『歴史と哲学の対話』をめぐって(2013.3.31)


「史実」をとらえ、「史像」を創る……


西 今日は、このまえ出した、西研・竹田青嗣・本郷和人『歴史と哲学の対話』(講談社、2013年1月)についての話をしてみようかと思います。日本史の本郷和人さんと、竹田さんと西の哲学者との対談本です。

この本ができたきっかけは、講談社メチエの「完全解読シリーズ」などで、竹田さんもぼくもお世話になっている編集者の山崎比呂志さんです。

山崎さんは、本郷さんとのお付き合いが長くて、「一回哲学のことを知って、そこから日本史を見直してみると全然違ってくるかも」という話をしてみたら、本郷さんが興味をもった。それで、まず竹田さんと話をしてみたところ、これはおもしろい、西も入れて話をさせよう、ということになったみたいです。

で、前半が本郷・西、後半が本郷・竹田、という組み合わせになっているのですが、ぼくがルソーの社会契約説の話をして、竹田さんがヘーゲルの話を担当して……という決めをしておいてから対談に臨みました。

それでぼくとの対談ですが、まず、認識論の話から入りました。歴史学で問題となるのは、「史実」をもとに客観性のある「史像」をどうやって組み立てていくのか、ということです。これはまさに現象学の「認識論」を通して明らかにしていけることなので、まずはそこを出発点にして、そこからしだいに「社会契約説」の話に移っていく……という流れを想定して、あとはどんどこしゃべっていきました。

現象学の「認識論」というのは、簡単にいえば、人間はお互いの知覚事実を交換し合い、そのことを通して、「わたしもあなたもみんなも同じ一つの世界をともに生きている」という確信≠ネいし信憑≠形成している、ということです。「同じ時間と空間とをもった一つの世界がある」と特別なことがないかぎり、だれもが信じているわけですが、それは互いの知覚事実を語り合って交換しあい、それが整合することで再生産されている、というのがフッサールの考えです。

これは、歴史についても同じで、ぼくらの生きている世界だけがぽこっとあるわけじゃなく、鎌倉時代があり、室町時代があり、戦国時代があり、江戸時代があり、という流れの中で、自分たちは生きているのだという確信・信憑があります。

それでは歴史の場合、「共通の歴史はたしかにこうなっている」という確信・信憑を共有するためのもと≠ノなるのは何か。それは文書(もんじょ)ということになります。文書は触れるし見えるので、まさしく知覚事実レベルで共有できるからですね。しかしその文書から読み取れる「史実」のほうは、知覚される事実(そこに墨で書かれた字がある、印鑑が押してある等々)という点からみると、解釈によって出てくる二次的産物ということになりますから、史実が確定できず一定説が分かれる、ということも出てきます。しかし、そうした解釈には多少の幅はあるとしても、これまでの研究の蓄積のうえに立つならば、一定こういう史実があったであろう、ということは研究者のあいだで共有できるだろうと思います。それで、さらにそれらの史実をもとにして、それを統一的に説明できるストーリーとしての「史像」(これも本郷さんの言葉ですが)をつくる段階に入る。


 文書をよりどころに考えあっていくことが、史実や史像への客観性、共有可能性を得ていく足場になっている、ということですかね。


西 そうですね。興味深かったのは、本郷さんはもともと、東大の史料編纂所にずっとお勤めで、そこはもうほんとうに文書読みの世界なんですって。それをどれだけきっちりやるかということに、プロとしての矜持があるそうです。たしかに、そこでいいかげんなことをしてしまうと、もう「煉瓦がつめない」ような感じになってしまいますものね。

でも、本郷さんの場合、文書の読解はもちろんきっちりとやったうえで、さらにダイナミックな史像をつくっていきたい、という思いをもっておられる。
それで……今回の本の中でも触れられていますが、歴史学には、天皇からすべての流れが生まれているという史像が、「右」「左」いずれの立場にもあるそうです。本郷さんはそれに対して違和感をもっている。


 「左」?……もですか?


西 そうそう。「右」ならば分かりますよね。天皇という力が日本の歴史には連綿と流れている。江戸時代の将軍だって天皇が認めたものだし、平清盛だって天皇のご落胤だったからこそ力をもつことができたんだ……とかね。そして、その背景には、日本の歴史を特別なものとして考えたいという動機がある。たとえば、中国のように、新た支配者が前の支配者を滅ぼして権力の座に就くというのではなく、つねに天皇によって認証を受ける形をとっているのは、日本の歴史が特別だからで、その中心をなしているのが天皇である、と。

ところが「左」にしても同じなんですって。こちらは天皇制はやめたほうがいいと主張するわけですが、その背景にはやはり、日本の歴史はすなわち天皇制の歴史なのだという考えがある。つまり、天皇という巨大な力によって、いろいろなものがゆがめられてきたのが日本の歴史だ、天皇制を解体しない限り、ほんとうに自由な社会は実現しないのだ……と、考えるわけです。

それはもうぼくたちにとって、ほとんどリアリティをもたない話ですが、団塊の世代の人たちが若いころにはそうした像が濃厚にありました。そういう考えをもつ人たちは、天皇制を批判しながらも、それがきわめて強力で特別なものだということを暗々裏に想定していて、そのような天皇制をもつ日本の歴史を特別なものとみなそうとしている点においては、「右」の人たちと同型なんじゃないか、と本郷さんはいっておられました。

でも、それは違うんじゃないか、というのが本郷さんの考えです。もちろん、天皇がほんとうに力をもち、実権を持っていた時代もある。でも、武士が武力と経済をもつようになって以降は、ただ天皇という権威を借りただけなんじゃないか。それに、もし、信長がもっと長生きしていたら、ひょっとして天皇を排してしまうくらいのことはしていたかもしれない。たまたま天皇をかついで、認証してもらって権威を保つやりかたが有利だと判断した秀吉や家康がいたからこそ、そういうスタイルが生まれたんじゃないかと。

ぼくは今回本郷さんとお話してはじめて知ったんだけれども、元号って、天皇が代わるたびに変わりますよね。でも、江戸時代はそうじゃなくて、将軍が代わると元号を変えていたんですって。江戸時代の天皇は、いちおう十万石くらいの領地を与えられていたけれども、それはたとえば加賀百万石なんかと比べると何の力もない。そもそも農民をはじめ、多くの人たちが天皇の存在すら知らなかったんじゃないか、ということも想定できる。だから天皇は、ただの認証機関であり、実力は完全に徳川が握っていたのが事実だろうと。

つまり、天皇をかついで認証してもらうシステムがいろんな意味でよかろうということで永らえてきたのであり、決して天皇制が、世界に冠たる日本の特別にすばらしいものだから……左翼からすると世界に冠たる悪いものということになるんでしょうけど、ずっと続いてきたんだ、というイメージは違うんじゃなかろうか……というのが本郷さんの考えです。

たぶんそれは本当にそうだろう、とぼくも思います。また、そういう認証システムにしても決して特別なものではない。たとえばヨーロッパの場合、イギリスの国王がカンタベリー大司教から、フランス国王がローマ教皇から認証してもらうというスタイルをとっていた。そうした宗教的権威づけに近いものだと考えれば、「天皇による認証システム」にしても、日本だけに特別なものだということには全然ならない。
もちろん個別の事情もあるのでしょうが、それを日本の特殊性であるという話にもっていこうとしすぎることに、むしろ不自然さを感じてしまう。ぼく自身は、基本的には、人類共通のものが、ある条件のなかである現れをする、という考え方をするしかないだろうと思っています。


日本の歴史にも「普遍性」がある……


 いまの日本の歴史学は、日本の特殊性を求めようとするあまり、世界を横に見渡して、国家形成の普遍的な条件に照らし合わせたうえで、日本の事情をみていこうとする視点が欠けている、ということでしょうか。


西 そうそう、まさしく「普遍性を顧みない史像」というものがあるようで、それには抗わなければ、という動機が本郷さんにはあるみたいです。


 そういう動機には共感しますね。


西 そうですよね。日本史専攻の世界では、基礎資料である文書の読解さえしっかりやればすべてがわかる、ヨーロッパの歴史などは関係ないという感じで、普遍的な問題設定を大事にしようとする感度が薄いんだと、と本郷さんは言っていました。

でも、日本の歴史を考えるにしたって、ほかの国家の形成の歩みとも比較したうえで、なんで日本の国はこうなんだろうだろう、というように、普遍性とその特殊な条件をともに理解していく道があってもいいと思う。ぼくなんかは哲学屋だから、そういう考え方しかないような気がするけれども、意外にそのようになっていないらしいんですよね。

編集の山崎さんもそうした日本の歴史学の現状を知っているので、本郷さんに、「哲学の人と話してみようよ」と言ったんだと思います。だって、もったいないですよね。それだけ文書をしっかり調べ込んでいるのだから、それを諸外国とのケースと比較してみると、もっとさまざまな一般的な理論みたいなものが引き出せるようにも思いますし。

日本史の国際学会もあるそうですが、その会議の言語は日本語になっていて、英語でやるわけではないそうなんですよ。日本史だから日本語が当然、というのもわかりますが、少しもったいなくも感じます。日本史の研究者が蓄積してきた成果が、日本語を理解できる人にしかアクセスできないとすると。英語で表現されたなら、ほかの国々との歴史と比較検討されていくチャンスも増えていくと思うし……もったいないと思います。


 で、西さんが本郷さんに対して社会契約説の話を投げかけてみた……というのは、そうした国家形成の普遍的な原理と照らし合わせたとき、日本史からどんなことが見えてくるのかな……ということですよね。


西 そうですね。で、そこから展開した話は、ぼく自身にとっても、たいへんおもしろいものでした。

まず、こんな話をしてみたんですよ……。そもそも社会契約説を提唱したルソーの場合、それを「対等な人どうしの間での契約」としてとらえているが、ニーチェは、「実力者が契約しあって国家をつくる」という言い方をしている。おそらく歴史的にみれば、それが先行しているんじゃないか。実力者たちが契約しあい、平和共存をめざす。互い同士では戦わず、外敵に対して力を合わせて防衛しようとする。そうした、社会契約的なことが、国家の法律やリーダー(領主・王)の正当性の根源になっているのではないか。そう考えてみると、これは歴史を見る目としてけっこう使えるかも……と言ってみたんです。

そうしたら、本郷さんが、「それは鎌倉時代の例にぴったりあてはまる!」と乗ってきた。本郷さんにいわせると、鎌倉幕府を開いた頼朝は、決して絶対的な権力をもっていたわけではなく、武力や経済的な実力をもった御家人たちが、互いに協力して敵と戦う契約を結んでいて、その契約のうえに乗っかっていた存在なんだそうです。

ではどうして源頼朝の子孫は絶えて、北条氏に実権が移っていったんですか? と尋ねてみたんですよね。そうしたら、2代目か3代目が、自分は将軍で特別な存在だと思うようになり、御家人からすれば勝手にあれこれとやりはじめたので、「なんだあいつは」ということになり引きずりおろされた、ということなんだと、本郷さんはいっていました。正確な記憶ではありませんが。

つまり、一定実力をもった御家人衆の契約共同体のうえに将軍が乗っていたとみれば、鎌倉時代の特質がとらえられるようになる、という話なんです。

そこからさらに、「だったら、どうしてそこに天皇が必要なの?」という論点が出てくる。これは話の流れで、鎌倉時代ではなくて、戦国時代から江戸時代の話になってしまったのですが、いちおうこんなことが考えられるのではないか、と。……戦時であれば、お互い平和共存して外敵に対して身を守るという契約の意義は火を見るより明らかで、そのためのボスをあなたに任せます、ということもはっきりする。でも社会が安定し、他国との戦争のおそれも少なくなると、権威を保つために天皇を利用すると便利だったんじゃないか。仮説ですけど、いちおうそんなところに落ち着いた感じでした。

こうした観点が、歴史をみるためにどれくらい有効かというのは、いろいろ実態に照らし合わせてみないとまだわかりませんが。


 まず、平和共存のための実力者どうしの契約が端緒になって国家が形成され、社会がしだいに安定してくる中で、「対等な人たちどうしの契約」として国家の存在意義を考えようとする観点が出てくる……そうしてとらえると、日本の歴史にしても、ある普遍性をもった人間たちの営みとして見えてくるようになりますよね。
もちろん、記録に残された歴史的事実が出発点になることは分かりますが、そこから何をともに考えあっていくのかという問題意識が、史像をつくっていくためには欠かせないように思うし……「哲学」をそこに入れておかないとな、という気はします。


哲学的思考を歴史に生かして〜「普遍洞察」と「共生への意志


西 哲学、というか哲学的な考え方ですよね。哲学の思考法である、ひとつひとつの事柄を、ただ個別のものとして見るのではなく、一般性のある事柄の一事例≠ニしてみるという発想は必要なんじゃないかと思います。

プラトンが『メノン』でも書いているのですが……ソクラテスが「徳ってなにか」とメノンにきくと、メノンが「男には男の、女には女の、子供には子供の、使用人には使用人にの、子供には子供の徳がある」としたうえで、「男の徳は政治をよくすること、女の徳は家をよく治めることだ」と答える。それに対してソクラテスが、「いや、自分は徳の一般性をもった内容(本質)はなにかときいているんだよ」と問い返していく。……そのように、個々の事例の中からその根拠となっているものをつかみだそうとするのが、哲学のいちばん大きなねらいですよね。

哲学がなんでそうした思考法を求めてきたのかということは、はっきりしていると思います。「徳」に関していうと、「男は友を助け、敵をやっつけ、政治をよくして……」という古(いにしえ)からのモラルがみんなに共有され続けているのであれば、そもそも「徳とはなにか」などということを考える必要がない。でも、ソフィストのように、弁論術を駆使して富と権力をどんどん獲得しようとする人たちが出てくると、「たしかに古の徳は滅びつつあるのかもしれない、でも人間としてやっぱり大事なものがあるんじゃない」という気持ちをもつ人が出てくる。たぶんソクラテス・プラトンも、そのひとりだったんだと思います。

そういうなかで、昔と同じような「男はこうするもんだ。女はこうだ」という言い方ではなく、言葉の水準をあげた一般性のあるところで、時代の状況は変わっても、これがモラルの根拠だよね、といえるものをどうつかみなおすのか、というのが、プラトンの時代の課題になってきた。だからこそ、個々の事例をこえて、ある一般的なもの、普遍的なものをつかもうとする「本質の思考」がでてきた。それがソクラテス、プラトンによってはっきり打ち出された、哲学的思考、つまり本質をつかむ思考の原型だと思います。

歴史学については、モラルの根拠をつかむ、ということとはちがいますが、やはり一般的なものをつかむことの意義はあると思います。ある史実に対して、ある一般性をもった事柄の一事例であるという把握のしかたができれば、ほかの国のありかたを理解するためのヒントが生まれるかもしれない。日本とほかの国の事例を比較しながら、ある一般的な事柄を取りだすことができれば、それがこの国ではこういうバージョンになっているけれども、この国ではこうなっているんだね、という考え方もできるようになる。そうすれば様々なところで、互い同士の理解が進むようにもなる。

そのことはおそらく、われわれが、今の社会をどう認識して、これからの社会をよりよいものにしていくために、どういう条件をつくる必要があるのかということを考えるヒントになっていくはずだと思うんですよね。そうした一般性、普遍性のほうにいかずに、「日本の歴史にはこういう特別なことがありました」ということだけだと……たしかに、その知識は、「万世一系の天皇がいて、自分たちの歴史は特別なんだ」、ないしは左翼のように「万世一系の天皇がいるからこそ問題なんだ」というように、自分のアイデンティティを担保してくれる働きはあるでしょう。でも、人類がさまざまな形で生き、個別的な事情のなかで異なった制度をつくりながらも、そこに共有されている意味や価値をみとっていこうとするような、いわば「人類史」に向かおうとする方向は出てこないですよね。

もちろん、「人類史」というと、いや、そんなものはいらないよ、おれは日本人でけっこうだ、という人が出てくるかもしれない。しかしぼくは、一般性、普遍性への視点をもって、ほかの国の歴史も考えあわせていく、ということができたほうが、日本史にしてもより深いつかみができるようになると思います。

それは、ほかの国の人々の文化や歴史に対して、もっと開かれた視点をもつことにも結びつくでしょうし、そうしたことに歴史学が寄与したほうがいいんじゃないか、ということは思いますね。……犬端さんはどう思いますか?


 ほんとにそうですね。哲学的思考の原理ということに関していえば、西さんも自分自身のキーワードを立てて説明してくれていますよね。まずひとつは「普遍洞察性」……


西 そうですよね。だれもが洞察してなるほどと思える≠ニいうこと。


 それともうひとつ、「共生への意志」という言葉が、印象に残っています。


西 そうそう、ともに生きていくための意志ですね。


 それを実現するための考え方、考えあい方を確かにしていくために、そもそも哲学が出てきている……ということもあるんじゃないかと。


西 そうですね。そもそも哲学って、ミレトスのタレス以来、交易によって多種多様な人たちが出会う条件が生まれて、それぞれの既成の世界像が相対化されていくなかで、自分自身が、また各人が納得しあえる考えをつくっていきたい、という動機のもとに生まれてきたものですね。つまり、それぞれの生き方だとか、世界がどうなっているのか、という課題を、普遍洞察性を備えた考えにまで育てていこうとするわけですが、……そこにもう一つ、「共生の課題」というのものがたしかにあったはずなんですよ。お互いに理解しあい、お互いにうまくやっていくためのルールをつくらなければ、部族どうしで殺し合いになるかもしれないですから。

見田宗介さんが2008年に東大で講演をしたとき(「シンポジウム報告論集・軸の時代T/軸の時代U−−いかに未来を構想するか」、発行所:東京大学大学院人文社会系研究科、グローバルCOEプログラム「死生学の展開と組織化」、2009年)、ギリシア哲学の発生の話をずいぶん詳しくしていました。そのさい、古代ギリシアで部族どうしの復讐の連鎖が続き、それにどう対応するかということが、ギリシア世界では非常に重要なモチーフだったということをおっしゃっていましたね。

まさしく哲学には、自分が納得したい、みんなが納得できるし、自分も納得できるものを求めたいという心根とともに、そのことを通して共生できる考えをつくりたい、という動機が、まちがいなく含まれていたと思います。

それは結構大事かもね…。とくに、いまのこうした状況のなかでは。韓国とか中国、とくに中国に対して、「とんでもない国だ」って言っている人、周りにいませんか?


 そうですね。それにまた、そういう「見え方」をしてしまっている現実もあると思うし。……ただ、今後どんどん険悪な方向にいったとして、何が得られるかといったら……何もないですよね。たしかに難しい問題だとは思いますが、少なくとも一定の世界観を共有しあえるための努力は大事だと思います。


西 そうですね。ぼくも中国とのことを決して楽観視しているわけではない。共産党支配だし、民主主義がないので……民主主義があって、少なくとも民間レベルでお互いの意見が自由に交流できるようになれば大分条件が違ってきると思うんですよ。


 ですよね。そこは大事だと思う。


西 そうですよね。その意味ではいまのところ条件が悪いな、と思います。でも不幸な対立があったとしても、「同じ血が通っている人間なんだ」という感覚はぼくらのなかに、不可逆なもとのとして息づいている。それは大事にしなければいけない、と思いますよね。

韓国については、その点あまり心配していないんです。「竹島」「独島」をめぐって議論は起きてはいるが、人々が自由に行き来できるし、民間レベルでの交流も深く、お互いのことをわかっている部分も大きい。なので、対立をどうしようもないところまでは行かせないようにする力が働くんじゃないか、と思っているんですけれどもね。


 社会にしても歴史にしても、個々の人間の実存と切り離して考えていけるものではないですよね。それぞれが自分自身の生を、納得できるように意味づけしながら生きていこうとしている、そうした基本的な実存の場所から切り離した形で歴史観や史像が形作られてしまったら、それは救いにはならない。
その点を考えても、哲学の「それぞれの実存をよりどころにしたうえで、共有可能な意味や価値を見出していく」という基本的な発想と方法というのは、歴史への考察にとっても非常に大事なことではないかと思います。


西 そういうのって大事ですよね。今回の尖閣諸島の問題で、中国のことに対して腹を立てている人は、たくさんいると思います。でも、具体的に経済的な利害や、危険性などの危機意識をリアルにもっている現場の人たちだけでなく、そういうリアルなものは特にないんだけどカリカリしている人たちもいたりですとか……その内実はさまざまだと思うんですよね。

リアルな危機意識とは別なところで、カリカリしている人たちの背景には……こういう言い方は失礼かもしれないけれども、たいてい何かの不遇感をもっている人だと思うんですよ。そういうときって、つい悪者を見つけてそれを攻撃の対処にしてみたり、運命を呪ってみたりしたくなりますよね。

人間だれしも不遇には見舞われるもので、ぼくだってひょっとしたら、突然家族を失ったり辛い病気になったすることがあるかもしれない。でも、不遇そのものは解決できないとしても……たとえば、哲学や文学などを通して考えあい語りあえる場面をもっていると、「個々の感度の違いはあっても、こういうところはほんとに共通しているよね」ということが見えてきたり、「これは自分だけではなくて、たいていの人が大事だと思えることだよね」ということを確かめ合ったりできますよね。そうできると、人間というものに対して、どこか愛が生まれるというか……自分の不遇にしても、さまざまな人たちの不遇のなかのひとつなんだな、というように見られるようにもなるし……そのことで、不遇にもある程度耐えることができたり、不遇に負けず、ほかのひとの生きているありさまをちゃんと自分のなかで受け入れたりすることができるようになる気がするんですよね。

そうした感度が切れて≠オまうと、どうしても敵と味方を二分するような世界観に陥ってしまう。ぼくの場合、哲学と巡り合えたり、哲学を通していろいろなことを考えあえる仲間に巡り合えたりして、ラッキーな部分が大きかったと思います。でもそうした条件をもたない人が敵と味方の世界像をつくってしまったり、またそうした世界像がある意味国レベルで……例えば中国の連中はほんとうにしようもないやつだ、みたいなところにつながったりしてしまうことはありうると思う。

そういう、語り合えるような場面を一つでも増やすことができればいいし、また、そういうことが大切だよねっていうことを、この世の中に広めたいな……ということはすごく思っていますね。


 そうですね。ぼく自身にしても、不遇といえるほどではないにしろ、まああんまりぱっとしない生活を送っている。そんななかで、これっていいよね、こういうことには意味があるよね、だとか、こうなればもっといいのにね、ということを考えあえる場面をもてることは救いになっている。実存の問題を考えあい、深く価値を共有しあう実感を得ていく経験は、ほかに得難いものだと思います。こうした体験のよさの本質というものを伝えたいという動機はよく分かります。また、そういうことが伝わっていくこと自体、自分にとってうれしいことでもあるし。なにか確信をもってやっていけることがあるとしたら、そういう「表現のゲーム」を展開していくことぐらいなのかな……と。


西 やっぱりそこかな、と思いますよ。そのことを通して、自分や他人に対する愛が途絶えないようにすることって大事ですよね。


 そう思います。それで……もし史像というものが、そうした個々人の不遇感に呼応してでてくるものだとしたら、虚しいものになってしまう。たしかに文書を読んだり、事実をさぐったり、ということがまずベースになるとしても、そこから何をとりだし、どのように自分の生の問題、実存の問題と結び合わせて歴史や世界を見渡していくのか、ということを抜きにしたら、決して実のあるものにはならないと思う。そう考えてみると、近代的な生のありかた……というか、個々の実存がより納得をもって生を展開するための一般条件をどのように向上させていくか……ということを、まず基本線として意識することが大事なんではないかと思います。


「社会への信」を絶やさないために……


西 そうですよね。たしか一昨年、朝日カルチャーセンターで竹田さんとニーチェの講座をしていたときのことですが、「社会という〈信〉」という話になった。社会を信ずる、ということがニヒリズムを超える、ということがあるよね、ということなのですが。
 社会というのは、ある側面では個々人の意図を超えた動きをしますから、非情な壁として実感されることもある。でも、もし、自分がじっさいには会ったこともない人々とも社会をつくっている、という、メンバーシップ≠フ感覚が各自のなかに生きていて、困ったことがあっても少しずつ協力しあってよくしていける、という感覚があれば、ニヒリズムを超えられるのではないか。逆からいうと、ベースとしての生活がそれなりに成り立って、そのうえで、社会がよりフェアーであったり、より自由があったり、というように、社会を自分たちの努力を通してよりよいものにしていけるという「信」がまったくもてないと、非常につらくなると思います。

「人間死んでしまえばそれで終わり」というのはひとつの真実ではあるけれども、自分が死んでも、人々が生きている世界はずっと続いていくだろうという信憑はだれしもがもつものでしょうし、のちの人たちにつながる何かを残せたらいいなという思いを、多くの人がもっていると思います。ぼくじしんは、未来社会の構想を打ち出すことまではできないかもしれない。でも歴史学は、それこそ人類の経験の宝庫なので、われわれの時代の理解、そのつどの時代の理解だけでなく、未来を構想することに結びついていくということがあっていいし、それがないともったいないな、と思いますよね。

歴史を学ぶことの核心は何かというのを、まだ上手にはいえないんですが、やはり、自分たちの社会を理解しなおし、これからの時代、社会の方向を構想するのにつながってほしいなというふうに思っています。だから、歴史学にしても、一般性を考えないとね、ということをつい言ってしまうわけなんですけど。


 たしかに、過去の事実を追跡する、というよりも、今生きている人たち自身が抱えているテーマや、今後のことを考えていくためのヒントや手がかりを見出していくことのほうが目的としては重要な気がします。ハイデガーの時間論ではないですが、何かをめがけて、ということに呼応して今があり、今までのことが見えてくる……ということはあると思いますし。


西 過去の取戻し、理解ということにしても、これからどう生きようかということがあるからこそ、可能性をめがけているからこそ、わざわざそういうことをやっているわけですものね。


 それで、今度の本を読みながら、まず「共生への意志」「自由の展開」というキーワードを置き、そこから共有可能な歴史観をどう構想していくの考えることって、とても大事なことなんじゃないか……と考えさせられています。


西 たしかに、「自由の展開」ということから歴史を見ていける部分って、けっこうありそうですよね。


 たとえば、権力をもった実力者どうしの契約がまず端緒だったとしても、より多くの人が、自由への条件、よりよい生に開かれていくため条件を向上させるための工夫と努力が、そこからどのように積み重ねられてきたのか、だとか……そういうように歴史を見ることができたほうが、よほど元気が出てきますよね。


西 ですよね。それを考えると、ヘーゲルというのはちょっとすごいよね(笑)。さまざまな混沌に満ち、暴力にも満ちた恐ろしい力でもある歴史に対して、それを人々が「自由」を実現し、広げていく大きな流れとしてみとることができるんじゃないか、といったわけですから。そのアイデアについては、それはあなたのものの見方でしょ、ということだけでは済まない説得力を感じますね。実証性としてどれだけいえるかという問題もちろんあるけれども。

マルクスは、師にあたるヘーゲルのそのモチーフが十分に汲めなかったのかもしれません。マルクスのヘーゲル批判をひとことでいうと、「人間の意識や観念が歴史をつくるわけではない、歴史をつくる大きな動因は、経済であり、そこから見なくてはいけない」、ということですよね。

それにはもちろん一定の理があって、とくに産業資本主義の時代になってくれば、資本の力が大きなエネルギーとなって世界を動かして変えていくわけですが、そのように経済の動きをとらえていこうとすること自体が、もともと「各人が自由でいられるための条件をどのように認識し、どのように整備していけばよいのか」という問題意識に呼応して出てきているわけですよね。そうした部分を落っことして、歴史を動かすのは経済だという話にしてしまうと、そもそも歴史を考える目的、経済を認識するための目的ってなんなのさ……といういちばん頭の部分がふっとんじゃうことになりますよね。

もちろんマルクス自身が、自由は大切だと考えていたことには間違いない。でも、マルクス主義まで含めてしまうと……「自由の条件をどう実現するか」という仕方で社会を考えようとする感度がないために、人権がことごとく踏みにじられてきた……という事実があるわけじゃないですか。

近代になって「自由」の意義が人々のなかで自覚され、それを民主制なり、人権なりという形で実現しようとしてきた歩みがある。そこに基づいて、ほんとうに公正な社会を実現しようとするのであれば、経済的な条件、経済的な大きな力を認識し、それを繰り込んだうえで自由を実現するための社会的条件を検討しなければいけない……というようにマルクスが話を展開できれば、それはもうすばらしいものだったと思うんです。

でも、そうではなくて、「『自由を求める』人間の精神の動きが歴史をつくる」というヘーゲルの発想を否定したうえで、精神が自律的な主体として歴史をつくるなんてありえない、歴史をつくるのは経済だというところから話を始めてしまっている。


 いまのマルクスの話を聞いていても、そこにある発想って、歴史の動因の根本にある「客観的」な原理ってなんだろうというものですよね。


西
 なるほどそうですね。たしかにマルクスのなかには客観主義がありますね。経済から見る見方こそが、唯一、歴史の動因を客観的にとらえるための道なんだ、という発想が。


 それを考えると、現象学の「信憑構造」のアイディア……というか、「客観的な真理」という発想を棄却し、それぞれの体験に寄り添った「確信成立」の様相からものごとをみとっていこうとするアイディアって相当大事なものですよね。そういう道筋をたどることではじめて、自分自身にとって意義あるものや大切なものと、人間の生一般にとって意義あるものや大切なものとを、結びつけてとらえていく可能性がみえてくる……。


西 そうですよね。個人としても自分の実存的な生き方の追究があり、また、それとともに「われわれ」の次元で、「われわれ」の生きているありかたに対して、より自由の条件をつくっていくほうがいいよね、という思いがあり……そういうことが基盤になっているからこそ、社会の共有認識をつくって、社会を少しでもよい方向にコントロールしようという思いがそもそも出てくる、という順番ですよね。

だから、歴史を考える、社会を考えるときって、まず根っこに実存があり、その実存のなかに社会という信憑も生きている、というように考えることが、基盤になりますよね。


 それはほんとうにそう思います。

(了)