自己了解を可能にする「条件」とは何か

 (2012.2.11UP)


とことん付き合うことで信頼関係を築く〜「かりいほ」の実践

  

西 最近「かりいほ」という施設での取り組みに非常に惹かれるものを感じて、その話をしてみたいと思います。そこは中程度……言語によるコミュニケーションは基本的に可能だということです…の知的障害をもつ人たちの施設です。定員は30人ということですが、栃木県の自然豊かな環境のなかにあって、利用者は施設内の畑で働いたりして生活している。職員もいっしょにそこに住んで石川恒さんという方が施設長をなさっています。

この「かりいほ」に集まってくる方たちというのは、ほかの施設で問題を起こしてしまった人ばかりなんですよね。衝動的に暴力を振るってしまったり、みんなで生活するうえで基本となるルールを守ることができなかったり……機嫌がいいときはある程度守れていても、かっとすると、相手を殴りつけてしまったり、職員もぼこぼこにされたり、だとか。

石川さんのお話によれば、そんなふうに切れて衝動的に他人をなぐってしまう人は、知的障害があるというだけではなく、家庭そのものが崩壊していてたいへんな環境で育ってきた場合がほとんどだそうです。


 愛情を注がれず、自分という存在をちゃんと受け止めてもらえないまま育ってきたという感じですか。


西 まさしくそういうことだと思います。それで、石川さんたちがそういう人とどう対するかというと、「とにかく付き合う」そうです。もちろん人に迷惑がかかるようなことについては、「やってはいけない」というけれども、できる範囲でその人の意に沿うようにしてあげる。そして利用者が自分の意志で「かりいほ」にいることを選ぶのでなくてはダメだ、と石川さんはいいます。

たとえば、食事も取らず、かりいほを毎日出て行ったり、トレイに閉じこもっていたりした人がいた。その人は、自転車が大好きで、自転車に乗りたい、自転車がほしい、と言っている。そのとき石川さんがどうしたかというと、「じゃああなたを職員にします。巻き割りなどの仕事をお願いします。ちゃんと仕事をしてくれたら、日給千円出します」とその人に言ったそうです。すると、その人はいっしょうけんめい働いて、そのお金を積み立てて自転車を買うことができるようになったんですって。

あるいは、「こんなところに閉じこもっているのはもう嫌だ」という人がいれば、「じゃあちょっと外に行くか」という感じで、自分の車に乗せて2、3日ドライブして外食したりして帰ってくるとか。

そのように、可能な限り相手の意に添うようにして付き合い続ける。そうすると、早ければ半年くらいから、長ければもっとかかりますが、しだいに「信頼関係」ができてくるそうです。最終的に信頼してくれずに出て行く方もおられるようですが。

この方たちは基本的に、いままでそうした信頼関係をつくってきたことがない人たちなんですよ。でも、いったん信頼関係ができると、石川さんが「これをやっちゃだめだよ」といえば聞くようになる。「このルールは、自分たちが集団生活を送るうえで必要なものだ」という、一般的な理解ができたわけではないのですが、信頼する石川さんが「こうしなければいけない」と言うのであればとりあえずきくよ、というふうになる。

これってまさしく、幼児が親を通してルールを身につけていく過程と同じですよね。親との愛情関係、信頼関係があってこそ、親が怖い顔をして「危ない、これはやっちゃだめ」といえば、それに従おうとする。親に嫌われたくない、親に喜んでほしい、ということが、親の命令つまりルールを身につけるための基本的な動機といえます。それと同じことを、石川さんたちはやっているわけですね。

こうして利用者の人たちのなかにルールの感度ができてくると、そのつぎに「かりいほ」の施設内で作業、役割を与える。あまり人とかかわるのが得意でない人は、自分のペースで仕事ができるように、ひとりで巻き割りなどができるようにしてあげる。役割を分担して何かをやり遂げることの充実感が得られると、みんなで生活することのおもしろさや、、集団生活を営むさいにルールがあったほうが便利だ、というルールの必要性を実感するきっかけができるようにもなる。

それで、「役割」をだんだんこなすようになってきて、さらに「晴れ舞台の創造」をすると石川さんはいいます。これはつまり、何か得意なことをして、みんなから「すごいね」とほめてもらえるような、その人に合った晴れ舞台を用意してあげる。そうすると、これは「評価・承認」される世界ですよね。


 「自己価値」が高まっていくことを実感できる、という感じでしょうか?


西 そう、まさしく自己価値ですよね。石川さんは別に誰かの理論を本で読んだ様子でもないんですが、実践していることは、ほんとうに理にかなっている。
だれかが、自分の欲求を理解し、付き合おうとしてくれている。だめなことはだめだと言いながらも、逃げないで、ずっと付き合い続けてくれている。そこから信頼感が生まれる。まずはそこがスタートなんでしょうね。そこからはじめてルールを意識するようになり、「自分自身の欲求を表現する」ことと、「とともに生きていくために折り合いをつけていく」ことなどを学んでいく。集団で生きることの大変さもありますが、役割を果たしたり晴れ舞台を演じて、自分が役だったりほめられたりする喜びを知る。

最終的には、「かりのいほ」、つまり「仮の庵」、という名前がついているように、その人が「いいかんじ」になってくると、週四日くらいのペースで地元のデイケアセンターで働けるようにしたり、場合によるとアパートを借りて住めるようにしたりして、地域に定着しながら生活ができるようにしていくそうです。

ただ、自分の生まれた場所に戻ることは難しいと石川さんは言っていました。家族ももう引き受けたくはないといっていたり、昔暴れていたことを知っている周りの人から敬遠されてしまったり……などの事情があるので、「かりいほ」からそう遠くない町で暮らせるようにするそうです。

そのさいに、地域の警察の人も「仲間」にしていくそうなんです。要するにその人を周りで見てサポートしてくれる仲間を一人でも二人でも増やさないといけない。「もう自立できました、一丁上がりです」ということにはなりませんから。サポートを続けていくことは必要だし、温かく見守ってくれる人の存在は欠かせないそうです。でも、そうした環境も併せて整えていくことで、ある程度自立して社会生活を営めるところまでいっている人たちがいるそうです。

人間って、自分の欲求と、集団での生活、社会での生活の中で求められることが相克する場面を繰り返し体験しながら生きているものですよね。でも、そこに折り合いを見出していくなかで、評価されたり承認されたりという経験が生まれ、そのことが自分自身の欲求になっていったりもする。石川さんのなさっている実践って、そういう人間のありかたそのものを、思い起こさせてくれる感じがするんですよね。

でも、「よくそんなことがやれていますね、どうしてそんなことができるのですか」って、率直に聞いてしまったことがあるんですよ。

そうしたら、「困っている人を見てられないから」というとても素直な答えが返ってきました。そういう実感をもっている方だと思うんです。ふつう他人を殴ったりする人は、「問題のある人」「面倒くさい人」ですよね。でも石川さんは、そういう形でしか他者と関係をとれないことのしんどさだとか、孤独感だとか、人とずっと信頼関係をつくることのできなかったその人の歴史とかを、直観できるのだと思うんです。暴力的な問題行動を受けたりすると、ふつうは嫌だなあ、もう勘弁してよということになると思うけども、石川さんの場合、そこにその人の生き難さを見ていることがあるから、付き合おうという気持ちになれるんだろうと思うんです。

 問題行動があっても、それをそのひとそのものの、いろいろなしんどさを含めた表現だというようにみる発想ってすごいですよね。また、そういう発想をもてたとしても、それを実践続けていくのって、なかなかできないことだと思います。


西 そうですよね。しかもこちらのほうは善意をもって接しており、ぜんぜん悪いことを言ったつもりはなくても、なにかの言葉その人の中でひっかかって、攻撃的な反応を返されてしまうことだって多々あるわけでしょうから。

でも、石川さんがおっしゃるには、「いくらこちらに善意があっても、向こうにとってどんな意味をもつかということを考えなければ何の意味もない」って言うんですよ。そして、まさしくそれを実践しているっていうのが、すごいことですよね。

それに、最初は暴れていた人が自分のことを信頼してくれるようになったり、だんだんとその人の成長を感じられたりすることがうれしい、ということもおそらくあるんじゃないかな。

この「かりいほ」とも親しい、「ふるさとの会」というNPOがあります。これは東京の山谷のホームレスを支援することからスタートした会ですが、いまでは単身困窮者――ホームレスだけでなく、ガンの末期の人、HIVの人たちなどさまざまな生き難い人たち――に住まいと介護を提供しているNPOです。台東区や墨田区で、いわゆる「簡易宿泊所」を借りて地域的に支援の場をつくりあげてきています。これは、地域のなかでどうやって「互助」のかたちをつくるか、つまり、いったんバラバラになった人たちがどうやってともに生きていけるか、という観点からみてもとても興味深い実践なのですが、こちらについては、またこんど詳しくお話してみようと思います。

この「かりいほ」や「ふるさと」のような、障害者や困窮者の支援のさまざまな新しい実践のかたちに出会うようになってから、自分のなかで前からいろいろ考えていたことが、すごく広がってとらえられるようになった感じがしています。


語り合う喜びに出会えたとき

西 ぼくが自分の哲学を通してずっと大事にしてきたものが、どんなふうにできてきたのかというと……竹田青嗣さんと一緒に和光大の民族差別を考えるゼミに参加したことが非常に大きんですよね。

このゼミは「民族差別問題研究試論特講」という名前で、略称「民差論」(みんさろん)といってました。このゼミができたのはぼくが参加するより数年前で、1980年のはじめのころだと思います。和光大学の在日学生や日本人とのハーフの学生が、在日問題を考えるゼミをつくりたいということで、学生や教師を巻き込んで、単位のとれる自主ゼミをつくった。そのメンバーの学生が、竹田青嗣さんの「帰属への反乱」という評論をたまたま目にして――これはたぶん竹田さんのデビュー作じゃないかな。端的にいえば、在日の人たちの「北に帰属するのか南に帰属するのか」という議論に対して、「帰属」ということ自体を見直してみようよ、といった内容のものです。彼ら在日の学生には、「北も南もない、自分たちは日本に住み続けて生きていく『在日』なのだ」という感度があったので、「これはおもしろい」と思って竹田さんをゼミの講師として招くことにしたようです。

ぼくはそれから2,3年たって、竹田さんと別のところで知り合い、「おもしろいから遊びに来なよ」って誘われて行くようになったんです。

在日にはいろんな立場の人がいます。朝鮮語を話し民族性を大事にして、誇りをもって生きなければいけない、差別に負けてはいけない、という考えをもつ人もいれば、南北統一を目指してがんばるべきだと主張する人もいる。その一方で、自分は生まれたときから日本名を名乗っているので朝鮮名のほうに違和感がある。自分は日本で生きていくわけだし、国籍の問題以外はほとんど日本人だ、というような考えをもつ人もいる。自分はハーフで、お父さんは韓国人だけれども、国籍は日本だし、小さいときから日本で育ってきているので、民族性といわれてもピンとこない、という人もいる。

おそらくそういうことがあって、民差論のゼミでは、「それぞれの話をまずよく聞こう」ということを、かなり意識してやっていたんです。だれかの話でよく分からないことがあったら、「それってどういうことかな」と尋ねてみる。ともかく相手の言いたいことをちゃんと受け止めるのが第一。非常にくだらなくて「なんだよそれは」と言いたくなるようなことであっても、まずはその人の言いたいことが終わるまではちゃんと聞くようにする。そういう「文化」のあるところでした。やはり民差論にしばしば参加されていた、和光大学の三橋修さん――後に和光大学の学長も務められましたが、『差別論ノート』という名著があります――が「ともかく相手の話は一度最後まで聞こう」という姿勢の方で、そうした「和光文化」とも関係があると思います。

そのゼミはぼくにとっては、一種のカルチャーショックでした。それまで自分の周囲では、議論の場といったら、ものを知っている人や頭の回転のいい人が、かっこいいことを言って競い合っているというようなことが常でしたので。ところが民差論では、たとえ拙くても、自分の考えていることをちゃんと言おうとすることが、何よりも重視されていた。借りてきたような言葉でしゃべると、「なんだお前」というような目で見られる。逆に、拙くても自分の感じや自分の考えを一生懸命言葉で表現して伝えようとしている人は、「いいな」と思われる。ゼミに参加しはじめたばかりの1年生で自分の考えをうまく言葉にできないような人に対しては、「君のいいたいのはつまりこういった感じのこと?」と聞き返していくことで理解を深めていこうとする。

ぼくは、そこではじめて、「安心して話をする」という感じをもてるようになりました。大切なのは、相手を論破して勝とうということじゃなくて、自分の感じ、自分の考えをどうやって伝えていくかということ。そのためには、自分のなかをよく見なくてはいけない。そして、相手に伝わる言葉を探さないといけない。本に書いてあることだけじゃなくて、自分がこの事柄をどうとらえているか、この問題をどう思っているのかということを、自分自身の中を丁寧に点検しながら言葉にしていくことが大事になる。これは今も大切にしていることですけれども、そのいちばん根っこのところは民差論のゼミで学んだと思います。

また、このゼミには「セラピー力」というのが非常にあって……参加者が、メンタルに調子の悪い自分の友達をどんどん連れてくるんですよ。すると、よくなるんですよね(笑)。


 関係の喜びが実感できる、ということからでしょうか?


西 そうですね。ただ、それをもうちょっと分節して言うと、「自分の言葉をちゃんと受け止めてもらえる」という安心感があるんです。


 「安心感」ですか。


西 そう、安心感があると、その中ではじめて自分をちゃんと見られるようになる。


 「自分を見られる」ようになる……


西 そう。これがけっこう大きいことなんですよ。余裕がないと、自分のことをちゃんと見られなくなることってありませんか?


 それはすごくありますね。


西 余裕があると、自分はいま怒っているな、でもいまは怒っちゃまずい局面だな、だとか、自分の中で動いているいくつかの感じや想いを、ちゃんと見ることができる。でも、そうした余裕が失われると、「切れやすく」なります。「敵・味方」の世界観をもっている人ってわりとそうですよね。


 たしかにそうですね。


西 自分によくしてくれる人は味方で、ちょっとでも気に入らないことを言う人は敵。そういうように敵か味方か、自分の仲間かそうでないかで人との関係を選別してしまう。でもそうやって世界を分けてしまっている人って、ある意味脅かされていることのカウンターというか、反動としてそういう世界観をつくっている。


 その世界観のなかで、自分を正当化しようとしているわけですよね。


西 そう。悪いのはあいつらなんだ。自分のほうは悪くない、みたいにね。そしてその悪くない自分を支えてくれる人はよい人なんだ、善なんだ、と考えようとする。それって「脅かされている感」をその中核にもっていると思います。


 脅かされている不安から、自分のことを冷静にみつめなおすことができなくなり、自分の中の衝動的なものに引っ張られてしまう……


西 そういうものだと思うんですよ。でも「民差論」では、自分の思いをちゃんと受け止め、しかも受け止めてくれるのと同時に、「君の言いたいことはわかったよ、でもさ、自分からみるとここはいいんだけど、ここのところはこんなぐあいに変だと思うんだよね」というように返してくれる。しかも、そこにはなんの敵意もなく、ほんとうにちゃんと受け止めたうえで、自分自身の考えを返そうとしてくれる。そういう関係があった。


 そういう関係ができると、たしかに安心感がもてるようになりますよね。


西 そうですよね。そうした安心のできる関係と、そこから返されてくる言葉があることで、自分の世界像を点検し直していくことができる。その中で、自分の不安や心細さや、「攻撃されているという感じがあるからこそ、逆に強く出ようとしていたんだな」ということも含めて自己了解ができるようになる。

自分に余裕があるときなら、独力で自己了解することもできますが、そもそもメンタルに調子が悪いときって、自己了解ができない状態なんですよね。そんなときには、自分の存在と言葉をちゃんと受け止めてくれる人がいてこそ、はじめて自己了解ができるようになってくる。そこから自分の世界像をよりよい形で編み変えていけるようになる。自分を率直に見つめなおしながら、自分自身にとっても、人と関係していくうえでも、よりよい考え方の形がもてるようにしていくことができるようになる。

そうするとね、メンタルな問題も、治っちゃうわけなんですよ。


 信頼関係のなかで得られる安心感が足場になって、そこから自分の可能性を築いていけるようになる、ということですね。


西 まさしくそうですね。まずは「受け止めてくる場所がある」ことを実感できるのが大切なんだけれども、それだけではなくて、まったく攻撃的ではない、真っ正直な態度で言葉を受け止めてもらえるという実感があってはじめて、自分のなかでひっかかっていたことだとか、葛藤を抱えながらなかなか直視できないでいたことに向き合えるようになって、それが言語化できるようになる。

それはすごい治癒力で、あのころ、ほんとうに調子が悪かったような人が、ちゃんと自己表現ができるようになったし、……しかもそうした言葉の交わし合いのなかで、自分を見る力や他人を見る力が育つんですよね。

竹田さんは「表現のゲーム」という言い方をしていますよね。自分が、社会を、他人に対する関わり方を、あるいはものごとや作品のよしあしを、どう感じ、どう理解しているかを言語化してみる。それをまた相手と交わし合っていく。つまり、自己了解を交換し合ってく。そうした言葉の交わし合いを通して他人のもつ自己了解や世界像に触れていくなかで、「なんだあいつも同じこと考えていたのか」とか、「ああ、そんな考え方をしている人もいるんだ、こんなふうに生きてきた人もいるんだ」ということを知り、それによって自分の見方をとらえなおしていくわけです。

ある意味、「われわれ」があるから「われ」をとらえかえせる、ということがあると思います。「われ」だけの世界で生きている人、要するにルール関係を持てない人は、そもそも自分のものの見方を見つめなおして相対化していく動機をもたない。ところが「われわれ」という感度が自分の中に生まれ、しかもそれが、単にルールを強いてくるだけのものではなく、自分自身の思いや考えを安心して語り合える場として感得できるようになると、自身の自己了解をよりよい形に編みかえていくことの契機にもなる。それは「こうすれば生きやすくなる、ラクになる」ということもありますが、さらに「こういうのが素敵だよ」「これがほんとうにいいことだよ」ということを考え合うことにもつながっていく。

たとえば、「やっぱりこういうのがほんとうにいい文学だよね、これは人が生きていくうえでほんとに大事なものを与えてくれるよね」ということがはっきりわかって言えるようになるのって、非常に大きいことですよね。


 そう思います。それって、生きることへの喜びや希望に直結するものじゃないかと思う。


西 そういう……価値の問題というか、「良し悪し」にかかる領域になると思いますが、そういうことに関しても、ただ「人それぞれだよ」というのではなく、ともに考えあっていくことができる。それが「表現のゲーム」だと思うんですよね。

で、それを哲学の形でやろうというのが、ぼくが昔からずっと基本にもっている路線ではあるんですよね。いろんなテーマで「本質観取」をやってみる、という例のやつです。



「安心資源」を分かちあえる社会を……

西 いま言ったような基本線は若いころから変わらないと思っていますが、最近、「人が自己了解をしながら自己ルールを形成したり、編み変えていったりできるための条件とは何か」ということに対して、だんだん視点が向くようになってきたように思います。

思えば、民差論のゼミでは、きちんと受け止めてもらえるという安心感があって、はじめて自分の実感情を出すことができ、それと同時に自分の実感情をきちんと見つめなおすことができたわけですよね。

そうした安心の条件を欠いてしまうと、いくら「こうしていこう」という前向きな自己理解をもっていてもうまくいかない、ということが……今でもあります。そういうときには、ああ、「いまは資源が足りていないんだな」って考えるようにしているんです。

 え、「資源」?ですか?

西 たとえばうちの奥さんが子育てで忙しすぎてゆっくり話をすることができない。それで「資源」が不足しているんだ……とか。要するに「安心資源」ですね。

 「安心資源」。ですか。

西 思い起こしてみると、10年ほどまえ、東京を離れて京都の大学に赴任したときって、けっこう資源が不足しがちでした。そんなとき、犬端さんたちのような、率直な話のできる友人が遊びに来てくれたことがたいへんありがたかったです。要するに「仲間がいる」ということは安心資源なんですよね。自分に圧力をかけずに、率直に自分の気持ちを見つめ、率直に言葉を出してみることができるし、それを聞こうとしてくれる人がいる。それって安心の資源なわけですよね。

でもそういう資源が環境的に弱まってくれば、たとえば、「相手を善悪二元論を見てはいけない」という自己ルールをいくらもっていたとしても、やはり多少、頑なになってしまうことが出てきてしまう。人の感度を拾えなくなったり、自分自身の感度も拾えなくなったりするんですよね。

それを考えると、あらためて自己を了解しようとしそれをよりよいものにしていくためには、「そもそも自己を見つめ直すことを可能にする条件は何か」ということを、併せて考えていくことが欠かせないと思います。自分自身にしても、その条件が整うなかで、あるいはその条件が整うように工夫していくなかで、よりよいかたちで考えていくことができるようになったりしてきていますし。

たとえば今日お話した「かりいほ」の場合でも、その施設にやってくるのは、安心感を根こそぎ奪われた人たちです。でも、石川さんたちがとことん付き合い、安心感を与えてくれるなかで、他者との関係がつくれたり、「晴れ舞台」を経験できたりするようになっていく。知的な障害があったり認知症だったり、いろいろ困難さはあると思いますが、そのつどそのつどの状況で、人がある安心感のなかで、人といっしょに活動する喜びを得たり、自由な活動ができたりしている。そうすると、人間がある連続性のなかで見えてくる感じがしてくるんですよね。

山竹さんと「ケアの現象学」に取り組みはじめた――朝日カルチャーセンター横浜で半年に一度くらい講座をやっているのですが――ことがきっかけで、自分の考えてきた人間観が、社会のなかのさまざまな人たち(要支援な人たちも含めて)とどう結びついているかが見えてきた。つまり、どんな支援が必要なのか、また、とのような制度設計があったらよいのかというテーマが見てきたりして、視界がだんだん広がってきました。自分の考えてきたことが、社会のいろんな局面につながっているんだな、ということがわかってきた感じです。

それに、「かりいほ」の石川さんや「ふるさとの会」のように、理論からは入ったのではなく試行錯誤を通して、支援のありかたの「要」となることを考え実践されている方に出会えているということも、たいへんうれしく思っています。今の世の中って、悲観的になればいくらでも絶望的なことが見られるのでしょうけれども、でも実際に、いろいろな場面で、できるだけ多くの人が喜びを追及して生きることを可能にする社会を実現しようとしている方たちの姿が見えてきている。

そうするとなおのこと、それを支える人間観をもう少し仕上げて、いろいろなひとが役立てられる汎用性のあるものにしていきたいな、という気持ちが強くなってきていますね。

 

(了)