、ひどく恐いです。つまり、ぼくらはこの世界がどういうものであって、そのなかで自分は何者かであって、こういうふうにするものだ、という像(理解)をそれなりに持っているから生きていけるのです。それが何かのことで壊れてしまうと、人は非常に不安になって生きていけないような存在であるわけです。

 しかし伝統的な自給自足的な共同体においては、世界像はだいたい安定した形で与えられています。いままで親たちもこうやって生きてきたし、自分もそうやって生きていくのだということで、そこに疑いが少ない世界です。その世界像は、宗教、神話、伝説といったものと一体化しながら、安定したものとしてある。私たちからみれば、厳しいしきたりなどを含むわけですから、不自由といえば不自由なのですが、彼らにとってはこれが当たり前で、不自由だと考えることすらないかもしれない。

 ところが地中海をまたにかけて交易というものが始まる。交易とは、異なった世界像を持つ人間が接触しあうということです。つまりそこにはカルチャーショックということが起こり得る。自分にとって余りにも当たり前だったことがぜんぜん通じない連中があそこにもいる、ここにもいるではないかということになってきます。そういうとき、自分が今まで自明のものとしてきた世界像は、たまたまそう信じていたものに過ぎないというふうに思う。おそらくそういう状況が古代ギリシャで展開しつつあった。

 そこでタレスという人は、本当は世界はどうなっているかということを自分の頭で考え始めようとしたのでしょう。そこで彼は「世界のおおもとは何か」と問うた。

 このおおもとは何かというのがギリシャ哲学の典型的な問い方なのですが、このおおもと、つまり根源のことを、ギリシャ語ではアルケーという言葉で呼んでいます。このアルケーという言葉がラテン語に入って、プリンキピウムという言葉になります。プリンキピアという言葉は英語ではプリンシプルということになる。「原理」と訳されます。ですから、哲学とは「原理を尋ねる学」なのですね。物事の根源、原理を問い尋ねる学問、一言で言うと、哲学はそういうものです。

 タレスが初めて、世界にさまざまなものがあるけれども、そのおおもとは何だろうと自分の頭で考えてみた。いろいろ考えた末に、彼は水がおおもと、アルケーだと言ったのです。なぜ水なのかというと、二つくらい説があります。水というのは凍ったり、温度が上がってくると水蒸気になったりして姿かたちを変えます。実はおおもとは水であって、それが万物さまざまなものに姿を変えている、そう考えたのだろうという説があります。また別の説としては、水が無ければ生命が存在しない。あらゆる植物も動物も人間も、水によって養われているではないか。だから水こそが万物の根源であるに違いないと考えたのだろう、というものです。どちらが正しいのかは決め手がないのですが。

 これは哲学の始まりですが、科学の始まりと言ってもいいものです。ですから実は自然科学と哲学は同じものなのです。自分の頭で考えて、かつ、ちゃんと自分の主張を理由を付けて述べる。そういう仕方で議論を行って、その中で、より強く、深く、説得力のある考え方が生き延びる。そういう営みを哲学と言うのです。だから哲学というのは実は学問と同義語です。広い意味での哲学というのは、ありとあらゆる学問的営みを包括する名称なのですね。そこから自然科学が分かれたり、政治学が分かれたり、経済学が分かれたりしていったのです。だからタレスは自然科学の祖と言ってもよいのです。

 おもしろいのは、タレスが「水がアルケーだ」と言いますと、お弟子さんが「はたして水と言える根拠はあるのか?」と言い始めるわけです。水が本当に根源と言えるのか。例えば風でもいいではないか。空気みたいなのがあって姿をいろいろ変えているとか、人間も動物も植物も死ねばすべて土に返るから、土でもいいではないか。決定的に水と言えるだけの証拠はどこにもないので、水とか土とか言えないだろう。アルケーにふさわしいのは、そのような具体的なものではないはずだ。

 そこで弟子のアナクシマンドロスは、アルケーは「無限定のもの(ト・アペイロン)」だと述べたのです。何物にも限定されない、具体化されないような何かがあって、そういうものが姿を変えるというふうに考えなければだめだというのです。アナクシマンドロスの説には一種の論理的思考が芽生えています。水と言ってしまったら、土とか空気とか、ほかにもさまざまに同じレベルの候補が出てしまう。そうすると同位レベルで争ってしまって決着がつかない。それではまずいので、具体的な物になる以前の何かを想定しようとしたのですから、これはかなり高度な論理的な思考ですね。

 そうするとこんどはアナクシマンドロスのお弟子さんのアナクシメネスという人が「無限定のものでは何のことか分からない」と言い始めた。彼はいろいろ考えた上で「気息」がアルケーだ、と述べた。アルケーは空気みたいなものではないだろうか。空気は吸わないと人間はすぐに命が無くなってしまうという意味で、非常に重要なものだ。かつ空気のようなものが濃厚になって固まってくると液体なり固体になる。濃厚になったり希薄になったりすることで、固体になったり液体になったりする。濃厚とか希薄という考え方を入れて、もういっぺん具体物としての空気というのを出してきます。

 このように哲学というのは議論のゲームですから、そこに「あらかじめ存在する絶対の真理」などというのはないのです。お互いに議論しあって、どの考えがより深くて説得力があるかを競い合う。そこで勝ち残ったものをさしあたって「真理」と呼ぶ、ということです。ですから、もともとどこか客観的な真理があって、それを正確に言葉でもって写し取る、というふうに考える必要はない。議論しながら説得力のある考えを競い合っていくゲームなのです。だからあらゆる学問はほんらいは哲学なのです。そして哲学は、アルケー、つまり物事の原理をこそ問い求めるものであるということ、これを記憶にとどめていただきたいと思います。


●自然への問いから人間の問いへ

 さて、ギリシャ哲学はそれからどう進んでいったか、と言いますと、大きく「自然への問いから人間の問いへ」というふうに言うことができます。タレス以来、哲学者たちは自然はいったい何からできていて、自然を動かす根本の動因は何だろうかということを考えた。だから彼らは後に自然哲学者と呼ばれることになります。なかでも、デモクリトスという人は原子論のアイデアを出しています。性質の異なった原子というものがたくさんあって、それこそがアルケーである。それらがさまざまにくっついて多様な性質を持ったいろいろなものができあがる、という基本的に現代の原子論と同じ考え方です。そういうふうにして説明原理としてはより洗練されていったわけです。

 しかしその流れを大きく変えたのが、ソクラテスとその弟子のプラトンでした。彼らは紀元前五世紀から四世紀になります。彼らはどう言ったかというと、自然の根源をあなた方自然哲学者たちはさまざまに考えてきた。でも、自然が何からできているかということは本当に一番大事な問題なのだろうか。本当に問題にすべきは、「よく生きるとはどういうことか」ということではないか。そういうふうに言い始めるのです。

 ソクラテスとプラトンがいたのは、アテネの町です。アテネの町は彼らの時代に非常に富み栄えていました。さまざまなポリスのなかでもアテネは最強の都市になり、交易が盛んに行われ、かなり富裕な市民とそうでない市民の格差もできつつありました。そしてそれまでの伝統的な生き方も壊れつつあった。

 伝統的な生き方とは、男がしっかりと政治と防衛に携わり、女は男の補佐をするという生き方です。古代ギリシャ人において選挙権を持つ「市民」と言われる人は男です。彼らは、何かあったら国のために戦うということが非常に重要で、男の徳というのは国防を含めた政治に真剣に携わることなのです。対して、女の人の美徳というのは家長である夫を支えて自分たちの家を経営することを手伝う。夫に対する最大の援助者であり協力者になるということが女の人の美徳、役割なのです。

 ついでに言いますと、古代ギリシャの世界はポリスとオイコスという二つの領域から成り立っています。まず男性市民は、オイコスと呼ばれる家のトップに立っている家長です。男性市民を補佐するのが奥さんです。このオイコスというのは家長をトップとするピラミッドになっていて、ここにはたくさんの使用人がいます。この使用人の人たちは選挙権を持たないわけです。奴隷とも呼ばれていますが、鞭でバシバシと叩かれていたわけではありません。要するにオイコスに所属する使用人なのです。そして、荘園を営んでいたり、壷を作ったりするちょっとした工場をやっていたりするのです。

 ですから、オイコスはぼくらが普通に考える核家族とはずいぶんちがって、一つの小企業のようなもので、そのトップが男性市民ということになる。そういう対等な力を持つ市民たちが集まって、つまり中小企業の社長さんや荘園経営者たちが集まって、政治のことを語り合ったり哲学をやったりしていた。それがポリスという空間なのです。

 古代ギリシャにおいてなぜ哲学が栄えたのか、という疑問をもつ方もおられるでしょうが、対等な市民たちがいたから、なのですね。対等な人々が相互に語り合いながら政治を行ったりする一種の民主制、語り合う空間が成立したということなのです。これは歴史的にはものすごく珍しいことであって、近代以前においては、たいていはどこの社会に行ってもピラミッド型がふつうです。しかし古代ギリシャにおいては、ピラミッドはオイコスの内部だけに限られていて、そのトップ同士は対等でそこに議論の空間ができあがっていた。だから哲学というものも可能だったのですね。

 話をソクラテス、プラトンに戻しますと、この時代のアテネというのは非常に富み栄えていたと言いました。商売が盛んで、ものすごく富を持った人たちが出てくる。さらに言論ということが重要になってきまして、弁が立たないと政治家にもなれないし幅がきかないのです。ですから有力者は自分の子弟に家庭教師を付けてしゃべる訓練をさせるわけです。白を黒と言いくるめるということも含めて、弁論術を教えるわけです。そうやって弁が立つこと、お金を持っていることが出世の条件になるような社会に当時だんだんなってきていたのです。つまり、昔の質実なモラルがどんどん壊れて、人の価値はようするに金と弁と地位と権力で決まるのだという感覚になってきていた。そういう時代だったのですね。

 ですから、現代に非常によく似ているのです。つまり伝統的にポリスの中で受け継がれてきた生き方が大きく壊れていく時代だったのです。そういう時代であるからこそソクラテスやプラトンは「よく生きるとは何か」ということこそが一番大事なのではないかということを言い始めたのですね。

 振り返って考えてみると、自然哲学者も、実は本当は「よい生き方」や「生きる理由」を求めていたのかもしれませんね。世界(自然)のアルケーを求めた人々も、実は、世界の根源が分かれば自分がどう生きるべきかも分かるはずだ、と暗々裡に考えていたのではないか。

 世界の根源への問いは今でも継続中です。自然科学者たちは宇宙の根源を求めてビッグバンとかの理論を形作ったりし、物質の根源を求めて素粒子を構成するさらに細かい粒子を求めています。そういう人間の努力の背後にあるのは、「世界の真相が分かれば、何のために人間がこの世の中にいるのか、人間の生きる意味と理由が分かる」、実はそう思っているところもあるように思います。

 ぼくの同世代の人に森岡正博という人がいます。彼は大阪府立大学で「生命学」という学問の名称を自分で勝手に作ってやっている元気のいい人です。彼が言っていたことですが、高校生の時に物理学が好きで、宇宙の根本が分かればなぜ自分がここにいるのか、人間が存在していることの理由や意味が分かるのではないかと思っていた。ところが大学に入って理科系で物理をやっていて、ある時気付いた。いくら物理をやっても、何のために生きているのかという答えは絶対に出てこない。彼はそれで非常にショックを受けて、彼の世界像が壊れた、そこから哲学の一種の倫理学のほうに方向転換をしていったのですね。今でも自分が物理学者でないのが不思議な感じがすると言っていました。

 そんな話をしてくれたことがあってなるほどと思ったのですが、「自分って何だろう」とか「自分ないし人間がこの世に存在している理由は何か」という思いが実は、世界の根源を知りたいという欲求の根本にあるのだろう。そうだとすれば、世界(自然)を問うのではなく、「世界(自然)の根源を問うてしまう人間とは何か」、その問いをこそ考えてみなくてはならないことになる。

 人間とは不思議な存在ですね。なぜか自然の根源を考えてしまったり、宇宙の果てはどうなっているのかを考えてしまったり、私がここに生まれてきた意味を考えてしまったりする。他人とのかかわり方や自分の生き方を問うたりする。自分って変な奴だなあとか、自分ってけっこうすてきだなあと思ったり、自分というものが気になって仕方がなかったりもする。−−そういう人間とは何か、そういう人間をこそ問わねばならない。これが、ソクラテス、プラトンのなかに含まれている大切なメッセージなのです。

 自然の問いから人間の問いへ。これは鮮やかな思考の転換ですね。哲学はアルケー、原理を問うものなのですが、最初は自然の原理を問うたり、宇宙の根源を問うていた。もっと根源を問うてみれば、世界や自然の根源を問い、生き方を問い、自分について考え、社会について考え、他人とのかかわりについて考える。そういう人間とは何かという問いのほうがさらに根源なのだ、ということになって、自然の根源、アルケーへの問いは人間への問いへ転換されていくのです。こうして、狭義の意味での哲学が生まれた、といってもいいように思います。

●「生き方」を問う存在としての人間

 では哲学の中で人間についてどんな考えが出てきたか。カントの考えもあれば、ヘーゲルの考えもありますし、ハイデガーやバタイユといった人たちの考え方もありますが、でもどの論者も多分認めるであろう線というのをぼくなりにまとめたものがプリントの右上です。「生き方を問う存在としての人間」というタイトルを付けました。読んでみます。 

 人間は、自分自身の生を「対象」とする存在、自分自身のあり方を振り返り、捉えなおして生きる存在、である。人間はただ感じたり、苦しんだり、気持ちよかったりする存在ではない。

 高等な類人猿の暮らしなどをテレビなどで見ますと、感情のレベルでいうとほとんどぼくらと変わらないものがあるように感じます。ゴリラのメスとオスで仲がよかったが、繁殖の関係で動物園が若いメスを連れてくると、前からつきあっていたメスが嫉妬してご飯を食べなくなって一種のノイローゼみたいな状態になる。そういうテレビ番組を見たことがありますが、彼らもぼくらもほとんど変わらないのではないかと思うようなところがあります。

 ただそこに敢えて、どこに切断線を引けるかと考えてみます。するとそれは、自分の感情を対象にできるということ、だろう。人間は言葉を使う存在ですね。自分があることを感じている。そのことを例えば「あ、ぼくは寂しいんだ」と「寂しい」という言葉で呼んでみる。それで終わる場合もあるのだが、ときには別の言葉をさまざまに組み合わせて、この寂しさの感じをさらにていねいに言葉にしてみようとする。そういう努力からおそらく、詩や短歌、俳句のようなものが生まれるのでしょう。

 言葉というのは単語一つ一つをみれば極めて一般的なもので、寂しいなどという言葉にしてもありふれています。しかしそれらをある形で組み合わせることでもって、自分の固有な「この感じ」を言い表し表現しようとする。これが詩の世界であり、小説の世界だと思うのです。そこに詩を作るおもしろみがありますね。

 自分の寂しいという気持ちがあれば、その寂しいという気持ちを見つめてそれをなんらかの言葉の組み合わせのかたちにして、自分の中でその気持ちを確かめ、味わいなおす。そして、ほかの人にもその思いを伝えることができる。人間というのは考えてみると、すごいことをしているのですね。こうして、人間はただ苦しいとか寂しいとかではなくて、そこに言葉を与えることでその感情を振り返って対象とする生き物である。そういう存在になっているのです。

 次を読みましょう。

 人間はただ感じたり、苦しんだり、気持ちよかったりする存在ではない。苦しみがあれば「どこからその苦しみはくるのだ、どうやったら解決できるのだろう」と問いを発したり(思想)、その苦しみを見つめてその感触を他者に伝えようとする(芸術)。
 また特に苦しいわけではなくても、人はいろんなことに疑問をもち、答えを与えようとする。−−あらゆる神話が、宇宙の成り立ちや「人間はどこから来て、どこに行くのか」を語っている。たとえば、旧約聖書の冒頭から楽園追放の話などは、「世界の誕生」「われわれはどこからきたのか」「なぜ人は苦しみを抱えて生きざるを得ないのか」といった、人がしばしば懐く問いに、それなりの答えを与えるものとなっている。

 この旧約聖書の冒頭の話はご存じですね。神様エホバが七日間かけて天地と最後に人間を創造して、エデンという楽園の中で暮らさせた。そこは病も無ければ、老いも無い、苦しみというものが一切無い世界だった。

 しかしアダムとイブはエホバの言い付けに背いて、知恵の木の実を食べてしまう。知恵の木の実というところが何とも示唆的です。そうしたら急に恥ずかしくなって、前を隠したりする。それを見てエホバは気付いて、お前らは私の言い付けに背いたなというので楽園を追放する。楽園を追放されたことによって、老いや病いや死といった苦しみが人間にやってきたという話です。「人にはなぜこんな苦しみがあるのか」という問いに答えを与えているわけです。おもしろいですね。

 さらにこの話は、「では苦しみをどうやって耐えて生きたらいいのか」ということの答えも与えているのです。例えば、ぼくの友人にも障害者がいますが、本人は何も悪いことをしていないのに、なぜかそういう身体に生まれついている、なぜなんだ、と思う。−−大なり小なり、人はそういうことを思うことがありますね。何も自分は悪くないのに、なんで自分はこんなふうに生まれついたのか、と考えたりする。

 そういう、人が感じる生の不条理のようなものに対して、宗教は答えを与えてくれる。「それは神様があなたに与えたレッスンです。苦しみの中でも心清く生きたならば、必ず死んだ後で天国に行って、永遠の幸福に預かることができるのです」。こんなふうに言われたら、思わずひっかかってしまいそうですね。ぼくは宗教を信じない人間ですが、人はただ苦しむ存在ではなくて、なぜ苦しんでしまうのだろう?というように、苦しみに対して振り返り、それに態度を取ろうとする存在です。そういう存在であるからこそ、その苦しみに対して何らかの答えを与え、方向付けるものが必要になり、それを宗教というものが担ってきたということだと思うのです。

 実は宗教というものは皆が信じていればハッピーなのですが、近代以降の時代は宗教がその力を、誰もがそれを信じ導かれて生きていけばいいという絶対の指南力を、失っていく時代でもあります。そうなると人は世界像を自分で形作らなくてはいけなくなってくる。

 古代ギリシャの時代と近代以降の時代は、その点で似ています。安定した世界像の中で生きていられなくなる。一人一人が自由な生き方ができるようになるとともに、一人一人が自分の生き方を作らなくてはならなくなる。自由ということは大変すばらしいものであると同時に生き方を作らねばならないという重荷でもあります。そういう時に、宗教のような形でなくて、一人一人が考えていく。疑問を持ち、問いを発し、ほかの人たちと考えを交換しあう中で、それぞれが自分の生きていく方向を形作る。そういうことが必要になってきます。それができないと、現代人はとても苦しくなってしまう。

 近代も初頭のうちだと、それなりに生き方の形がはっきりしているところがあります。日本社会で言いますと八十年代初頭くらいまでは「追いつけ、追い越せ」という世界像がありました。日本は遅れているのだからまだまだがんばらなくてはいけなくて、欧米に追いつけ、追い越さなければいけない。貧しいのだから豊かにならなければいけない。後発近代といいますか、国全体としてそういう目標があった。個々人にも同じような目標があった。貧しい家に生まれた人が都会に出ていって豊かになる。しかもその手段の第一のものは勉学でした。学校に行って勉強を身に付けて、社会的に活躍できるポジションを得て豊かになる。そういう生き方の目標がありました。

 ぼくの考えではそうした目標、生き方のモデルが八○年代初頭に壊れたと思っています。理由は一言でいえば、目標としていた豊かさが達成されてしまったということですね。追いつかなくてもよくなってしまった。若い方はご存じないかもしれませんが、タケチャンマンなどが出ていた『オレたちひょうきん族』という番組が八○年代初頭にあって、そのあたりが変わり目だったと思うのです。貧困を脱出するためには学問を身に付けて、学問を身に付ければひとかどの者になれてちゃんと活躍できる、だからちゃんと勉強しなければいけない、というような考え方も壊れる。何のために勉強しているかも分からなくなってくるし、生き方の形をどうやって作っていったらいいかも分からなくなる。

 そこからが混沌とした「世界像の危機の時代」になってくる。どうやって生きていったらよいのか分からない時代になってきたと思うのです。でもそういう時代だからこそ、自分の世界像の形を確かめたり問い直したり、互いの価値観を含めた世界像を交換し合ったりして、一人一人が世界像をつくりあげていくことが必要になる。そういう営みがどこかでフォローされないといけない。

 昔は大学に行くと生き方を語り合うということがあったと思うのですが、大学がそういうものとして機能しているかは難しいです。多くの大学は就職に役立つということに、かなりシフトしつつあります。本当の意味で人間と社会のあり方をさまざまに考え、それを通じて自分という存在について考える。そして、自分の生き方の方向、価値観というものを一人きりではなく一緒になって考えていくということが、できなければいけないだろうと思っているのです。

 話を一気に飛ばしてしまいましたが、ぼくはそういう、生き方を考えることを行ってきたのは国語の教育だったのではないかと思っているのです。だから実用文のスキルの教育だけではだめだと申し上げたのですね。話をいきなり結論までもっていってしまいましたので、もう一回ネジを戻して、改めてもう一回「近代とは何か」いう話をしてみたいと思います。


U 近代という時代−−自由と“表現のゲーム”

 さて、近代という時代区分については、今はもう近代は終わったのではないか、ポストモダンな時代ではないか、という意見模あります。ぼくの考えでは、近代がもっと徹底して進んでいっているのが現代だと見たほうがむしろ説得的ではないかと考えています。ですから、ここで言う近代は、現代も含んだ概念としてとらえていただきたいと思います。

 では、近代という時代のいちばん重要なポイントは何か。それをぼくは、“自由が解放されたこと”だと考えています。そして、自由が解放されるとともに、そこに“表現のゲーム”とでもいうべきものが生まれてきたという話をしてみたいと思います。

●個人のめざめ

 まず最初に、「個人」のめざめとは何か。ルネッサンスと宗教改革が近代の始まりであって近代的個人がめざめた、というようなことを世界史で習ったと思います。でも個人のめざめとはいったい何だったのでしょうか。

 キリスト教というものがヨーロッパ中世では強固な世界像を張り巡らしていて、それは「ひょっとして神様なんていないのではないか?」という疑問をもつことすらできないような、強固な一枚岩の世界像でした。そこに十一世紀くらいから十字軍というのが始まります。ヨーロッパというのは当時、自給自足的な農村社会で、とても田舎でした。対するイスラム圏は非常に文化が栄えている。田舎者たちの十字軍は、強奪は働くわ、何はするわで、大変たちの悪い連中でした。

 しかしそれ以降、地中海での交易が始まります。つまりイスラム圏の高い文化の産物やぜいたく品、香料といったありとあらゆるものをヨーロッパに持って帰って商売する連中が出てきた。それだけでなくヨーロッパの中でも、こっちで取れた羊毛をあっちに持って行って毛織物を作る、というふうに交易ルートができてくるのです。そうして都市というものが発達してきます。

 ヨーロッパ中世史家の阿部謹也さんの説では、近代なるしばらく前、十二、三世紀くらいに個人の始まりがあるという説です。交易が始まってきて都市というものがだんだん栄え始める。力のある都市は領主の支配から離れて、親方たちが集まって政治を営む自治都市というものもできていく。この自治都市に農家の次男坊、三男坊が逃げていって入り込むと、彼らにも親方になれる可能性がでてきた。

 それまで、職業選択の自由などというものはないのですね。父祖伝来の土地を耕して生きているわけです。ヨーロッパでも土地は長男が相続するらしいのです。それで次男坊、三男坊というのは行き場がない。そのまま田舎に留まっていれば結婚もできないまま家にいて、手伝いをして一生を送るということになります。ところが都会に出て行けば、ひょっとすると例えば靴屋の親方のところに弟子入りさせてもらって、一生懸命徒弟修行をすれば自分も親方になれるかもしれない。親方になれば立派なものです。「ひとかど」の者となって、都市の中で選挙権も持てるかもしれない。

 つまり自分がひとかどの人物になれるという可能性が、初めて十二、三世紀くらいに出てきた。それとともに、自分の人生をどうするかという「問い」に直面する人もでてきこた。その時初めて個人が生まれたのだと、阿部謹也さんは言っています。

 それまでの人間は一族の中で役割を担って生きる存在であって、もう生き方は決まっていたのです。例えば家長としての役割がある。もちろん家長も決断はします。何も考えないかというと、そんなことはありません。自分たち一族を繁栄させていかなければいけない責任があるわけですから、いろいろな事件が起こった場合に厳しい決断にさらされるということはあったでしょう。でもその時の決断は、一族の長としてどう決断すべきかであったのです。「いずれ死んでしまうこの私の人生を、では私はどう生きればよいか?」という問い、個人として生き方への問いは無いのです。

 職業選択の自由の可能性がわずかに開かれてきた時に初めて、私はどうやって生きるのかという問いが起こってきたということなのです。だから十二、三世紀に都市が発展してくる時期をもって個人の誕生としよう、少なくともその芽生えがあるというのが、阿部さん説なのです。

 しかし実際に個人という感覚が出てくるのは、もっと後の話です。市場経済が広がって都市が発達してくれば、さまざまな商売や職業も生まれてきます。そうなってはじれて、人生を選べるようになってくるわけです。こういう人生に対する「賭け」の意識というものは、ルネサンスにはとてもよく現れてきます。一回こっきりのこの人生を、どのように面白おかしく生きてやろうかというような明るさがあるのです。人生を楽しみたいという意識、一攫千金をねらってみたり、というふうになってくる。これが個人の登場ということだと思うのです。

 ぼくらにとっては一人一人が自分の人生を選ぶというのは、余りにも当たり前になっているのですが、実はこれは近代になって初めて一般化したものです。最初は都市のわずかの人たちだけですが、だんだん田舎のほうにも浸透していって共同体的な生き方が壊れ、今の日本では誰もがこういう問いに直面せざるを得ないようになっています。

●市場経済のゲームと表現のゲーム

 そうやって市場経済がどんどん発達していって近代というものが浸透していくのですが、そこには「経済的自由」の解放ということが含まれています。商売の自由ですね。これはぼくのものだから、自由に売ったり買ったりしていいのだという自由です。この売買の自由というのは、近代以前には実は極めて制限されていました。そもそも土地を売るということはほとんどできないのが普通です。日本でも江戸時代に永代売買禁止令という、土地を売るなというのがありました。自分の所有物は自分の物だから、これを売ろうが捨てようがあげようが勝手なのだという経済的自由というのは無いのです。近代になって初めてそれは解放されてくるのです。

 そういう中で商売をする市民層が出てきます。ヨーロッパではやはりオランダやイギリスが早いです。イギリスは千六百年に東インド会社というのを作って遠くインドのほうと通商を始めていますので、非常に早いです。十七世紀には、既に市民層というか、商売をする人たちが一定の層として成立していて、そういう人たちはコーヒーハウスに集っていたというのです。イギリスというと紅茶というイメージがありますが、当時はコーヒーがはやっていたのでしょう。当然イスラム圏から持ってきたのでしょう。紅茶も出たようですが。そのコーヒーハウスに市民たちが集って、そこで新聞を読む。新聞も十七世紀くらいから出されているのです。早いですね。それには経済情報や政治の意見が載っています。そこで市民たちは互いの意見をしゃべり合い、政治についてもあれこれ言う。今度のこの法律はおかしいというようなことを言い始めたりします。そのような市民たちの議論の場がコーヒーハウスだったのです。

 大変おもしろいのは、それと同時に文学や芸術というものも出てくるのです。これをぼくは「表現のゲーム」と呼んでいます。ゲームという言い方がちょっとなじまないかもしれません。これはウィトゲンシュタインという哲学者の「言語ゲーム」という考え方から取ったものですが、単なる遊びではなく、人々の集団的な営みのことを広くゲームという言葉で呼ぶことにしています。それぞれ異なったルールを持つそれぞれのゲームがあって、それぞれを営む中で人々はそれぞれに異なった喜びなり必要を満たしたりしている。そういうふうにイメージしてみてください。

 例えば、近代になれば市場経済のゲームが発達すし、その中で人々は「生計の可能性」を得る。商品や能力を売ってはじめて生活できるのですから、そこで生き延びるためには、売れる能力を身につけないといけなくなります。これはしんどいことですが、しかし封建時代のように、特定の人物に身分的経済的に従属することからは解放されます。

 表現のゲームというのはそれとは別種のゲームで、生計を可能性とはまた別のものを人びとは得る。文学や芸術の営みのことです。十七世紀イギリスではコーヒーハウスで新聞を読んだりするだけではなくて、文学作品をお互いに読み合ってそれに関する感想を言い合ったりするような、つまり、読書会のようなことも行われていたのです。

 この表現のゲーム、つまり文学や芸術の核心をどう言うと一番ぴったり言えるか、というのはなかなか難しいのですが、「互いの人生に対する態度を表現しあうこと」と言ってたいと思います。

 人生に対する態度というのは、例えば何かの苦しみを抱えこんだ時に、その苦しみにどう向き合うかということもあるでしょう。また、職業的な生き方について、例えば教員として生徒に対してどう振舞うことが「よい」のか、と考え込むこともあるでしょう。生きることをどのようにとらえるか。とくに、何を良いことと考え、何をやってはいけないことだと考えるか。何を美しい人生の糧と考えるか。そういう意味での「人生に対する態度」をお互いに表現しあう。そうするなかで、何が本当のことであり、生き方の形としても美しいことなのだろうかということを考え合う。そこには、「良いこと、本当のこと、美しいことを目指す」ということがあります。

 それだけだとあまりに美し過ぎるかもしれません。苦しみの形を交換するということも、表現においてとても大切なものです。この苦しみは自分だけのものではなかったのだ、自分以外の人もこのように生きていて、そのことに対してこうやって生きようとしている。私は一人ではない、というように、深い共感とともに他者の苦しみと自分の苦しみを結び合わせる。例えばそういうことが表現の場では起こるのです。

 表現の場では作者は「個性」を持つ者として登場します。個性という言葉が言われるのも近代になってからです。近代以前に個性などというものは問題になりませんでした。個性であるよりは一族のなかでの役割をどう果たすかということが人間にとって重要なことだったからです。例えば家長としてふさわしい役割を果たしているということが立派なことであって、その人らしさ、その人の個性は問題にならないのです。

 ところが表現されたもの、文学作品とか詩でいいのですが、そういうものを読んで受け取るときに、その作者という者は単なる役割ではない。例えば駅員さんとして立派に駅員の仕事をしているというのも一つの役割を果たすことであって大切なことですが、そこではその人の個性は問題にならない。しかし、表現においては「人生に対する態度」が問題になりますから、そこでは単なる役割ではなくて、一人の個性を持つ人格、生きている一人の人間性というものが現れ出てくる。作者は、そういう意味で、個性を持つ者として登場するのです。

 そういう表現し考え合うゲームが、十七世紀イギリスではコーヒーハウスで、十八世紀フランスでは貴族のサロンなどで起こりました。サロンに集っていた人たちの中にルソーなどもいて、フランス革命を用意するわけです。ドイツは後進ですが、十八世紀の後半くらいから読書クラブが次々に作られていくのです。

 大変おもしろいのは、ドイツの読書サークルには当然貴族層も参加するわけですが、貴族も市民もその中ではまったく対等だというルールなのですね。確かに、読書サークルをやる時に、自分は貴族なのだといって偉そうにしている奴を見れば「バカか、こいつは」と思うでしょうね。そういうふうにして、この場では実世界の身分は関係なく、対等な人間として出会い、対等な人間として自発的に関係を作ってやっていくものだ、というルールにおのずからなっていく。そういう対等な人間同士としての場面ができ始めるのです。こういうものが近代というものの非常におもしろいところです。

 近代を経済的自由と市場経済の発展というところだけで見るとつまらないですね。近代は自由を解放した。自由を解放したということは、生き方への問いを誰もが持つようになったということでもある。そういう人間たちが対等な存在として出会って、お互いの生き方の形や考えを交換し合う表現のサークルが次々に作られた。そういうふうにイメージしてみるといいと思うのです。

●三種類の関係性−−愛情・役割・表現

 今のことと関わりますが、ぼくは人間の生を三つの異なった関係性でとらえてみたらいいのではないかと思っています。

 まずは「愛情関係」と「役割関係」という二つがあります。近代以前の人間関係はこの二つでほとんど尽きていると思います。愛情関係というのはお互いがお互いを愛して受け入れているということ、一緒にいること自体が目的である関係です。何かのために何かしているのではなくて、一緒にいること自体が目的です。そういう愛情の関係をほとんどの人が持っています。親子や恋人同士の関係も愛情の関係ですね。

 でも人間は愛情の関係だけで生きていません。必ず社会の中である形で役割を担ってきています。近代以前でしたらそれは家長という役割だったり、その家長をヘルプするものとしての女性の役割だったりといふうに、役割が決まっているのです。現代社会では、会社に入るとそこでなんらかの役割を果たすことになります。

 役割を果たすことと愛情の関係をもつこと。この二つは人間にとって非常に大きな契機であって、どちらが欠けても多分人間はとても苦しいでしょう。愛情の関係、お互いにお互いを受け入れあっている関係が作れない人は苦しいでしょうし、仕事という場面を持ち、その中で自分がある役割を果たし、そのことをなにがしかよくやっていると認めてくれる人がいないと苦しいでしょう。−−ところでこの二つは昔からのものですが、近代になると「選択」の問題になります。誰と結婚するかとか、どういう職に就くかということの二つは、近代の青年にとってとても大きな関心事になるわけです。

 でもこの二つで人間が足りるかというと、足りないのではないかというのがぼくが言いたいことなのです。つまり「表現し理解しあう関係」というのが、近代以降の人間にとってはとても大切なのではないだろうか。

 これは基本的には友人の関係と考えていいのですが、友人関係は愛情関係の面をも、もっています。お互いに一緒にいる、バカを言い合う、お互いが好きだという関係ですね。でも、友人の関係はそれだけではない。

 久し振りに友達と会う。このところ、こんなことがあったよと話をする。何か苦しいことだったかもしれない。そのときこういうふうに俺は考えた、というような話をする。それを、うん、うんとうなづきながら友達は聞いてくれる。聞いてくれるけれどポツリと、「でもこういうこともあるんじゃないかな」と言ってくれたりする。その言葉がフッと心に残って、帰ってからもずっとそのことを考えていたりする。そういうふうに生きることに対する態度を表現し、相手はそれを受け止めて返してくる。友達関係にはそういうことがありますね。

 こういう「表現と理解」は、残念ながら、仲のよい家族の間でもなかなかできない。できることが理想ですが、しかしできないことも多い。では、会社の人間関係の中でできるかというと、もちろん友達になればできるのですが、しかし会社は基本的には仕事の関係ですね。大げさにいえば「生まれて生きていつか死ぬものとしての自分はどう生きるのか」という問題を、もっと簡単にいえば「この前こんなことがあったよ、それについて俺はこんなことを考えたんだがなあ」ということを語り合う、そういう関係というものをぼくらは必要としていると思います。

 これを「表現し理解し合う関係」と呼ぶとすると、これを延長したところに、文学や表現のゲームがあると言えるでしょう。ぼくらがいろいろな本を読んで考えて文章を書いたり、そのことをめぐって議論しあったりする。高校生ではなかなか議論は難しいかもしれませんが、大学になるとそういうことをする(それも難しくなってきているのですが)。こういう表現しあう関係というものが無いと、私たちの生はどこか貧しいものになってしまうと思うのです。何度もいいましたように、現代を生きる私たちにとって、生きることをどう理解し方向づけるか、という課題が本当に難しくかつ切実なものになってきている。言葉でもって互いの生に対する態度をやり取りできるような場面というものを、若い子たちも必要としていると思います。


V 「書くこと」においてもっとも大切なこと

 人が一まとまりの文章を受け取って、感じて、考えて、そしてまた書く。そういうキャッチボールというかコミュニケーションというものが、表現のゲームの実質になると思うのです。そこで最後に、書くことにおいて最も大切なことは何か、についてのぼくの考えをお話ししてみたいと思います。

 第一に、「自分の中に動いているものを表現してよい、ということの体感」。

 書くということで自然に自分の感情を表出できる子もたくさんいるのですが、そうできる子ばかりではない。「正解」とか「場にふさわしいこと」を敏感に察知してそこに合わせる形で言葉を出すことを身に付けてしまっている人が、たくさんいるように思います。しかし、自分の感覚を信じて表明する自由さが体感できないと、書くことは自分を表現するものにならない。

 ですから実用文というのは表現ではないのです。もちろん実用文は役割としての人間には必要なのですから、その訓練は無意味ではありません。しかしそれはあくまでも、社会の中である仕事を担う、役割を担う存在という面での重要性にすぎない。

 でも生き方を考え、それを交換し合う「表現のゲーム」においては、場に合う言葉を出すというやり方を変えなくてはいけないのです。自分の感覚を信じて表明することができるのだ、そうしてよいのだという自由さを、どうやって体感できるかということ。これはとても重要だと思います。すごく難しいことですが、もっとも大切なことだと思います。

 第二に、「書くことは自分自身とのキャッチボールであり、かつ他者とのキャッチボールでもあるということの体感」。

 書くことが自分とのキャッチボールであるとはどういうことか。書くときには自分の感触を見つめていって、そこにふさわしい言葉を探すのですね。どういう言葉を組み合わせていけば、この感触がぴったり言えるだろうかと試す。しかしこれはただ感触に言葉をあてはめるというより、言葉にすることによって感触そのものを確かめてもいるのです。言葉にすることによって、「ああ、こんなふうに自分は感じていたのか」とわかってくる。自己了解のおもしろさ、とでもいうべきものがここにはあります。

 ぼくはこのことでは、小林秀雄の言葉をいつも思い出します。何に書いてあったかを忘れてしまって元の文章を前から探しているので出典がわからないのですが、ある小林のエッセーでこういう言葉がありました。「蓼食う虫も好き好きということわざがあるが、人間は誰もが自分の中に虫を飼っている」と。その虫は何かにつけていろいろ言うのです。なんとなく虫が好かないとか、すごいじゃないかとか、言うのです。そして「この虫を認識し育成することが批評ということなのだ」と小林は言っているのです。

 文芸批評というのは作品を批評するわけです。まず作品を読む。自分がなぜか知らないがものすごくひきつけられたとする。その時に自分の中で動いているこれって何だろう。この自分の中で動いている虫を認識し育てる。それが批評なのだ、と小林は言うのです。単なる印象批評ではないかと言われるかもしれませんが、印象批評こそが大切なのです。批評にとってはそれこそが一番大事なことであって、自分の中の虫、作品に触れて自分の中で動いているものの正体をつきとめようとする。それこそが書くということなのだ、と小林は言う。

 この言葉に出会ったのが二十代の半ばすぎ、二十六、七くらいだったと思うのですが、これはぼくの中に強く響いて、ずっと残ってきました。なんで残ったかと言いますと、ぼくは学者になろうと思っていた人間なので、たくさん勉強しなくちゃいけない、向こう側にある真理に追いつかなければいけないと思っていたのです。後発近代的な「追いつけ、追い越せ」にも似て、向こうにあるものに向かって一生懸命走らなければいけないと思っていました。

 しかしそうなりますと、自分の中の感受性をどう育てるかという課題は死にます。自分自身の感受性の問題と勉強することの間にいつも断層があって、引き裂かれていたのです。でも小林の文ではっとほどけた。「そうだ、向こうに正しいものがあるのではない」と。もちろん勉強はします。いろいろなものから刺激を受けます。でも自分の中に動いているものを育てる、そのことが一番大切なことなのだと分かって、ぼくはそれまでの勉強しなければいけないという強迫観念から一気に自由になった感じがありました。その点では、小林に対してはちょっと恩人のような気持ちがあります。すこし脇にそれましたが、自分とのキャッチボールは、自分の感受性を確かめ検証することであり、それによって世界像をつくりあげていく作業てもあるのです。

 でも、書くことはそれだけではない。これを他者にどうやって伝えるか。ここがまた勝負になる。どういう言葉で言えばこの人たちに、場合によっては不特定多数の人たちに伝わる言葉になるか。ここが修練です。他者とのキャッチボールであるということ。そして他者からの批評を受けることも重要です。

 書くことは、自分のなかに他者を代表するもう一人の人間を住まわせること、といえるのかもしれません。書きながら、いやこれでは伝わらない、という声がする。そういう声を聞きながら、表現を練っていくのです。

 三番目ですが、「読むこともやはり、他人から投げられたボールを受け取ることなのだということの体感」。

 読みのことですが、読みは本当に重要で、ここを育てないと書くことも育たないだろうと思います。確かに「情報」をもらう読みというのもありますし必要ですが、筆者が自分の思いをこめた論説文や文学の文章に対しては、情報をもらおうとして対するのではありません。とくに大切なのは、この文章も一人の生きた人間から発せられている、ということの体感ですね。「さまざまな異なった立場、自分とは違う世代とか階層とか性とか時代に生きる人びとがいる。そういう人びとが何かの必要があって言葉を発しようとしている」−−そういう感覚がすごく大切で、読みの指導はここを意識させることが大切だと考えます。

 論理の展開を読むということは二次なのです。もちろん論理の展開を読むのは重要ですが、展開を追いつつ、いったいこの人は何でこんなことを言わなくてはいけないのだろうか、どういう生きている場所や生存の条件のもとで、どういうことが引っ掛かって、何でこんなことを言わなくてはいけないのだろうか、そのことを問いかけ感じ取ろうとする。ぼくはこれが一番大事だと思うのです。プリントにはこのように書きました。

 「論説文の場合、筆者自身の論理の展開を読むと同時に、その背後にあるものを読むことが必要。なぜ、わざわざこんなことをこの人は言わねばならないのかということを読みつつ、同時に感じ取ろうとする。人文・社会科学ではこのセンスは必須」と。

 客観的な読みというようなもの、つまりここに書かれている内容をコピーアンドペーストして自分の中に取り入れるという読みはあり得ないわけです。一人の人間がいて、何か言わなければいけない問題がある。何か事情がある。そこから言葉を発して語りかけてきている。そのことを、「これって何だ」と問いかけてつかもうとして初めて、文というものは理解できるということです。だから本当にキャッチボールなのです。

 最初にお話しした実用文のトレーニングブックでは、具体的な状況や他者を意識させる、といいました。じつはエッセイや文学や論説文であっても、「どういう人からの発語なのか」を意識させることは大切ですし、文学を素材にして他者意識を育てることは可能です。文学や論説文をコミュニケーション、キャッチボールとして読む、そういう工夫があってよいと思います。

 プリントには、「自分とは生き方の形、また生きる上での条件が異なる人々がいる」ことを感じ取るのが大切、と書いてあります。昔の人は自分とは異なった社会と条件のもとに生きている、自分とは生存の仕方、条件の異なる人々がいる。そのことを文章を通して感じること。そこから振り返って自分というのはこういう生き方をしている、生存の仕方をしている、ということを自覚する。人間というものは自分と同じ人間だけではない。異なった存在として生きているということの感受が大切です。

 でも異なりだけということはない。現代思想は差違ということを非常に強調しますが、差違だけでは絶対に読みは成立しないと考えています。とことん違うのだという思いと同時に、でもやはり同じ人間であって、けなされれば悔しいと思い、人が受け入れてくれれば嬉しいと思うという、同じ人間としての思いがやはりあるはずです。それがなければ、共感的な理解というものが成り立たない。違いの感受と同時に、同じ思いがあるのだということの感受。この二つをどう育てていけるか。それが読みということに関しては決定的なことだと感じています。

 これを共感とずれと言っても同じことです。自分と筆者の間のずれ、違いというものと同時に、そこに同じ感受性の動きがあるのだということ、人間として同じ、変わらないものがあるのだということの共感、その両方が育てられるかどうかということだと思うのです。

 読んでいて、自分の中に共感と反発が生じる。でもすぐにそこにいかないで、いったん自分の気持ちを置いて、彼はどうだったのだろう、彼女はどうだったのだろうという、筆者そのものにも思いを巡らせてみる。そういうことを通じながらふたたび、自分の共感と反発じたいを見つめ直す。−−例えば小論文の中でそれについて自分なりに表現し、クラスメートや周りの人たちに届ける。そういう形で一人一人が自分の中の虫を育て、生きる形を育て、自分と違った人間に対する理解を育てていくことが大事だと思うのです。

 ぼくは大学で「言語表現技法」という、小論文の実習のような授業をやっているのですが、それはただ文章のスキルを鍛えるというのではなくて、各人のなかの「虫」を育てるための授業と思ってやっています。

 そういった表現のゲームの基礎、土台を育ててきたのはやはり国語教育だろうと思います。それは外国人に日本語を教える日本語教育ではない。国語教育にはそういう、近代人が表現のゲームを営むための基礎を作るという、ものすごく重要な使命があるのではないだろうか。本当にそのように思うのです。

 もちろん実態としては学力差もありますし、いきなり表現のゲームをやらせるなどということは難しいのかもしれない。理想論ばかり言っていて何だあいつは、と思われる方もいらっしゃるかもしれません。しかし国語の教育というものに、こういう表現のゲームを営める基礎を用意する、また実際に少しでもゲームをやってみる、そういう面があることは、絶対に否定してはならないもの、とても大事なものであるように思います。

 今日はこれくらいでお話を終わりにしたいと思います。長い間ありがとうございました。


《質疑》

 「読むこと」を後退させ、「話す」こと「聞く」ことに力を入れている国語教育の現状をどう考えておられのるかということを、もう一回あらためてお聞きしたいと思います。

《応答》

 西 ありがとうございました。いま話す、聞くというのはかなり重視されていて、書くがその次くらいに来るでしょうか。多分コミュニケーション・スキルをつけるというようなことが頭にあって、そういう方針が出ているのだろうと思います。確かに場面を作って、その場面の中で相手の言うことを受け止めて、それを返すという練習は必要なことでしょうし、あったほうがいいに決まっているのですが、「実は、読むということじたいが筆者とのコミュニケーションなのだ」と捉える観点がない。少なくともいま大学に一年生として入ってきた子たちに「読みはコミュニケーション、キャッチボールなんだ」という話をすると、びっくりするのです。

 何となく文字の流れを読み、要約を作れといわれれば、何となく全体をまとめてあげて短くするのが要約だと思っている。一人の人間が何か言いたくて言っている。どんな作品でも小説でもそうなのです。そういうキャッチボールというかコミュニケーションとして作品をとらえる観点が学生のなかにない。実をいうと読みこそが、指導によってはキャッチボール、コミュニケーションの能力を鍛える過程となるし、またそういう次元まで行かないと、自分自身の生き方を深く考えたり表現したりする力は育たないと思います。

 文学や論説などのテキストを読むことなしに、表現のゲームが深みを帯びることはない。なぜかというと、人間は言葉でもって自分自身をとらえ直して表現するわけですが、どういう手つきで自分と触れていくか、というさいの手つきは、モデルがないとなかなかできないのです。いろいろな人のものを読みながら、こんな考え方があるのか、こんな感覚があるのか、こういう言葉で物事をとらえるのか、ということを身体でわかっていく。自分の言葉を作っていく作業は、ある意味で真似からスタートするのです。

 キャッチボールとしての読みの練習がないと、ディベートの場を作ってやらせても、なかなか深みを持ったところには行かないと思います。おそらくいま質問してくださった方とぼくはほとんど同じ考えなのだと思うのですが、読みを重視する必要、確かにあると思います。そして「テキストの読みは昔風で、それに対してコミュニケーションスキルを育てるほうが現代的なのだ」という見方はまちがっています。「読むこと自体が非常に深い意味でコミュニケーションの力を育てることなのだ」という観点がいま必要だという気がします。

 書くことでいいますと、ぼくが実用文の練習の悪口を盛んに言ったのは、本当にテキストの読みを練習し、自分の考えを整理して人に伝えるような文にして書くという練習をした人が、企画書を書けないわけがないのです。自分の考えを他人に向けて書くという練習をした人が、コンパの時に不適切な文章を書くということはあり得ないのです。

 今の若者は他者に対する想像力が欠けているからそこを育てなければというのが、おそらくいまの教育方針の背景になっていて、それがコミュニケーションスキルの強調にかかわっていると思うのですが、実は他者に対する想像力を育てることも、読むということ、そして読むということを踏まえての書くということによって、深いところまで広がっていくと思うのです。現状をよく知りませんが、読みを軽視した上でコミュニケーションスキルを鍛えていくというやり方になっているとすれば、それは好ましいことではなかろうと考えます。

《質疑》

 パリのサロンとかイギリスのコーヒーハウスに相当するのものは今日の日本ではコンピューターのチャットとかメールではないでしょうか。そういうところから新しい転換、エポックメーキングみたいなものが生まれるのでしょうか。

 また、情報のやりとり等、世間のスピードが非常に速くなっている中、哲学はどうなっていくのでしょうか。

《応答》

 西 コーヒーハウス、サロン、読書クラブのさいのメディアは本ですね。それが今は、テレビの画像はもちろん、さらにインターネットというのが出てきて、コミュニケーションのツールとしてはものすごく大きく変わってきている。このことが新しい本質的な転換になるのかどうかというのが最初のご質問だったと思います。端的に言うと、分からないというのが答えなのですが、それについていくつか考えることはあります。

 一つはメールの文化が生まれたことですね。メールは携帯でパパパッというのもありますが、多くの人たちがメールで日常的にやり取りをするようになりました。その中でかなり長い文章もやり取りしている。若い人たちはあまり本を読まなないと言われますが、かなり文字は書いているのですね。おそらくそういうことが、大学に入ってまもなく芥川賞をとる人が出てきたり、ということと関係しています。じっさい大学のなかでも、文を書きたい人はすごく増えていると感じます。

 昔は少数の教育を受けたエリートたちだけが小説を書いたり詩を書いたりしていた。しかし今は、誰でも表現できるし自分だって書けるという感覚をつくりだしている。今のコンピューターとネットの文化は、そういう条件を作っていると思うのです。その意味では、表現のゲームにとって好条件があると思います。

 ただマイナス条件もあって、例えば自分でホームページを作って、そこに自分の日記を延々と書いている人とがいます。そこにはリアクションも関係なく、ともかく延々と私的な思いを書き連ねていく。

 もともと表現の文章というのは不特定多数の人に対して書くものですが、それでもこういう人たちにこういうことを訴えかけたいということがあって書くわけです。だからそういう人たちから反応が返ってきて、「あんたの考えはおかしい」と言われたりもする。そういうところで鍛えられるのが表現なのです。

 ところがネットの場合はいわば書き放題で、コミュニケーション、キャッチボールにならない形で、延々とモノローグを語ることができる。また自分の顔が見えませんから、自分の中の世の中に対する不満などをやたらに散りばめた文章をかける。ネットの中でだけ初めて解放されるのかもしれませんが、悪意に満ちた文章も多いです。そういうものを解放しているということがあります。

 だから表現になるためには、キャッチボールにならなければいけない。キャッチボールという形でネットをうまく利用できている人にとっては、ネットというのは非常にいい条件ですね。でも場合によってはネットというのはキャッチボールでなく、モノローグと悪意とを延々と書き散らかす道具にもなりかねない。そういう恐さも持っている。そういうことを感じます。それが一つです。

 第二に、哲学というものがこのものすごい情報化の時代、変動していくスピードの速い時代に、いちいち立ち止まっていられるのだろうか、そういうものとしての哲学というのは、滅びてしまうのではなかろうかというお話がありました。ぼくも忙しくしていますので、その感じも分かるところがあります。

 ぼく自身は哲学に関しては古典的なクラシックな考え方を持っていると思います。哲学はちょっと距離を取ります。いま起こっていることを落ち着いて冷静に、いま起こっている問題の核心は何か。哲学は常に核心は何かと問うものだと思うのです。昔はそれを本質という言葉で呼んでいました。本質という言葉はいまは永遠不変なアプリオリなものを指すものと受け取られているので、ドゥルーズなどは絶対に本質という言葉を使わないと思うのですが、ぼくは哲学というのは自分の生に関しても、社会の状況に関してもちょっと距離を取って、いま起こっていることはどういう言葉で言えば一番ぴたっと言えるだろうかと、その核心を目指して言葉をつくるものだと思います。

 その意味で言うと、忙しくても、やっぱり忙しさに負けないで哲学するしかないだろう、というのがぼくの感じですね。確かに難しくなってきているという実感はぼくのなかにもあります。でもやっぱり、言葉の世界が豊かになるということは、ふりかえって核心をつかむ、自分の感触を丁寧に見る、そういうことなしには生まれないと思うのですね。だからやっぱり世間のスピードに抗いながら何とかやっていくしかないのかなと、個人的には思っています。

(『かながわ 高校国語の研究』第四○集、神奈川県高等学校教科研究会国語部会編、より許可を得て転載)