二十一世紀の文化を考える−−“世界像の危機”の時代に

 

西研:西研です。「具志堅」という名字の人がいますが,僕は「西」が名字で「研」が名前です。で,これが本名です。

今日は,「二一世紀の文化を考える」というテーマで話すように,と言われたんですが,「二一世紀の世界はこうなる」というような,ある種の「予測」をしようという気はありません。むしろ、二一世紀の世界を自分たちでつくっていかなければいけないのだ、という話をしたいと思っています。

レジュメには「“世界像の危機”の時代に」というタイトルをつけました。これは,「何がよいこと」で「何が悪いこと」か? あるいは「何がすてきなこと」で,「何が大切なこと」なのか? 「いったい自分は何を目指したらいいのか?」……そういうことがさっぱりわからなくなった時代だ,ということを考えたいと思ってつけたタイトルです。「何でさっぱりわからなくなっちゃったんだろう?」ということと,「じゃあ,僕らはどうやってそこで生きて行くんだろう?」ということにつながるような話をしたい,と思っています。

 

(1)世界像とは何か

●世界(と自分の関係)の像

まず,今日来ていただいた皆さんに,この言葉を覚えて欲しいな,という言葉がひとつあります。それは「世界像」という言葉です。あまり聞き慣れない言葉かもしれません。「世界像」というのは,要するに「“世界”っていうのは,こういうものだ」という「世界のイメージ」のことなんです。

 たとえば「太陽の周りに惑星があって、その一つにぼくらは住んでいる」というような宇宙のイメージとか、「自分たち日本人は充分に食事をとれているけれども,よその国では戦乱なんかで食べられない人もいる」というような国際社会のイメージなど、各々持っていると思うんですが,こういう「世界についてのイメージ」を,総括的にひっくるめて「世界像」と言います。

大切なことは,世界像は「自分はこの世界と,どう関わって生きていけばいいのか」ということを含んでいる,ということです。だからほんとは,単なる「“世界”の像」ということじゃなくて,「“世界”と“自分”との“関係”の像」ということなんですね。

プリントに挙げてある例ですが,「大学まで行かないとなかなか就職もないから,大学には行くことにするか」と思ったとしますね。もちろん,もっと大学に期待を持って大学進学を目指してる方もいるとは思いますが,なかにはこういう人もいるでしょう。そうおもう人は,その人なりに「この社会はどういう社会なのか」ということについて,一定の理解をもっているはずです。つまり,「教育のシステムが小学校から大学まで制度的に整えられ,職業を獲得するさいに「学歴」が一つの資格として通用するような社会」という理解をもっているわけです。

もちろん,人類がいつもこんな社会に生きていたわけではありません。ですからこれは近代以降の社会を指して言っているんです。で,おわかりいただけると思うんですが,自分が生きている「社会」についての何らかのイメージがあるから,自分のとる態度を決められるんですね。だから,どんな人でもそれなりの世界像を持っているのであって,それがあるからこそ,どうそれに関わっていったらよいか,つまり自分のとる態度が決められるのです。

ところで,「世界像」っていうのは,動物も持っているんですね。僕は動物じゃないので,「動物の世界像」なんてわからないんですが,ちょっと想像してみましょう。たぶん動物が「世界」を捉えるとき,「エサ」と「エサでないもの」を区別しているはずです(笑い)。動物なりに「世界」を捉えていないと,動物は生きていけません。「食べることのできるもの」と「食べることのできないもの」の区分というのは生きていく上で重要だと思うんですね。あとは「敵」と「仲間」の区別──やはりこれがわからなかったら生きていけませんね。で,「仲間」のなかでも「同性」か「異性」かを捉えて生きているはずですよね。このように動物も,それなりの仕方で世界を捉えて生きているのです。つまり,世界像とは,客観的世界の秩序をそっくり「写し取った」ものではなくて,あくまでも「生きていくために世界を秩序づけたもの」であるわけです。それは人間の場合も同じですね。

ただ,動物の場合には,種が同じだと,その世界像もだいたい共通していると考えられますね。しかし人間の場合は,個人によっても違うし,文化によっても違う,時代によっても違いますね。人間の世界像は非常に多様なのです。なぜそうなのか,といえば,ぼくは人間は言葉をもつ生き物だからだ,と考えているのですが,このことはここでは追求しないでおきます。

 

●世界像の構成要素

次に,人間の世界像はどういう要素からできているのか,ということを考えてみましょう。まず,「道具」ということが挙げられますね。たとえば「コップ」。コップというのは,水やジュースを飲んだりする「道具」ですよね で,その「コップ」という言葉は,小さいときに親が教えたものであるわけです。ほかにも「これは“時計”というもので,これで時間がわかるんだ」とか,「これはテーブルだよ」などがあります。そうやって,さまざまな物について「○○は,××するためにあるものなんだよ」ということ,つまり道具の「名前」と同時に,その「使い道」を,人間は親から学びます。「これは“マイク”っていってね,これを使ってカラオケができるんだよ」とかね(笑い)。

じゃあ,「道具」だけで世界ができているかっていうと,そうではない。その次には「規範」──っていうと難しいかもしれませんね。「やって良いことと悪いこと」のことです。これも親から学びますね。動物の場合は,「善悪」という感覚はないと思いますが,人間には「善悪」というものがあって,それを親から教わる。たとえば家庭という環境には,小さい子にとって「あぶないもの」があります。へたにストーブにさわったらヤケドしたりして危ないですよね。だから「さわっちゃダメ!」って,親が怖い顔をするんです。子どもは,親が怖い顔をしたらビビりますから,「そうか,これはさわってはいけないんだな」ということをおぼえます。もうちょっと大きくなって,家の外に出て電車に乗ったりするということがある。そこで,子どもが騒いだりすると「静かにしなさい!」というふうに怒られて,また「ああ,こうやって人がいっぱいいるところでは騒いじゃいけないんだな」ということをおぼえる。こうやって,広い意味での「ルール」をおぼえる。でも,人間はそれだけで生きているか,というとそれだけではないですね。

哲学屋さんの言葉はちょっと難しくて申し訳ないんですけど,「積極的な価値」というものがあるんですよ。「積極的な価値」というのは何かというと,それを目指したいと思うような,いろんな意味での「よいこと,素敵なこと」です。「善悪」の「善」とは,ちょっと違うんです。たしかに人によっては,「良い人間になりたい」ということに憧れてそれを純粋に目指す人もいるでしょうけど,多くの人はそうではないですね。

多くの人にとって,「きれいなもの」「美しいもの」「ワクワクするもの」というようなことがあります。僕は皆さんの年齢の頃からバンドをやってんたです。三五歳の頃は,哲学をやりながら東京の下北沢でライブなんかやってました(笑い)。バンドってのは,うまくいってるときは本当に楽しいんです。新しい音の世界がつかめてきて,みんなで一緒にやっているうちに,「ああ,おれたちはこんな方向に行きたい,行けそうだ」ということがわかってくるんです。それがすこしづつカタチになっていく。これがスゴイ快感なんです。「こういう音を求めていたのか」ということがわかっていって,それで「おれたちはとんでもない世界に行けるんじゃないだろうか」ってね(笑い)。そういう「こっちの方に行きたいなあ」と思う,「ワクワク」する……。これは「積極的な価値」です。「きれい」「美しい」「ワクワク」する,そういういろんな意味での「大切なもの」がある。例えば,ある大人の男性にとっては「家族との関係」──自分の子どもであるとか,自分の奥さんであるとかが大切である。その家族とのやりとりであるとか,家族そのものを大切にするということを人生の柱に置いて生きている,という人もいるでしょうね。

 

人間の「世界像」についていろいろ言ってきましたが,「道具」ということについては,これはそんなに難しいことじゃないですよね? 今いるのは,「教室」という「場所」で,「何か教わるところ」だ,とかいう感じですね。「規範(ルール)」についてもわかると思います。もうひとつ,「積極的な価値」──「ああ,キレイだなあ。欲しいなあ」とか,「こういう方向に行きたいなあ」などの感覚。こういうものを人間の「世界像」は含んでいるんですね。

 

で,大事なことは,この「積極的な価値」は,人間の世界像にとっての中心的な位置を占めている,ということです。その「きれいなものが欲しいなあ」とか,「これは自分にとって大切だなあ」──いわば「生きる目標」ですね──が,はっきりしなくなると,人間は元気がなくなってしまう。これが人間の面白いところです。おそらくチンパンジーにはこういう悩みはないんじゃないでしょうか。DNA的ににはチンパンジーと人間はすごく近いんですけど,チンパンジーの世界像は,人間に比べたら単純だと思うんです。ところが人間は,「きれいなもの」「美しいもの」,その他にも「善悪」ということも大切ですが,それがわからなくなる──「方向を失う」っていう感じかな──と,どうやって生きていいかわからなくなるんですね。「世界像」の中心にある「積極的な価値」──「こっちをめがけて生きよう」「これが大切なものなんだ」というもの──がなくなると,人間元気がなくなってしまう。そして僕らの生きているこの時代は,ある意味で言うと,時代全体として「共通の世界像」が壊れてきている。だから人によっては元気だが,人によってはなかなか元気が出ないのです。今日は,この話を中心にして進めます。

 

●「役割」ということ

 ところで,近代以前の社会──みなさん何となくイメージがあると思いますが──では,人の生きる目標──「積極的な価値」ですね──は,多くの場合,「役割」と結びついているんですね。家族を例にして考えてみましょう。どんな人も,家族の一員としての「役割」をもっていました。いまはあんまりそうではないですけど,日本でも近代以前は大家族が多く,むかしはおじいちゃん,おばあちゃんがいて,一族みたいなものがあったりしたんです。で,その時代には,その一族の一員として,家をもり立てていく「役割」というものがありました。農家であれば,農業に精を出す,とかね。家を富ませるために貢献をした人は偉い人で,みんながほめてくれるわけです。その家族なり一族の中で果たすべき役割をちゃんとやって,それを家族の中の誰かが「おまえは偉いねえ」って言ってほめてくれる。「役割」をはたして,人に認められる。これが大きな生き甲斐につながったんです。

去年の暮れくらいだったかな,NHKの番組で,アフリカのある家族の様子をうつしていたんです。その家族では山羊を飼って生計を立てていたんです。その家族の子ども──十歳くらいだったかな?──が,山羊を見張る役目を負っているんです。いまの日本の社会と全然違いますから,小さいときからみんな役目があるんです。水を汲んだり,いろいろするんだね。で,その山羊の見張り番の子は,見張ってなきゃいけないのに,山羊を一匹逃しちゃうんです。子どもは「お父さんに怒られる」と思って隠れる。お父さんは,怒って大声を上げて子どもの名前を呼ぶんです。子どもは怖いからじっと隠れている。で,その翌日,山羊の出産が出産があるんです。その出産の時に,山羊がおなかから出てきたときに,ぽっと引っ張るんです。引っ張って出してやんないと出産がうまくいかないんだそうです。家畜だからでしょうかね? 野生の動物だったらそんなことはないだろうと思うんですが‥‥。そこで昨日ヘマをしたその男の子は上手にその出産を手伝って,ほめられるんです。お父さんが「おまえは昨日はダメだった。しかし今日はよくやった」と言ってね。そんなことを言われたら子どもはうれしいんですね。十歳くらいの彼はそこでとても誇らしそうな顔をするんです。

それを見てて思ったんです。ああ,昔の家族ってそうだったんだろうなあ,って。家の中に必要不可欠な「役割」があって,それをはたすと親なんかがほめてくれる。ああ,こうやって人は生きてきたんだろうな,という感じがしました。じゃあ,いまの日本の家庭はどうだ? といえば,いまは「役割」なんて無いんですよね。あえていえば,みなさんの「役割」は,勉強かな(笑い)。なんにしても,自分がその家族のために必要不可欠な「役割」を果たしている,という感じはほとんどないと思います。

このように,近代以前の人にとって,家族の中で,何かの「役割」をはたして承認されるということが,とても重要な,積極的な価値だったということはわかっていただけたでしょうか。そして,それは家の中だけではなく,地域社会の中で何かに貢献をするということにもつながったでしょう。こういうのが,人間にとっての「積極的な価値」=「大切なこと」の基本だと思うんですね。ところが,近代になると,そういうものが崩れてきちゃうんです。人は集団のなかの役割を果たすことではなく,自分個人が楽しいことをしよう,自分を充実させたい,という態度で生きるようになってくる。じっさい,あなたがたはそういう感じで生きていると思うのです。このことについては,またあとでふれましょう。

 

(2)日本社会における世界像の危機

●後発近代の世界像−−追いつけ追い越せ

では次に,「日本社会における“世界像の危機”」という話をします。ここでは,近代以前ではなくて,明治から一九七○年代いっぱいくらいまでの世界像と,それが壊れていった過程をお話しようと思います。みなさんは,八○年代初頭の生まれですか?

 

出席者:八四年生まれです。

 

西研:一九八四年生まれですか。ということは、みなさんが生まれる直前の頃まで,日本人が持っていた世界像はどんなものであったか,についてお話することになりますね。その世界像を,僕は「後発近代的な世界像」と呼んでいます。

「後発近代」について説明しますね。一九世紀にヨーロッパが産業を発展させ,軍事力と生産力を上げていく反面,日本というのは,科学技術などが非常におくれていたんです。その状況で,日本人は明治維新──一種の革命ですね──をなしとげて,富国強兵策をとり,西洋列強に対抗していく‥‥。つまり明治以降の日本では,ヨーロッパ諸国に「追いつけ,追い越せ」というのが,国家の目標だったんです。あ,「富国強兵」はメモしておいてくださいね。プリントには書き忘れちゃったんです(笑い)。

戦後は「強兵」の目標はなくなってしまって,「富国」一本槍ですけど,やはり欧米諸国は常にある種の目標だったんです。僕が中学生の時に,社会科で習ったんですが,GNP──いまはGDPっていうのかな──「国民総生産(Gross National Product)」というものがあります。で,その授業では「日本のGNPはずいぶん成長した,もう欧米に肩を並べている。でも,国民一人あたりの所得はまだまだ低い」と習ったんです。だから僕たちは「ああ,日本は相当がんばってかなりのところにきたけど,でもまだちょっと足らないんだなあ」と思った。だから日本国民全体が,もうちょっとがんばらないと欧米諸国に追いつけないんだなあ,という感覚をどこかに持って生きていたんですね。

 

●都会への憧れ

さて,国家に「欧米諸国に追いつけ」というような目標があったとき,では個人レベルではどういう目標があったかと言いますと,そこでもわかりやすい目標があったんですね。プリントには,「豊かさ,自由,文化的・都会的なものに対する強い憧れ」と書きました。図式的に考えてみますと,「窮屈で貧乏な田舎の生活」──要するに田舎の暮らしです。田舎といえば農村です。日本人は元々ほとんど農民で,戦後まもなくの一九五○年でも半分くらいは農民だったんです。村人で田植えを一緒にやったりするなどして,共同体が力をあわせて仕事をするんです。しかしその片方で,「向こう三軒両隣」なんて言ってね,常に周りの目線を気にして生きている社会でもあったんです。自分が,自分の個性を打ち出したり自分なりの趣味を追求して生きる,ということはまずできない社会だったんです。そして,そういう生活がだんだん窮屈だと思い始めるんです。

ここから出ていって,「都会」に行きたい。‥‥「都会」というのは,「後発近代の世界像」にとってはものすごい憧れなんですよ。みなさんにこの感覚がピンとくるかどうかわからないんですけど,「東京」というのは,ものすごくキラキラしていたんです。この「東京」の向こうに「パリ」だとか,「ニューヨーク」だとかがあった。この「都会」というのは,「田舎」の人間にとって本当に別世界だったんです。

たとえば明治からだんだんと「田舎」にも鉄道が敷かれるようになりますね。閉鎖的な世界──そこで生まれ,そこで死に,一生そこから出ないような人たちが一杯いた世界──に,一本の鉄道が敷かれる。「鉄道」というのは,当時の「田舎」の人間にとって,ものすごく想像力を刺激するものだったんです。「この線路をたどっていった先に“都会”があるんだ」「そこにはいまの自分たちの生活とは違った,夢のような世界があるんだ」──「憧れ」です。「鉄道」は,そうやって幻想の世界に人をいざなう道でもあったんです。「田舎」でこの憧れの構造を補強することを担ったのは,「先生」という人たちでした。今でこそ,学校の先生なんてただの普通の人になってしまいましたが,当時の学校の先生は,教育を受け,「田舎」の人たちの知らないことを知っている。西洋の文物に通じ,新しい物を身につけている。「先生」というのは,「先生」であるだけで,輝きを放っていたんです。「東京」であるとか「パリ」のような「都会」の輝きがその向こうに透けて見えるような存在だったんです。

 

●パスポートとしての学問

じゃあ日本では「田舎」から「都会」に出ていくというのはどういうふうに起こったか。明治以降にはすでに,この「都会への憧れ」というものはあったんですが,一九六○年代,みなさんも聞いたことがあるかと思いますが,「高度経済成長」のころに,たくさんのひとたちが東京・大阪などの「都会」に出ていく。もちろん田舎には職がないので職を求めていく,というようなことでもあるのですが,そこにはやはり「憧れの構造」があった。「都会に行けば何とかなる」と言って,裸一貫で出ていく人たちも一杯いました。でも,裸一貫で出ていくよりも,安全で確実だったのは,「学問を身につけて出て行く」ということだったんです。プリントには,「パスポートとしての学問」と書いてあります(笑い)。夢の世界である「都会」に行って仕事をするための「パスポート」ということです。

いまでは大学・専門学校に行く人ってどれくらいいるのかな? 松尾さん,どれくらいですかね?

松尾:専門学校を入れたら五割強。

西研:五割ですか。むかしは大学まで行ける人はいまより遙かに少なかったんです。大学の数も少なかったですからね。そういうときには,大学まで行けるというのはものすごいことだったんです。

だから貧乏な家の子どもでも,学問を積んで大学まで行ければ,社会の中で,というか「都会」で活躍することができる,ということがあった。「自己実現」できたんです。がんばって学問を身につけて−−勉強するのは苦しい面ももちろんあるわけですが−−都会に行ければ,親の世代とは全然違う世界で活躍ができる,という「夢」があったんです。「受験にも夢があった」なんて言うとびっくりするかも知れませんが,そういう時代があったんですね。〈窮屈で貧乏な田舎での生活から,学問を身につけることで,自由で豊かな「都会」の生活に移行する〉という自己実現のイメージですね。これはいまでも,発展途上国においてはごく普通に見られることです。そこでは学歴は,階層や身分の差を超えて社会的に上昇するためのパスポートとして,機能しているのです。

学問が身につけられなかった人は,裸一貫で出てきて,中には成功する人もいました。なんにしても,こういう「世界像」がついこの前まで日本社会では生きていた,ということです。

でもちょっと付け足したいのは,僕の記憶では,七○年代までは,「自分の幸せのためだけに生きる」という生き方をしている人は少なかったな,という感じがあります。もちろん「自己実現をしたい」「豊かになりたい」という「夢」はあるんだけど,やっぱり「自分のためだけに生きている人は位(くらい)が低い」という感覚もあって,「家族のために何かをする」とか,「“社会”や“地域”にとって──先ほど言いました──“役割”をはたしてこそ一人前だ」という感覚がまだ根強かったんです。「私の幸せのために生きる」という感覚も確かにあるんだけど,「役割」のようなものを完全に捨てて生きる,という人は少なかったような気がします。

そもそも,後発近代ということは,この日本社会は「遅れている」とか,「まだまだ足りない」という意識をもつ,ということですね。この意識は,「このまだまだ足りない社会をよくするためにがんばるのが,人として立派だ」という意識につながります。だからそこでは,「政治」にかかわる人は偉い人なんですね。官僚になったり政治家になったりしてこの国をなんとかしていくために頑張る,と思う人もいれば−−これはだいたい自民党になりますね−−,それに対して,自民党の支配するこの国を真に民主主義的な社会にするために頑張らなくてはいけない,という「革新」派の人もいた。でも,保守だろうが革新だろうが,この国をなんとかするためにがんばるのが偉い,とみな思っていたわけです。

‥‥そういう「後発近代的世界像」が大きく変わったのが,みなさんが生まれた頃ですね。そのころ,「後発近代」というのが,完全に終了したと思うんです。

 

●豊かな社会≠フ到来と後発近代的世界像の崩壊

これまで言ってきたような「後発近代的世界像」が,八○年代初頭を境にして大きく崩れるんです。これは小浜逸郎さんという人から教えてもらったのですが,『生活白書』をみると,統計的には七五年が境になるそうなのです。意識の変化は,それより遅れて,八○年代初頭ごろになるとぼくは思っています。

これはどういうことかと言いますと,ひとつは「高校進学率」です。この「高校進学率」というのは,戦後,どんどんあがってきたんです。どんどんあがって,七五年くらいに九○数%に達して,そこから横這いになる。それまでは,家が貧乏だから中学までしか行けない,という人もいっぱいいました。僕の実家は鹿児島なんですが,僕が小学校低学年のころ,「中学を出たら集団就職で大阪に行く人たちがいっぱいいるんだよ」というようなことを聞いた記憶があります。ところが七五年には,高校に行くのがもう当たり前になるわけです。

もうひとつは,都市人口と農村人口の比率ですね。……いったいどういう基準,指標で「都市」と「農村」を区別しているんでしょうね,『白書』を見ると書いてあるはずですが,この比率──一五○年でも半分は農民だったといいました──が,変わっていくのです。都市人口がどんどん増えていって,七○年には七割を超える。こうして七割に達して,そこからは横這いになる。統計の基準がわからないのですが,これは,都市型の生活スタイルと豊かさが日本中に満ちてきたことの一つの現れ,とはいえると思います。こうして統計的には,七五年くらいで「高学歴化」と「都市化」が完了したわけです。この変化が一般の人たちの「意識」に現れてくるのが,八○年代初頭──あなた方の生まれた頃──になります。

 

「豊かさ」と「高学歴」が行き渡ると,何で「世界像」が壊れるんでしょうか。それまでは,国家目標としては,「追いつけ,追い越せ」ということでやっていました。しかし日本経済は,八○年代初頭には一時期アメリカを抜く勢いにまでなりました。自分たちはもう後進国ではない──つまり,追いついちゃったんですね。じっさい経済的な豊かさということについていえば,日本の社会のいたるところで実感できるようになった。

では,個人レベルではどうか? 「窮屈で貧乏な田舎の生活」。‥‥これが,終わっちゃうんです。「田舎」はすでに貧乏ではなくなって,「生活が窮屈」か,というと,そんなこともない。たしかに「都会」のそれとは,まあすこしは違うだろう。しかし,依然として「向こう三軒両隣」の閉鎖的共同体かというとそうでもない。「都会」の生活そのままではないけど,「田舎」の人も豊かになってそれなりに消費生活を楽しんでいる。すると,個人レベルでもこの「夢」──「都会」できらびやかな生活がしたいという「夢」──の構造が壊れてしまうんです。つまり,「憧れ」の構造がなくなってしまったんです。

「高学歴」が行き渡ったというのも,大きなポイントでした。というのは,八○年代初頭から「校内暴力」「いじめ」をはじめとする,様々な教育問題が頻発してきたんです。これは,この「高学歴が行き渡る」ということと直接につながっていると僕は考えています。あなた方の世代では,大学まで行くのは普通ですよね。かつては,勉学することによって,「こんな窮屈な田舎を出て,都会に行くんだ」とか「大学まで行ければこの社会で活躍できるんだ」とか‥‥,簡単に言うと「ご褒美」ですよね。「受験」という労苦を耐えて得られる「ご褒美」が待っていたわけです。だから「燃える」(笑い)し,きついけど「がんばる」。そういうことがなくなってしまう。大学を出てもご褒美がない,勉強をしても直接何かにつながらないわけですから,もう勉強に意味が無くなってしまうんですね。「勉学」が何のためにあったかって言うと,「受験」のためですよね? で,「受験」は,「大学にはいるため」にあった。なぜ大学にはいるかというと,「高学歴」を得て社会で役に立つ,活躍できる喜び──「ご褒美」が得られるから‥‥。こういうのがそれまでの世界像だったんですよね。これが壊れてしまった。要するに,何のために勉強をしていいのかわからなくなった。これは苦痛なんです。だって勉学そのものは苦痛ですからねえ。長時間拘束されて,じっと勉強をする。それでも,それが何のためかってわかれば人間はけっこう耐えられるんですよ。「きついなあ」「たいへんだなあ」と思っても,それが「積極的な価値」につながっている──「キラキラした世界に行ける」「がんばればご褒美がある」ということにつながるんであれば,耐えられるんです。人間は忍耐をする動物でもあるからです‥‥別に忍耐をしろって言ってんじゃないよ(笑い)。スポーツだって,きついトレーニングをしますよね。それだって,その後に上達するとか,強い相手に勝つとかいう喜びがあるから,やれるわけです。

ところが「勉強」では,その重要な「積極的な価値」がなくなってしまった。「なんのためにここでがんばっているのかわからない」ということですね。これはつまらない。退屈だから,だれかいじめて遊ぼう,なんてことにもなってくる。「後発的近代の世界像の崩壊」が顕著に現れたのは,まずは「学校」という場所だった,ということが言えるとおもいます。

ちょっと「教育」の話に,時間をかけすぎましたね。整理しますと,「“豊かさ”と“高学歴”が行き渡る」「国家目標は解体する」「個々人の夢もなくなっていく」ということを言ってきました。

 

●高度経済成長のころ

ところで,高度経済成長のころ,「豊かになりたい」というのは,たいへんに強い動機だったんです。‥‥話はまた戻りますが,一つ実例を挙げておきましょうか。僕は今年で四五歳になるんですが,千葉におじさんがいます。六○代後半で,熊本の出身なんです。家が貧乏だったので,高校を中退しなくてはならなかった。で,働かなければいけないけど,田舎では職がないので,都会に行こう‥‥ということで,一九六○年代に,まだ青年だった僕のおじさんは北九州に行って炭坑で働いたんです。で,みなさんどこかで習ったと思うんですが,石炭というのは,ある時期から石油に取って代わられてだんだん廃れていくのですね。で,おじさんも職を失うんですけど,その炭坑の会社は,首を切るさいに,職を失う人たちが今後も生きていけるように,職業訓練を施してくれたんです。おじさんはそれで電気の資格を取ったんです。中学校の時に電気の関係の授業が好きだったんだそうで,「電検何種」ってのを取ったんです。その資格をひっさげて,いまで言う「新日鉄」──当時は「八幡製鉄」っていったのかな──に就職をして,電気関係の仕事をしたんです。今度は資格を持ってましたから,それまでに比べて収入もボンとあがった。そして,何で新日鉄を辞めたのかは知りませんけど,辞めて,次に川崎製鉄にはいるんです。やっぱり電気関係の仕事をするんですが,そこでまた,電検の上の級を取ったり,ほかにも電気関係のいろんな資格を取っていくんです。資格を取れば,取るだけ収入が増えたんです。六○年代は景気が良く,収入はどんどん増え,会社もいくらでもかわれたそうで,かわるたびに収入が上がっていったそうです。

おじさんは最終的には,外資系の会社に勤めたのですが,四十代には千葉の方に家を買ったんです。小さい家ですよ。小さい家ですけど,それはすごいことですよね。二○歳くらいの時は本当に何も持っていない,無一物の人間です。そういう人が,高度経済成長の中で都会に行って,がんばって収入をどんどん増やす。出たばかりの頃のテレビを買ったり,車を買ったりして,消費生活も充実する。で,おじさんは言うんですよ,「僕が若い頃はおもしろかったなあ」ってね(笑い)。「いまはそうじゃないから,いまの若い人たちはたいへんだな」って(笑い)。何かをがんばるということで,必ず結果が得られるわけではなくなった。勉強をしたからって活躍できるとは限らなくなった。いまは,一人ひとりが生き方を作らなければならなくなってしまったんですね。みんなが「田舎」から「都会」を目指し,がんばる‥‥そういう時代は終わっちゃったんです。

 

●自分の喜びのために生きる

もとに戻りましょう。受験のための勉学という物語──「物語」っていうのは「世界像」のことですね,「受験のために勉学するとご褒美があります」という人生の物語──が解体して,何のために勉強するのかわからなくなった。「後発近代」の夢,「都会」や「豊かさ」への憧れが消失する,という話でした。

これと同時に,大きな生き方の変化が起こってきます。人は家のため,社会のために生きるのではなく,「自分自身のために」生きる,という態度がごく普通になってきます。いいかえると,人生を充実させたい,人生から喜びをくみ取って生きていきたい,という態度で生きるようになるのです。なんらかの集団−−家や会社や地域社会や国家など−−に対してなんらかの「役割」をはたす,ということよりも,生きることの喜び・充実感を重視する,というふうに変わってきたんですね。これはもう不可逆で,元に戻ることはないだろう,とぼくは思います。

僕が大学に入ったのは七六年で,もういまから四半世紀も前のことになりますが,そのころ僕は「バンドやって生きていけたらなあ」と思っていました。ですが,これは親からすればとんでもないことだったと思います。「冗談じゃない」という感じでした。いまの時代ならね,バンドをやっている若い人がいて「これで飯が食えるかわからないけど,少しこれでやってみたい」と親に言ったら,そんなに反発されないと思うんですよね。え? 「頭から否定する親もいる」‥‥って言っている人もいますね(笑い)。まあそりゃ,ある程度反発されるとは思いますが,たとえば期限付きで,「ある程度やってダメなら就職をしろよ」というくらいに言う親も多いと思うんです。子どもが自分でやりたいことをやって生きてみる,それは当然だ,とみなさんの親の多くがそう思っているんじゃないかなあ。「家」のために生きるべきだ,「社会」のために貢献せよ,そういうふうに言う親っていうのは,あんまりいないと思うんです。

これは確かにある意味では「解放」というか,いいことですよね。人を傷つけたりしない限り,自分の責任でいかようにも自分の人生を作っていける。何かに縛られることなく夢を追うことができる。で,さっきの「不可逆」という話ですが,こういう感覚がいったん成立しちゃうと,もう元に戻らないと思うのです。

 

●役割から解放されると−−消費社会のなかで

ここで,「でも」と言わなければならないのですが,プリントのさっきの続きにはこう書いてあります。「かつて、「社会的な役割」を担うことが要請された。それは生き方を制約するものでもあったが、それは人に社会のなかでの居場所と生の方向を与えるものでもあった。そこから「解放」されたとき、どうやって自分の生を方向付けてよいかわからない=生きる意味のハッキリしない人たちが増えてくる」と。

さっきのアフリカの子どもの例を思い出してください。「役割を担う」ことは窮屈かも知れないけど,生きることの方向が与えられていた,とはいえる。

そこから「解放」されて,好きな生き方をしていいいですよ,ということになる。そのとき,「ワクワクするもの」「大切な何か」が自分の中にあって,それを目指して走っていける人は,元気に生きていける。でも,そういうことがはっきり見えない人は,元気が出ない。何のために生きているかわからない,という人たちも増えてくる,ということになるわけです。

我々の生きている社会は,消費活動が非常に充実した社会で,「消費社会」なんて言われますね。次々と人々の心をくすぐるようなおもしろい製品が出てきますね。それを買い求めれば,人は自分だけの楽しみに没頭することができます。「アニメ」でも「音楽」でもいいわけですが,独りで自分の部屋で楽しめる「アイテム」があるわけです。自分だけで楽しめる領域をみんなが持っている‥‥これは,もちろん昔はなかったものなんです。自分だけの部屋,自分だけの時間,自分だけの喜びのアイテム,そういったものはなかったんのですね。

ところがいまの消費社会では,個々人の部屋にそういうものを持ち込んで,人と関係をせずに楽しめるんです。それらの「アイテム」は,ある種の喜び──「快」を人に与えるものです。でも,消費の「快」だけだど,おそらく人は満足できないだろう,と思うんです。ここはみなさんに考えていただきたい。たとえばおもしろいアニメをみているとして,じゃあ,それをずっと見ていれば満足か,っていうと違うと思うんですよ。人間同士,お互い関わり合って,一緒に何かを作ろうとする。バンドやお芝居なんかはその典型ですけど,そうやってお互い関係をしながら何かを作る,という種類の喜びが必要なのではないか?

これはいいかえれば,自分から集団において何かの「役割」を担う,ということでもあります。バンドやお芝居のなかにも役割がありますし,ボランティアのように自分から社会の役割の中に飛び込むこともあるでしょう。自分から「役割」を選んで,担っていく。集団の中でものを一緒に作る,自分でも必要な役割を担う,そういうことがないと,人の喜びを求める気持ちは充足しないのでは,と僕は思っています。これには,ぼくなりには理屈も考えてあるのですが,ここではあんまり説明はしません。

「世界像」の問題でもうすこし補足しますと,僕たちがいま生きている社会は「情報社会」とも言われます。ここでは現代社会のあり方について充分な説明はできませんので,いい本を薦めます。これは僕の師匠のひとりである見田宗介さんが書いた『現代社会の理論』(岩波新書,1996)という本です。一九九六年ですから,少し前の本ですが,内容的にはいま読んでもしっかりと通じます。現代の社会のことを,「消費化=情報化社会」と規定して,現代社会を考えています。

日本以外の先進国でも日本と似た傾向があって,豊かにはなったけれども,若者はどうやって生きていけばいいかに悩み,「生」の根拠を見つけられない‥‥「豊かさの中での不幸」とでもいうべき現象が起こっている。先進国ですね。でもその一方で,ほんとうに食べられなかったりする人たちも非常にたくさんある。この本のいいところは,その「豊かさ」と「貧困」の両方をちゃんと見据えて,現代社会を考えようとしている点です。あまり厚くなくて,難しくない本なのでおすすめです。

 

(3)社会や国家にどう態度をとるか

●社会・国家をどう見るか

個人レベルの話についてしばらく触れましたので,次は社会・国家のレベルのお話をしたいと思います。

私たちの世界像には,「自分は社会・国家に対してどのような態度をとったらいいのか」ということが含まれています。「これからどんな職について生きていくのか」ということも,もちろん社会に対する態度の取り方の一つで,学生も三年生くらいになってくると,だんだん真剣な課題になってきますね。

しかしここでぼくがお話したいのは,「どういう職につくか」ということとは少しちがいます。テレビのニュースなど政治や社会の諸問題を見たりする。そうすると,この制度はおかしいとか,こういう課題は解決しなければいけない,これってひどいじゃないか,と思ったりしますね。あんまりひどい,なんとかしなくちゃ,と思って,「〜に反対する運動」というものを始めることもあるかもしれません。

そういうふうに,「社会のあり方を認識し,それに対して価値判断を下し,場合によっては何かの行動に移す」という意味での,社会・国家に対する態度を取る,ということについてお話したいのです。

そうぼくが言うと,「社会なんて考えたことないなあ,自分にはあんまり関係ない」と感じる人,ここにもそれなりにいるんじゃないかな。若い人にはそういう人のほうが多いかもしれませんね。確かに,どんな人にとっても,自分が身の回りの人たちとどう関係をつくっていくか,つまり友達や家族や恋人との関係をどうするか,また,将来どういう職につくか,といったことがいちばんの関心事だし,それはそれでよいのです。

でも,社会に対してどういう態度を取るか,価値判断するか,ということも,それとして大切なものだとぼくは思うのです。

ではなぜ,いまの若い人たちは,社会に関心をもち社会に態度を取ることが大切だ,とあんまり思っていないのか。もう一つ,それにもかかわらず,社会に態度を取ることが大切だすれば,その理由は何か。この二つの話をしてみたいと思います。

 

●国のために生きる,社会をよくしようとして生きる

何度もいいますが,かつての日本人は,自分が「国のために」貢献することを価値あることと思ってきました。戦前では,軍人と政治家はとても偉かったのですね。戦後でもある時期までは政治はとても大切なこととされてきた,といいました。

それは「危機感」があったからですね。国と国が軍事的・経済的にしのぎを削っていて,ぼんやりしていると植民地にされるかもしれない。そういう危機感を多くの人が感じているとき,国家は国としての一体感を強化して,富国強兵にがんばろうとします。

そういう時代には,個々人は,自分はこの国(日本国)と強く結びついていて,この国がダメになれば自分たちもみないっしょに滅んでしまう,という感覚をごく自然にもっています。戦前から戦中にかけては,そういう感覚をだれもがごく普通にもっていたのです。

ところが,現代では,先進国同士での戦争ということはかなり考えにくくなっていますね。

そして,日本のように豊かな社会になってくると,「危機感をもって国のためにがんばる」という姿勢じたいが薄らいでくる。「一人ひとりが自分のために生きる」というようになるわけです。国家・社会と自分とのあいだにも「距離」ができてきます。

ちょっと前に戻ってぼくが大学に入った一九七六年の頃には,「国のために頑張る」というのとはちがいますが,「この社会をなんとかしなくてはいけない」という空気は社会のなかにも大学のなかにもごく普通に存在していました。

水俣病という病気のこと,皆さんはご存じですか。熊本の水俣にあるチッソという会社が,水銀を排出して海を汚して,魚を食べた人たちが次々と病気になった,という事件です。これは,もうほとんど原因は工場排水だということがわかっているのに,「因果関係が厳密に立証されたわけではない」などと会社も厚生省も言って,そのまま排水を流しつづけた,というとんでもない事件でした。そういう話を大学に入って詳しく知るようになると,「このままでは公害で日本はとんでもないことになる」「大企業と官僚は結託して悪いことばかりしている」という像がおのずとぼくのなかにできあがっていきました。他国から侵略される危機感ではないのですが,やはり,社会に対してそれなりの危機感を,ぼくを含めた多くの人が感じていたわけです。それとともに,「だったら,どうやったら改善できるのか。これは資本主義というシステム自体の欠陥と考えるべきなのではないか?」と考えたりもしました。

当時の大学生でも,こういう問題はあんまり関係ないよ,という人もいたわけですが,ぼくは一方ではバンドをやりながら,「この問題を見過ごして自分のことだけ考えるというのは,ちょっと卑怯かもしれない」とも思っていたわけです。そういう時代でしたから,「社会のことを考えて,それに対して態度を取る」というのは,ぼくにとってそれなりに真剣な問題だったんです。

そういう感覚が社会からなくなってきたのは,やはり八○年代初頭の豊かな社会の到来でした。社会・国家に大きな危機があるとだれもが思っているとき,この社会(国)をなんとかしなくては,と多くの人が思います。しかし富国を達成し諸外国に追いついた日本には,こうした危機感もなくなっていき,人々の関心は,社会から個としての生のほうに大きくシフト・チェンジしたという印象をぼくはもっています。

 

●未来社会の構想がつくれない・正義とは何かがわからない

こうして,まずは自分の生活が一番の関心事になりました。社会や国家のことはあまり考えなくても,私たちは生きていけるのです。

では,私たちは,社会のことはもう考える必要はないのでしょうか。国家について,考える必要も,これからの世界について考える必要もないのか,というと,やっぱりそうではないと思います。

というのは,社会のことを考えないということは,これからの世界を成り行き任せにする,ということですね。このままでうまくいきそうだとすれば,それでも安心できますが,いま,危機はいろんなところにあります。

日本のこれからの経済のこと,政治システムが制度疲労を起こしていること,人類レベルでいうと,環境問題や資源問題はどうやって解決できるのか,グローバリゼーションのなかで広がる南北の貧富の差など……。人・金・もの・情報が大規模で流通する,これをグローバリゼーションと言いますが,このグローバリゼーションが進行する結果,南北の貧富の格差はどんどん広がっていっているのですね。民族間の紛争も世界各地にあります。テロの問題も出てきた。その他,生命に介入する技術の進展にまつわる問題,例えば「クローン人間はつくっていいのか」といった生命倫理の問題などもありますね。まさに問題山積といってもいい。

しかし,これらのことをどうやって解決していっていいのか,ということの見通しがまったく立たないんですね。このことは,人類の将来に対する漠とした不安を生んでいます。みなさんも心のどこかで「人類はこのまま生きていけるんだろうか」というような不安を持っているんじゃないですか? 

そもそも,いま,社会や国家,さらに国際社会がどういう形をとるのが望ましいのか,ということが,ほんとうにはっきりしない。「何のための国家か,国家はどういう働きをなすべきなのか」−−ここでの「国家」は,「政治制度」くらいに思っておいてください−−さえ,わからない。もちろん,国家なんていうのをやめちゃって,まったく別の政治形態を模索する,という選択肢もあるかも知れないわけですが。ともかく,社会,国家,国際社会といったものについて,いったいどういうあり方を展望として持てばいいのかわからない,というふうになっているんです。

これとつながっているのですが,「何が正義なのか」もはっきりしなくなっている。何が公正なことか,ただしいことなのか。それがハッキリしていれば,それをどうやって実現するかを考えることもできますね。そうした,社会制度が実現すべき目標を「正義」と呼ぶとすれば,何を正義とすべきかもよくわからなくなっている。

 

●「市民社会」の理念

では,社会ないし国家というものはいったいどういうものであるべきなのか,政治は何を実現すべきなのか,について,それなりの理念が全然なかったかというと,そうではないんです。

ヨーロッパ近代は,「市民社会」という理念をつくりだしました。これは普通には,「人権と民主主義」と呼ばれているものですが,より根底的には,市民社会の理念といったほうがいいとぼくは思っています。これは現代の国家のほとんどが基本的に採用としている理念でもありますね。これがそもそも,どういうものだったのかをお話します。

まず0番目──これは一番大きな原則から始めます。まず中世キリスト教の頃の「世界像」を考えてください。神様がいました。で,王様がいて,貴族がいて,農奴のような人たちがいて,というふうに身分・階級の違う人たちによって社会は作られていた。で,この「身分」というのは誰が作ったか,というと「神様が作った」ということになっていたんです。そしてみんなそれを信じていた。でも「近代」になって,それが壊される。

「“社会秩序”というのは,神様から与えられたものではないんだ。これは人間同士が共存しあっていくために作られた秩序なんだ」ということになったのです。「神から与えられたもの」だとしたら,もう人間には変えようがないですよね? でもそうではない。人間のために作られたものだ。すなわち人間のために変えていくことができるんだ‥‥これが「0番目」──市民社会の理念の大前提です。これは,とんでもなく大きな,世界像の変化だったのですね。

さらに,もう一つの革命的変化があります。「人種,民族,宗教を問わず,どの人も対等・平等だ」という考え方です。これはどういう考え方かと言いますと,一六世紀に宗教改革が起こって,プロテスタントが出てきますよね。それからカトリックとプロテスタントがやたらめったら殺し合いをするんです。殺し合いのあげくに,これはイカンということになった。「国家の一員であるということ」と「どの宗教を信仰するかということ」を切り離そう,という考え方が出てくるんです。宗教は国家の一員としての資格には関係ない,それは個々人の自由だ,ということになるのです。こうして,「人種・民族・宗教・出自に関係なく,国家のメンバーはだれでも対等な市民であり,ルールを決めるさいにも等しい権利をもち,また,どの人も同じルールに従う」という原則がつくられていきます。これが原則の1番目ですね。

さらにもう一つ。「個々人の自由を最大限認める」という原則がつくられます。これが原則の2番目です。自分の人生は自分で作っていってよい,ということですね。具体的には,「商業の自由」「職業選択の自由」「信仰の自由」「集会の自由」‥‥そういう「個々人の自由」を最大限認めようとするのです。もちろん,いくら自由といっても,互いの自由を認めないとまずい。だから「人を傷つける自由」だけはないんですね。人々の共存のためにルールは必要だが,ルールに書いてあること以外は何をやってもいいのです。こういうわけですから,近代社会は「人はこう生きなさい」ということを命令しないのです。一人ひとりが自分で自分にあった生き方を見つけていけばいい,ということになります。

こうして国家は,自由で対等な人々が,相互に共存するために必要なルールを協議によってつくり出すためのもの,という意味合いになります。かつ,ルールを守らせるために一定の権力をもつ,ということにもなります。

およそこういう形でヨーロッパ近代は社会の新たな像をつくりだしたのですね。社会の秩序は神様から与えられた秩序ではない,自分たちで秩序を作って変えることができる。市民は対等に扱われ,一人ひとりは自分の生き方,自分の幸せを追求できる。−−市民社会の理念は大変けっこうな理念だったのですが,ところがこれがだんだんうまくいかなくなっていくのです。それは,「国家」と「資本主義」の問題なんです。

 

●資本主義と国家の問題

ここまで見てきた「市民社会」の成り立ちを聞いてたら,なんだか結構なもののように聞こえませんか? 「自由」とか「平等」と言ってますしね。しかしこの「自由」の中には,「商売の自由」というものが含まれていました。だからみんな商売をします。商売といっても,自分の畑でできた余ったものを市場に持っていくっていう程度のことであれば問題はないんです。でも人間というのは,それだけじゃすまない。「儲けるために」活動をするんです。

じゃあ,どうやったら儲かるか? いちばん簡単なのは地域の価格差を利用することですね。たとえばある地域ではあまり塩がとれない。で,他方には塩がたくさんとれる地方がある。とすれば,ここには価格差があるので,たくさんとれるところから,あまりとれないところに持っていけば,高く売れますよね。

もうちょっと高度になってくると,お金を生産のために投入する。まず一定のお金を集めて,そのお金で材料と労働力を集める。それを売って儲ける。で,儲けた金を全部使っちゃわないで,さらに次の生産につぎ込む‥‥。こうやって会社は「富の蓄積」を目的にしちゃうようになるんです。

そうやって資本主義が成立すると,一方にはとてもお金を持っている人がいるけれども,一方にはとても貧しい人ができあがる。「だれにでも人権がある」「人間は平等だ」なんて言っても,実体は全然そうではない。一九世紀初頭のイギリスなんかには,工場でこき使われてバタバタ死んでいく少年たちが,山のようにいたんです。法律的には対等な契約関係ということなのでしょうが,じっさいにはきわめて大きな不平等がはっきり目に見えてくる。

さらにこの一九世紀──みなさん歴史を習ってきたと思いますが,このころから植民地争奪の競争が激しくなります。新たな市場や原材料を確保するために,ヨーロッパの諸国は世界中にどんどん進出して自分の国の領土にしてしまおうとした。そしてこれは当然,戦争を生み出していったのです。どの国家も内部の一体感を高めつつ,他の国と競い合いしのぎをけずることになった。

つまり,「市民社会の理念」の先に生まれてきたのは,資本というものが支配し,国家が争い合う世界だったのですね。不平等が蔓延し,戦争が頻発する世界だったんです。そんな状況に,今度は「社会主義」の思想というものが出てきました。「自由な市場」という考えをストップして,国家が市場がコントロールするというアイデアが出てきたんです。根底から社会をつくりかえようとする,たいへんなアイデアだったんですね。

でも,それもいろんな意味でうまくいかなくなって,結局失敗をしたんです。その大きな理由は,個々人の自由を大きく制限したことですね。思想信条の自由は認められず,国が決める「正しい考え方」に皆が従わなくてはならなかった。また,経済においても個々人が自由に「起業」することができず,皆が役人みたいになる。そうすると,自由競争に変わってもっぱらコネ−−偉い人に近づいて自分によくしてもらう−−が支配する社会になってしまいます。この,社会主義の失敗の理由については,もう一度きちんと検討しておくべきだとぼくは思っています。

その社会主義の失敗が目に見えるようになったのが,ソ連の崩壊に伴う「冷戦の集結」ですね。しかし社会主義の思想以降,人類として,どうやって社会の基本的なあり方を構想していけばいいのか,というアイデアは出ていないんです。ぼくが長く関わってきた「現代思想」も,「資本主義は悪い,国家は悪い」と口を揃えて言うのですが,ではどうすればよいか,には口をつぐんでいるのです。未来構想のないままただ批判をし続けているので,どうしても暗鬱な,暗〜い感じを拭うことができない。

先ほどの,環境・資源問題にしても,資本主義に代わるシステムを本気で構想しうるのか,それとも市場経済の枠組みを認めたうえで,それをなんとかコントロールしていく可能性があるのかどうか。そういった根本的な問題について,考えなくてはならない時期にきているのです。国家についても,国家に代わる政治制度が構想しうるのかどうか,ということですね。

 

●これからの私たちの課題

日本の社会が「追いつけ,追い越せ」という夢を使い果たしてしまって,「冷戦の終結」によって社会主義の夢も滅んでしまう。そしてさまざまな困難・危機が私たちを脅かしている。そういう世界で,じゃあ「社会のあり方」「人間の生き方」をどう構想していけばいいのか。

この像がそれなりにつくっていけないと,僕たちは不安で,かつ,無力なままですね。

でも,この像は,いまお話してきたように,まだまだ姿が見えない。

個人レベルでは「あなたは自由ですよ」っていわれても,自分の人生をどのように方向づけていいかわからない。社会・国家のレベルでも,そのあり方をどう目指していいのかわからない。いったい何が正義なのかわからない。‥‥ブッシュという人が,やたらと正義──Justiceということを言って,アフガニスタンを爆撃したけれども,いったいこの世界の中でJusticeってなんだろうな,と思いながらみなさんもテレビを見たことだろうなと思います。

こういう意味で,僕たちの生きている時代というのは,本当に「世界像の危機」の時代なんですね。こんなふうに話していると,暗〜い気持ちになってしまう方もいるかも知れませんが(笑い),でも,僕はあまり暗くならないんです。なぜかというと,「危機の時代」というのは,「考えるにはおもしろい時代」でもあって,これから自分たちで構想していけばいいのだ,と思っているからです。

たとえば「教育」というのは,何を目標とすべきか,どういう制度的なあり方が望ましいか,とか,「福祉」のあり方は,とか。そして世界のあり方というのはいったいどうあるべきなのか──いきなりこんなでかいことを言わなくてもいいけど──。そういう問題がはっきりと自覚されてきた,さてこれからだ,というのが僕たちの時代だと思うんです。

不安になったときこそ,なるべく根っこに戻って,例えば「社会正義」とはなんなのか,どうしたら「正義」を「共有できる価値」にできるのか──「正義」ってのは,やっぱり共有されないと話になんないですからね──,ということを考えなくちゃいけない。根っこに戻って考えること,そこから共有できるものを探すこと,これがとても大切だと思うのです。そして,個々人一人ひとりは自分の生き方を探しますが,そのなかに共通な問題,ひっかかりというものもあるはずです。その部分はやはり,共有してともに考えあっていくことができるはずです。それを探さなきゃいけない。

最後に言いますが,大学は,議論しあいながら,一人ひとりが自分の生き方と社会のあり方を考えていく場である,と僕は考えています。「どうやって生きたらいいか」がわからなくなっている世界だからこそ,いろんな考えを排除しないでフェアに検討すること,そしてなるべく根っこから考えるようにすること‥‥そういうことが大学の,いえ二一世紀を作る者の課題だと思っているのです。

 

え〜「自分探し」。このお話をしようと思って結局できなかったですけど(笑い),よかったらお家でプリントを眺めてみてください。今日はこれでお話を終わりたいと思います。